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雅子さまが取り組む子供の貧困問題、5000万円寄付の本気
雅子さまが取り組む子供の貧困問題、5000万円寄付の本気
 日本の子供の貧困率は約14%で、先進国の中でも特に高い。さらにいま、コロナによる親の収入減などで、子供の生活はさらに追いつめられている。そんな大問題に胸を痛められた皇后雅子さま(56才)が取られた行動とは──。 こんな状況なので、あちこちに足を運ぶことはできない。それでも天皇皇后両陛下は静かに情熱を燃やし、積極的に動かれている。「両陛下は6月12日、厚労省の子ども家庭局長などからご進講を受けられる予定です。テーマは“新型コロナウイルスが子育てや教育、子供たちの生活にどのような影響を与えるのか”というものです」(宮内庁関係者) 両陛下はこのところ立て続けにご進講を受けられ、現場の第一線で活動する関係者から直接話を聞かれている。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんが言う。「両陛下は説明を聞いて理解を深めるだけではなく、最前線で働く人たちに直接会って、労い、感謝し、励ましたいというお気持ちでしょう。そして、現場の声も聞いたうえで、自分たちに何ができるのかを考えたいということでしょう」 雅子さまは8日、予定されていたご養蚕行事を欠席された。雅子さまは「新型コロナの影響もあり、沈みがちな日も多い」(皇室記者)というが、それでも数多くのご進講に臨まれ、労いのお気持ちを示されている。5月20日に日本赤十字社幹部からご進講を受けられた際、両陛下は医療従事者がコロナ差別や偏見に遭っていることに懸念と心配のお言葉を発表された。 さらにこのコロナ禍で、雅子さまのご関心は「子供たち」へと強く向かっているようだ。寄付金の行方まで把握されている《最近、国内では、子供の虐待や子供の貧困など、困難な状況に置かれている子供たちについてのニュースが増えているように感じており、胸が痛みます。世界に目を向けても、内戦や紛争の影響が、特に子供を始めとする弱い立場の人々に大きく及んでいる現状を深く憂慮しております》 雅子さまが2018年、55才の誕生日に際して発表したご感想文書だ。雅子さまは昨年12月の誕生日にも《日本国内の貧困や子供の虐待》について《心が痛みます》と述べられている。 新型コロナは、そんな経済的困難を抱える子供にも深刻な影響を与えている。 世界では2020年末までに貧困下の子供が約15%増加し、最大8600万人の子供が新たに貧困レベルの生活に追い込まれる恐れがあるという。 日本でも子供の貧困は大問題で、現在、日本の子供の貧困率は約14%と先進国の中でも突出して高い。新型コロナによりその数はさらに増える見込みだ。「学校が一斉休校になり子供の世話が増え、仕事へ行けず収入が減った」「給食がなくなり、子供に充分な栄養のある食べ物を食べさせられない」――支援団体にはそんな相談が相次いでいるという。なかには「生活費がなくなり、子供4人を抱えて心中するしかない」という深刻なものもあったそうだ。「両陛下はそうした現実に心を痛められ、子供の生活についてのご進講を積極的に受けられているようです。5月14日にも、両陛下は子供の貧困対策の現状について、内閣府の担当者からご進講を受けられています。短期間のうちに同テーマで2度も話を聞かれるのは、それだけ強い思い入れがおありになるからでしょう」(別の皇室ジャーナリスト) 両陛下は実態を把握されるための情報収集をされるだけでなく、実際に行動にも移されていた。 新型コロナ流行の影響が経済的に深刻化してきた今年4月、天皇陛下は「子供の未来応援基金」に5000万円を寄付された。「それは“お手元金”と呼ばれる、天皇家の私的財産から出されたものです」(別の宮内庁関係者) 2003年に政府が設立した「子供の未来応援基金」は、子供の貧困をなくすための活動をする団体を支援する基金だ。「振り返れば、上皇陛下も即位関連行事を終えた1990年、『社会福祉法人こどもの国協会』に5000万円を寄付されました。横浜市にある遊園施設『こどもの国』の敷地は、旧日本陸軍の弾薬庫跡で、“戦争のない世の中で、子供たちにすくすく育ってほしい”という願いが込められているそうです。そこを寄付先に選ばれたのは、戦争を経験された上皇上皇后両陛下らしいものでした」(前出・別の宮内庁関係者) 天皇皇后両陛下は、そうした平成のやり方を踏襲されつつも、令和においては雅子さまが熱心に取り組まれる「子供の貧困問題」に特化した基金へとこだわって、寄付先を決められたのだろう。《新型コロナウイルス感染拡大への対応に伴う緊急支援事業 募集のお知らせ》 そんな告知が6月2日、「子供の未来応援基金」のサイトにアップされた。草の根活動で貧困状態にある子供を支援してきたNPO団体や公益法人などに対し、300万円を上限に援助が行われるという。その原資は、陛下が寄付された5000万円だ。「支援の対象となるのは、学び、衣食住、就労、養護施設、里親の5つのカテゴリーです。そのように、寄付金は実際に具体的な団体へ届けられています。両陛下は、ご自身が寄付されたお金がどのように使われるのかまで関心を持ち、把握されているそうです」(前出・別の宮内庁関係者) これはかなり本気の支援だといえるだろう。◆雅子様の国際感覚に天皇陛下が期待 平成時代は、ご進講を両陛下が別々で受けられることもあった。しかし、御代がわり以降、両陛下が同じテーブルに横並びに座られ一緒に専門家の話を聞かれるケースが増えている。「外務省関係者からのご進講については、平成時代はずっと別々に受けられていたそうです。ですが、天皇皇后両陛下はご一緒に受けられます。 陛下は雅子さまが豊富な海外経験を持つことに言及されるなど、雅子さまの国際的な取り組みに期待されていると聞きます。子供の貧困は国内に限らず、国際的な問題でもありますから、雅子さまのグローバルな感覚に期待されているのでしょう。 2度にわたり子供に関するご進講を受けられたのも、“子供を取り巻く問題に、正面から取り組みたい”という、雅子さまの強い思いがあるのではないでしょうか」(前出・別の皇室ジャーナリスト) 海外にも目を向けられているのは、元外交官の雅子さまらしい国際的な視点だろう。《災ひより 立ち上がらむとする人に 若きらの力 希望もたらす》 今年1月、歌会始の儀で、雅子さまは“若い世代に明るい未来をつくってほしい”という意味の歌を詠まれた。 両陛下は9日、27回目の結婚記念日を迎えられた。これからもおふたりで、ともに苦しい立場の人に寄り添い続けられることだろう。※女性セブン2020年6月25日号
2020.06.14 07:00
女性セブン
雅子さま 感染者や医療従事者に向け、前代未聞のお言葉発表
雅子さま 感染者や医療従事者に向け、前代未聞のお言葉発表
《医療現場で働かれる皆さんには、危険も伴う大変重い任務を担ってこられました。皆さんの懸命な医療活動は、多くの患者さんの命を救ってこられたものと思います》 5月21日、雅子さま(56才)のお言葉が宮内庁のホームページにて公開された。日本赤十字社(以下、日赤)幹部から新型コロナウイルスについて「ご進講」を受けられたときのものだ。「非公式の場での雅子さまのご発言が発表されるのは、前代未聞のこと。平成時代を含め、ご進講でのお言葉が公にされたことは過去には一度もありませんでした」(皇室ジャーナリスト) ご進講当日、雅子さまはお言葉の書かれたメモを手に持たれ、読み上げられたという。「そもそもご進講とは、その道の専門家から両陛下や皇族方が講義を受けられるものであり、ご意見を表明される場ではありません。それでも、新型コロナの治療に奔走する医療現場に関して、雅子さまはどうしても伝えたいことがおありだったのでしょう。ご自身の発言の異例の公開は、強い希望があって実現したのだと思います」(前出・皇室ジャーナリスト) お言葉が公開された翌22日、雅子さまのお姿は皇居内の紅葉山御養蚕所にあった。歴代の皇后に受け継がれるご養蚕の一環として、育てている蚕に桑の葉を与える「ご給桑(きゅうそう)」に取り組まれた。「11日には『御養蚕始の儀』に出席されたものの、続く18日のご給桑は直前で延期。ご体調が心配されていましたが、22日は無事出席され、養蚕所に向かう車内では笑顔を見せられていました。ご体調次第ですが、美智子さまのときのように、今後は養蚕所内でのご様子が公開されることも期待されます」(別の皇室ジャーナリスト) 実は、前出の日赤幹部のご進講も、“延期”されたものだったという。「両陛下が初めて新型コロナについてご進講を受けられたのは4月10日のことで、日赤のご進講は1か月以上経ってから。日赤は医療現場の中心的存在なので、もっと早く実現してもよかったのです。 ところが両陛下は、あくまで“現場優先”を望まれ、日赤関係者へも“ご進講のためにほかの予定を変更することのないように”と伝えられていたそうです。そのためにタイミングが合わず、日程が後ろ倒しになったそうです」(宮内庁関係者) 両陛下はこれまで、地震や台風などの厄災に苦しむ人々がいれば、できるだけ現地に足を運び、励ましの言葉をかけてこられた。しかし、感染症となると、ご自身の感染リスクもあり、現場に向かうということはできない。「それでも感染者や医療従事者、感染に怯える国民を広く励ましたいというお気持ちの発露が、ご進講の際の『お言葉の公表』という“最終手段”だったのでしょう」(前出・別の皇室ジャーナリスト)◆激務だけでなく「心の苦しみ」を心配 雅子さまにとって、日赤という医療機関の存在も特別なものだ。「雅子さまは日赤の名誉総裁を務められています。香淳皇后(昭和天皇の皇后)が初めて名誉総裁の職を引き受けられ、平成時代の美智子さまへと受け継がれたものを、昨年、雅子さまが継承されました。 皇太子妃時代から強いかかわりを持ってこられた日赤の医療スタッフが置かれている状況を、皇后の責務としても、強く案じられているのでしょう」(皇室記者) いま、医療従事者を襲っているのは、新型コロナの感染リスクだけではない。一部の人からの、いわれなき差別や偏見も、医療従事者の心を苦しめている。「親が看護師であることを理由に、子供が学校で“バイ菌”と呼ばれていじめられた」「医師のグループが飲食店の利用を断られた」──目の前の患者を救おうと日々奮闘している人々に、心無い言葉が向けられることが、実際にある。 そうした事態に両陛下は強く胸を痛められている。《医療物資が不足する中、医療に従事される皆さんには、大変なご苦労を重ねられてきていることと思います。また、このような状況が長期化する中、皆さんのお疲れもいかばかりかと案じていますし、心ない偏見に遭う方もおられると聞き心配しています》 陛下は日赤からのご進講で、そう発言されたという。「雅子さまも、医療従事者の激務に関してだけでなく『心の苦しみ』を心配されていました。差別や偏見を受けたケースの説明には、深くうなずかれながら“大変でしょうね”と口にされていたそうです」(前出・皇室記者) 先代の日赤名誉総裁である美智子さまは、皇太子妃時代から40年以上にわたり、上皇陛下と共にハンセン病患者の暮らす全国の療養所を訪問され、差別に苦しんだ入所者との交流を大切にしてこられた。「美智子さまは、患者だけでなく、療養所で患者の治療や世話にあたったスタッフへの差別も目の当たりにされ、心を寄せてこられました。いわれなき偏見にさらされても、使命感を持って療養所で働く人に、深く感銘を寄せられたといいます。 雅子さまも当然、そうした美智子さまの取り組みをご存じで、医療従事者の方々の置かれた状況を理解されているはずです。それだけに、差別や偏見には許しがたいお気持ちをお持ちなのではないでしょうか」(前出・皇室記者)※女性セブン2020年6月11日号
2020.05.28 16:00
女性セブン
首相は「女性・女系天皇」実現に一貫して否定的だ(時事通信フォト)
安倍政権 コロナどさくさで「女性・女系天皇潰しプラン」か
「愛子さまはこの春、学習院大学に入学されました。ただ、折からの新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、入学式などの学校行事は中止。この5月11日にようやくオンラインで授業が始まりました。感染を懸念し、御所から外出されない日々が続いているそうです」(皇室記者) コロナ禍では皇族方の生活も大きな制限を受けている。その一方で、水面下では愛子さまの今後を左右する重要事項の決定が、人知れず大きな進展を見せていた。 5月9日、政府が「安定的な皇位継承策」についての有識者への非公式のヒアリングを終え、論点整理に入ったことが報じられた。国民の関心が高まっている女性・女系天皇の容認などについて、10人以上から聴取をしたという。「え、コロナ対策で忙しいはずなのに、いま?」 そう首をひねった人も、多いのではないだろうか。政府のヒアリングは昨秋に始まり、近頃は新型コロナの影響で中断。それが唐突にも終了したという。「そもそも安定的な皇位継承策については、上皇陛下のご退位の特例法のなかで政府に『すみやかな検討』が求められていたものです。 菅義偉官房長官のもと、『皇室典範改正準備室』が設置され、密かに有識者に意見を聞いてきました。有識者を役所に招くと目立つので、大学やホテルの一室、貸し会議室などで聞き取りが行われてきました」(官邸関係者) ヒアリングが終わり、これから始まる「論点整理」こそが、今後の議論の方向性をほぼ決定づけるだろうと、官邸関係者が続ける。「さまざまな立場の有識者から話を聞いたとしても、それがすべて平等に論点に反映されるわけではない。そこには総理や官房長官の“強い意向”が働くわけです。大揉めに揉めて、結局は国民の理解を得られず先送りされた検察庁法改正案と同じように、コロナパニックで国民の関心がそれている間に、政府の“仲間内”だけで論点をまとめあげようという腹なのでしょう」 世論調査ではおよそ8割の国民が女性天皇容認を支持する。しかし、そうした期待とは裏腹な結論になりそうだ。「『男系男子の皇統維持は絶対だ』と主張する保守派を支持層とする安倍首相は、一貫して女性・女系天皇容認に否定的です。論点整理は、女性・女系天皇の実現には否定的な形でまとめられるはずです」(皇室ジャーナリスト)皇族の減少が進むなか、将来的には重要な公務さえ続けていくことが難しいとされる。そのために、女性皇族が結婚しても皇室に残るための「女性宮家の創設」が急務なのだが、これも先行き不透明だ。「眞子さまがご結婚されたとき、はたして小室圭さんが皇族や準皇族になることが国民に受け入れられるか、という意見が噴出しています。仮に女性宮家創設が実現しても、対象は愛子さまだけに絞られるといわれています」(前出・官邸関係者) 一方で、最近になって「安倍官邸がゴリ押ししようとしているのではないか」(前出・皇室ジャーナリスト)と指摘されるのが、「旧皇族男子の皇籍復帰」だ。安倍首相に近いとされる産経新聞と読売新聞が4月16日、「旧宮家の皇籍復帰について有識者からヒアリングしている」と同時に“スクープ”した。「旧宮家の男子に皇籍を与える案だけでなく、年頃の男子を宮家の養子にする案、さらに愛子さまや眞子さま、佳子さまという内親王と結婚させる案まで出たそうです。すでに政府は旧宮家関係者にも、そうした案にどのような印象を持つか、意見をぶつけたといいます。かなり前のめりで論点整理されることが想定されます」(前出・皇室ジャーナリスト) はたして国民は、顔も名前も知らない旧皇族の末裔が「今日から皇族」となることを受け入れられるだろうか。もちろん旧皇族男子の皇籍復帰案は、多くの国民が支持する女性天皇の実現を葬り去るものだ。世論も含めたオープンな場での議論を期待したい。※女性セブン2020年6月4日号
2020.05.22 11:00
女性セブン
2017年4月、スペイン国王・フェリペ6世とレティシア王女の来日の際に親しく交流された(東京・千代田区 写真/アフロ)
天皇陛下、スペイン国王と極秘電話会談 コロナで協力話し合う
 4月7日、天皇陛下(60才)とスペイン国王・フェリペ6世(52才)は電話会談を行った。 スペインでは新型コロナウイルス感染者が16万人を超え、死者は世界で3番目に多く、1万7000人を超えた。そうした被害を受け、感染拡大に対しての日本とスペイン両国の対応や、パンデミックの解決に向けた連携、そして国際協力について話し合われたという。「電話会談は日本で公に報道されることのない、外務省を通さず行われた極秘のものだったと聞きます。3月26日には、フェリペ国王の親戚にあたるマリア・テレサ王女(享年86)が新型コロナに感染し、命を落としました。ですから陛下はお悔やみも伝えられたことでしょう」(皇室ジャーナリスト) スペイン王室は、レティシア王妃(47才)と雅子さまの親交が深いことでも知られる。「レティシア王妃は元国営放送のキャスターというジャーナリストで、雅子さまと同じ民間出身のプリンセスです。おふたりには気持ちが通じ合う部分も多いのでしょう。国王夫妻が来日する際には、とても親しく交流される姿が見られました。 今回の電話会談も、そうした両国の信頼関係があったからこそ実現したと思われます。皇室と王室は手紙のやり取りをされるなど、普段からプライベートのおつきあいをされています。全世界を襲う緊急の事態に、他国の国王と直接の電話ができたのも、そうした普段の関係構築の賜物でしょう。 こうした状況だからこそ、お互いに協力し合うことを誓われたのだと思います」(前出・皇室ジャーナリスト) 両陛下がプライベートで親交を持つ海外王室は、スペインに限らない。イギリスやオランダ、ベルギーなど各国の王室とも普段からプライベートのやり取りをされているという。 死者数が1万人を超えたイギリスではエリザベス女王が2度にわたりビデオメッセージを公開し、「私たちが新型コロナに負けることはない」と国民に呼びかけた。 日本でも、国難に際したときに皇室からメッセージが発せられたことがある。記憶に新しいのは2011年。東日本大震災から5日後の3月16日に、上皇陛下が約6分間のビデオメッセージでお気持ちを公開され、国民への励ましの言葉を述べられた。「今回の新型コロナについても、天皇陛下のお気持ちは談話やメッセージとして何度か国民に届けられてきました。 今後も状況次第ではビデオメッセージが発表されることもありえます。現在は、状況が刻々と変わる中、政府の対策を見守られているのだと思います。メッセージを発表されるタイミングについても、慎重に検討されているのではないでしょうか」(別の皇室ジャーナリスト) 一刻も早く日常を取り戻したい──それは両陛下も国民も同じ気持ちなのだ。※女性セブン2020年4月30日号
2020.04.18 07:00
女性セブン
皇太子殿下(現・上皇陛下)は、パラリンピックの名誉総裁だった(写真/PARALYMPICTOKYO1964)
1964年の東京パラリンピック出場者が振り返る当時の空気感
 五輪とは違い、その歴史は戦後から始まる。パラリンピック──障害者スポーツの祭典は、56年前に東京で開かれた際は第2回大会に過ぎなかった。東京五輪の余韻が残るなか、ひっそりと開かれた大会に連日通われ、選手や関係者たちと交流されたのが美智子上皇后陛下である。 1960年代前半といえば、民間出身初の皇太子妃として国民の眼差しを集める一方、とりわけ宮中やメディアの重圧に苦しまれていた時期とされる。若き日の上皇后陛下は、1964年の「もう一つの祭典」にどうして、深い眼差しを注がれたのか。また、そこからいかなる気づきを得られたのか。新型コロナウイルス感染拡大で東京五輪の開催延期が決まった一方で、そもそもパラリンピックの原点とはいかなるものだったのかを知ることは無意味ではないだろう。 『アナザー1964 パラリンピック序章』を上梓したノンフィクション作家・稲泉連氏が描く。 * * * 1964年──。そう聞いて誰もが思い浮かべるのは、東京オリンピックのことだろう。 大会の開会式は10月10日。国立競技場には7万5000人の観衆が詰めかけ、選手宣誓が終わると同時に、8000羽の鳩が一斉に放たれた。その見上げた空に自衛隊の戦闘機F-86が5色の五輪をアクロバット飛行で描いたとき、観衆の熱狂はピークに達した。 だが、私がこれから描きたいのは、そのように始まった大会が数々の逸話を残し、盛況のうちに幕を閉じた2週間後のことだ。 その日、11月8日、祭りの後の秋晴れの東京で、それはひっそりと開幕した。「国際身体障害者スポーツ大会」、いまでは「第2回パラリンピック東京大会」として知られるその大会は現行方式とは異なり、事故による脊髄損傷などで下半身麻痺となった車椅子の人を対象とする国際大会だった(※注1)。(※注1/同大会は「第13回国際ストーク・マンデビル競技大会」とも呼ばれる。ストーク・マンデビルはイギリスの病院で、下半身麻痺患者のリハビリの一環として、スポーツを取り入れたことで知られる。ちなみに「パラリンピック」の「パラ」は現在の「パラレル=もう一つの」ではなく、下半身麻痺を表す「パラプレジア」の意であった) 大会には世界22か国から369人が出場し、うち日本人選手は53人。多くが神奈川県の国立箱根療養所や大分県別府市の国立別府重度障害者センター、神奈川県川崎市の関東労災病院などから集められた“患者”たちだった。 箱根療養所から卓球日本代表として出場した長谷川雅巳氏が振り返る。「あの頃の日本にはまだリハビリや社会復帰という考え方はなく、僕ら自身が療養所で一生を過ごすものだと思っていました。僕は水泳と卓球に出るようにと医師から言われたのだけれど、正直に言って恥ずかしくて嫌でしたよ。だって、当時の日本っていうのは、やって来た外国人から『日本に障害者はいないのか』と聞かれていたような社会だった。街には障害のある人なんか誰もいない。障害者はみんな家の中に引っ込んでいた時代だったんだから」 会場は選手村に隣接する「織田フィールド」、オリンピックの際の練習場だ。開会式の日、自衛隊が急ごしらえで作った仮設スタンドには、約3000人の観客が集まった。そして、選手入場が終わった午前10時ちょうどに花火が打ち上げられると、それを合図にロイヤルボックスに座ったのが、大会名誉総裁の皇太子殿下と美智子妃(現在の上皇上皇后両陛下)だった。 実はこの1964年のパラリンピックを語る上で、両陛下の存在は大きな意味を持っている。 同大会の招致は「パラリンピックの父」と呼ばれる大分県別府市の整形外科医・中村裕が、強力なリーダーシップで音頭を取ったことが知られているが、その開催実現のきっかけを作り、陰で大会を支えたのが他でもない美智子妃であったからだ。 1996年から2007年にかけて侍従長を務めた渡邉允氏は言う。「平成の時代、両陛下は災害地のお見舞いや戦没者の慰霊、また、ハンセン病の方々へのお気遣いを続けてこられました。そんなお二人が特に目を向けてこられたのが、障害者スポーツの世界だった。時代の要請に応えていく皇室の役割を果たそうとするとき、お二人にとって若い頃に出合ったパラリンピックは一つの原点であったはずです」 しかし、1964年のパラリンピックは、それを観戦した者が「ちょっとした会社の運動会に見えた」と語るような雰囲気の大会だった。 日本社会に「障害者スポーツ」という概念も浸透していなかった時代、美智子妃はなぜこの大会に特別な思いを寄せたのだろうか。◆美智子妃を導いた2人の女性 障害者の国際スポーツ大会をオリンピック直後の東京で開催する──正式決定したのは、実は開催1年前のことだった。 そのため具体的な動きは1960年、ローマ・オリンピックの後に開かれた第9回国際ストーク・マンデビル競技大会(通称・第1回パラリンピック)を、ある1人の日本人女性が観戦したことに始まる。彼女の名は渡辺華子という。 ローマ大会には戦災や労災、病気などで下半身麻痺になった選手約400人が集まった。その模様を観戦した彼女は読売新聞(1961年7月8日付)に寄せたコラムで《そのふんい気はまさに草運動会といったところ。実をいえば、私は対抗意識と緊張感の過剰な一般オリンピックよりも、このなごやかな、文字通り勝つことよりは参加することを目的としたパラリンピックの方が、気分がくつろいで見ていてずっと楽しかった》という感想を持ったと書いている。 ILO(国際労働機関)での勤務経験もある渡辺は、帰国後に聖心女子大学で特別講義を行った。その際に同大学の卒業生である美智子妃に会い、あらためてローマで見聞きした大会の様子を東宮御所で説明した。前出の渡邉氏は『文藝春秋』2012年2月号に、そのときの様子を次のように描いている。《妃殿下は渡辺さんの話をノートにとりながら熱心に聞かれ、まず皇太子殿下(現在の天皇陛下)にお話になり、当時の東宮大夫などとも相談されつつ、お立場上許される範囲でお知り合いのスポーツや福祉の関係者に話され、意見を聞かれました》 その後、美智子妃は《ふさわしい関係官庁につなげられたことに安堵され、以後は問題をその人々の手にゆだねられました》という。 美智子妃とパラリンピックの関係はそれだけに留まらなかった。大会実現の後押しになりそうな関係者に対して、パラリンピックの話を熱心に語ったという。その中の1人に、日本赤十字社(以下、日赤 ※注2)の「青少年赤十字課」の課長・橋本祐子がいた。(※注2/日本赤十字社は、パラリンピックの東京大会の運営会長を務めた元厚生事務次官の葛西嘉資氏が会長を務めるなど、パラリンピックと縁が深かった) 日赤は設立時から皇室と縁が深く、名誉総裁を皇后陛下、副総裁を皇太子妃殿下や各宮家の妃殿下が務めている。美智子妃も東南アジアの国々に雑巾などを送る「裁縫奉仕」の活動に熱心に参加していた。橋本と深い親交を持ち、東京五輪の際は国旗担当職員を務めた吹浦忠正氏によれば、美智子妃はそこで出会った橋本を「姉のように慕った」という。 戦後直後から日赤で働く橋本は「ハシ先生」と呼ばれ、「奉仕」や「国際交流」に携わる若者の育成に並々ならぬ力を尽くしてきた。流暢な英語を話し、アメリカ仕込みの自由や民主主義、女性の権利を説くその迫力ある姿は当時の多くの若者たちを引き付けたが、美智子妃もその中の特別なひとりだったのである。「何しろハシ先生は断然に光っている人でしたから。われわれもハシ先生の家には勉強会などでよく行きましたが、その3度に1度は美智子妃からお電話が来ていたようで、様々なお話を2人でなさっていたようです」 美智子妃と交流を続けた橋本が、青少年赤十字の活動の一環として作ったのが「語学奉仕団」という組織だった。「今度の大会には外国から車椅子に乗った障害者が来る。彼らが日本語だけの社会に放り込まれたら、新たに口と耳の2つの障害を持つことになってしまうでしょう」 彼女はそう語り、日本でのパラリンピックの開催に向けて、大学生を中心に英語を話せる者を集めたのだ。最終的に語学奉仕団には約160人が集まり、障害者施設などでも研修を行った彼らが、東京パラリンピックでの各国の選手団のアテンドを担った。その活動は日本における「ボランティア」の源流だったといえるだろう。取材・文/稲泉連※女性セブン2020年4月9日号
2020.03.28 16:00
女性セブン
東京都庭園美術館(撮影/深澤慎平)
上皇上皇后両陛下の仮住まい「白金高輪」 皇室ゆかりの地
 この春、昨年より発表されていた、上皇上皇后両陛下の仮住まいへのお引っ越しがまもなく行われる。新たなお住まいは、東京都港区高輪にある「高輪皇族邸」。3月14日には、JR山手線で49年ぶりの新駅となる『高輪ゲートウェイ駅』も田町駅と品川駅間に登場。いま注目が集まる“高輪エリア”を訪ねてみると、両陛下のお引っ越しを歓迎する温かい街並みがあった。 国民に寄り添い、平成の歴史を歩まれた上皇上皇后両陛下は、退位後、現在お住まいの皇居・吹上仙洞御所から東京都港区の高輪皇族邸に移り、仮住まいをされる。すでに報じられているとおり、入居は3月31日で、暖かな春の訪れと共に、新たな地での暮らしをスタートされる。高輪での仮住まい期間は、約1年半以内となる見通しだ。 高輪皇族邸は上皇陛下の叔父であり、昭和天皇の弟である高松宮ご夫妻が暮らしていた邸宅で、天皇家とゆかりが深い。さらに、上皇后美智子さまのご実家・正田邸の跡地に造られた公園『ねむの木の庭』は、高輪皇族邸から約2kmとすぐそばにある。高級住宅街として知られるこのエリアは、江戸時代に薩摩藩や高松藩など大名家の下屋敷があったことから広い敷地が残っており、天皇家とゆかりの深い建物がほかにも数多く点在している。◆東京都庭園美術館 明治天皇の娘である朝香宮ご夫妻の元邸宅。昭和8年、フランス人芸術家アンリ・ラパンに主要な部屋の内装設計を依頼し、当時全盛だったアール・デコ様式を取り入れ、建物自体が芸術作品に。現在は美術館として公開され、当時の雰囲気を体感できる。住所:東京都港区白金台5-21-9◆ねむの木の庭 美智子さまのご実家・正田邸の跡地を整備し、2004年に開園した区立公園。公園名は美智子さまが高校時代に作られた詩『ねむの木の子守歌』に由来する。美智子さまゆかりの樹木や歌の中で詠まれた草花が約50種類植えられ、園内のどこからでも眺めることができるシンボルツリーの“ねむの木”は6月中旬頃、可憐なピンク色の花を咲かせる。住所:東京都品川区東五反田5-19-5※女性セブン2020年4月9日号
2020.03.26 16:00
女性セブン
天皇陛下のお誕生日には、雅子さまへの感謝の思いが明かされた(写真/宮内庁提供)
雅子さま、即位記念展に外務省時代の品が展示されぬ理由
「雅子さまは、常に感謝の気持ちを示され、“周囲を立てる”ことを欠かされません」と、ある宮内庁関係者は言う。天皇陛下の還暦という祝賀の裏で、その半生を支えてこられた皇后雅子さま(56才)の「気遣いの心」が見えてきた。《即位以来、忙しい日々を送る中でも、私や愛子にもいろいろと細かく心を配り、活動を支えてくれており、公私にわたり良き相談相手となってくれています。私も今後とも、できる限り雅子の力になり、支えていきたいと思っております》 2月23日、天皇陛下は60才の誕生日を迎えられた。会見で述べられたお言葉には、30年近く連れ添われてきた雅子さまへの感謝と労いの思いが込められていた。 当日の朝、淡いピンクのドレスに身を包んだ雅子さまは、祝賀行事に出席するため、半蔵門から皇居に入られた。「新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、誕生日の一般参賀こそ中止になりましたが、半蔵門前には人だかりができていました。雅子さまはゆっくりと進む車窓を開かれ、笑顔で手を振られました。『せっかくいらっしゃったのだから』というお心遣いもあったのでしょう」(皇室記者) 初めての天皇誕生日の会見で陛下は、即位からの10か月を、一つひとつの公務に真摯に向き合ってきたと振り返られた。雅子さまもまた、皇太子妃時代とは違った、頼もしい一面を発揮されている。宮内庁関係者の話だ。「雅子さまはもともと“気遣いの人”ですが、最近は積極的にその姿勢をお見せになっていると感じます。今年の新年一般参賀では参加者の入場時間が20分ほど繰り上げられました。それは実は、雅子さまからのご提案だったそうです。『大勢の人にお待ちいただいているのだから、時間を早めた方がよろしいのでは』と訴えられたと聞いています」 そんな雅子さまが最も心を砕かれているのが、上皇上皇后両陛下へのお心遣いだろう。◆外務省時代ゆかりの品がなかった理由 2月8日から、皇居・東御苑にある三の丸尚蔵館では『御即位記念特別展 令和の御代を迎えて』が開催されている。同展は2期制で、第1期では、即位関連儀式の解説や、上皇陛下から譲り受けられて天皇陛下も背負われたランドセル、米ハーバード大学時代のご友人から贈られた雅子さまの木製の椅子など、初公開の貴重な品々が並ぶ。なかでも注目を集めたのは両陛下の大学時代の卒業論文だ。経済学を学ばれた雅子さまのハーバード大の卒論は『輸入価格ショックへの対外調整:日本の貿易における石油』と題されたもの。「雅子さまの論文は英文で書かれ、当時から堪能な語学力がうかがえました。展示を見た外国人観光客は『エクセレント!』と驚嘆していました」(別の皇室記者) 展示ではそのほか、雅子さまの幼少期やハーバード大卒業式、英オックスフォード大学留学時の写真も公開され、雅子さまのご結婚までの足跡を辿れる内容となっていた。「特別展の図録には、外務省で勤務されていた頃、ベーカー米国務長官(当時)が来日した際に、竹下登元総理の通訳を務める雅子さまの写真も掲載されていた。しかし実際には、雅子さまのキャリアを象徴する外務省時代に関するものは展示されていません」(前出・別の皇室記者) 結論から言えば、外務省時代の写真は、展示品が入れ替えられた第2期に展示されるという。なぜ外務省時代の写真の展示は後ろ倒しにされたのか。「そこには、いかにも雅子さまらしいご配慮が感じられます」と、ある皇室ジャーナリストは言う。 2014年10月、日本橋高島屋(東京・中央区)で『天皇皇后両陛下の80年──信頼の絆をひろげて―』と題された特別展が開催された。上皇上皇后両陛下の傘寿をお祝いし、美智子さまの幼稚園時代の作品などゆかりの品々約130点と、約170点の写真が並んだ。「美智子さまが使用された乳母車など私生活を垣間見せる展示で、大盛況に終わりました。美智子さまの中学・高校の英語の教員免許も公開され、そのとき初めて“美智子さまは教員免許をお持ちだった”と知った関係者も多かった。 今回の特別展で雅子さまのプライベート色が強く打ち出されたのは、そのときの展示に倣ったのでしょう」(別の皇室ジャーナリスト) そうした前例があったから、雅子さまはある工夫をされたのではないだろうか。「雅子さまは、世間からいわれているようには、“自分がキャリアウーマンだったこと”を特別だと思っていません。むしろ、職業経験はなくとも、初めて民間人から皇太子妃、皇后となられた美智子さまが、言葉にできないほどご苦労をされて、道を切り拓かれてきたことを心から尊敬されています。 だから、まずは美智子さまに倣って、展示物は幼少期や学生時代のものに絞られた。あえて自分の外務省キャリア時代のものは前面には出さず、第2期へ後ろ倒しにされたのではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)◆両陛下に失礼があってはいけません 1月2日に皇居で行われた新年一般参賀。御代がわり後、初の一般参賀ということもあり、上皇上皇后両陛下が出席されるのかさまざまな憶測を呼んでいた。そんな中で、両陛下は午前の部に出席された。「上皇上皇后両陛下に出席していただくかどうか宮内庁職員は判断に悩み、天皇皇后両陛下に相談していたそうです。そこで雅子さまは“上皇上皇后両陛下に失礼があってはいけません”というお考えを述べられたそうです。ですから、上皇上皇后両陛下に“ぜひご出席ください”と申し入れ、ご出席に至ったと推察されます。 一般参賀当日には、上皇上皇后両陛下が、それまでとは異なる立ち位置に一瞬、戸惑われるシーンがありました。 後に、雅子さまはそれについて、“両陛下をないがしろにしてはいなかったか”と大変気に病まれたと聞いています。平成の30年間、立ち続けられた慣れた場所ではなく、横にずれることになったことをしっかりとお伝えできていたのか、など心配されたのでしょう。それほどに上皇上皇后両陛下を敬愛し大切に思っていらっしゃるのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)“気遣いの人”である雅子さまは、同時に、“努力の人”でもある。「雅子さまは療養生活に入られてから、年明けに行われる『歌会始の儀』を欠席されていました。しかし、天皇陛下の出したお題に沿って詠んで届ける『月次の和歌』は療養中でも毎月提出されていたそうです。月次の和歌は考え方やものの見方を陛下が把握するもので、雅子さまはその重要性を理解されていたのでしょう。そうした努力はこれまであまり公にされていません。 療養中で時に批判を浴びながらでも陰ながら努力を続けられる姿勢が、いまのご活躍の下地になっていると思います」(別の宮内庁関係者) そして、美智子さまはそうした雅子さまの積み重ねを静かに評価されていたという。「雅子さまの勤勉さを、美智子さまは十二分に理解されていたと思います。美智子さまは雅子さまに自らの後継者として高い期待を寄せられ、雅子さまもその期待を感じられていたはずです。だからこそ、御代がわりを経たいまも、雅子さまは感謝の意味も込めて、美智子さまへのお心遣いを欠かさないのではないでしょうか」(前出・別の宮内庁関係者) 互いを思いやるおふたりの関係は、いまも続いている。※女性セブン2020年3月12日号
2020.03.02 07:00
女性セブン
小室さんに最初に不安感を持たれたのは美智子さまだったという(撮影/田中麻以=1月2日、東京・千代田区)
上皇陛下、祝賀行事を欠席 長引く発熱は想像以上に深刻か
 いつもなら、寒さ厳しい2月でも、白い息を吐きながらランニングを楽しむ人々で賑わう皇居。しかしいま、皇居に足を運ぶ人々は激減しているという。 そして、新型コロナウイルスの影響は皇室のみなさまにも及んでいる。2月23日、ウイルスの感染拡大を受け、天皇誕生日の一般参賀が中止された。皇族方がお出ましになるイベントも次々に取りやめられている。「ウイルス災禍の現状を考慮し、天皇皇后両陛下の意向をうかがった上で参賀の中止を判断したのでしょう。加えて、皇族方のご健康への配慮もあったのだと思います。上皇上皇后両陛下は80才を超えたご高齢の身です。特に、上皇陛下はここ最近体調の異変が続いておられるため、心配は尽きません」(宮内庁関係者) 天皇誕生日当日、上皇上皇后両陛下はいまのお住まいである皇居・吹上仙洞御所(東京・千代田区)で天皇皇后両陛下からご挨拶を受けられる予定だった。さらに続く夕方、赤坂御所(東京・港区)で行われる天皇皇后両陛下らとの夕食会への出席も予定されていた。 しかし、上皇陛下はかぜのため、それら祝賀行事を急きょ欠席された。「数日前まで上皇陛下は予定どおり出席されるものとされていたので、直前の欠席決定に大変驚きました。かぜの症状も“快復傾向にある”と聞いていたのですが、長引いているのでしょうか…」(皇室ジャーナリスト) 上皇陛下の欠席の原因となったかぜの症状が出始めたのは天皇誕生日の約1週間前の18日頃からだったという。「症状は喉の痛みを伴う発熱だったそうです。高熱ではありませんが、外出はせず安静にされ、大事を取られていると聞いていました。今回の誕生日は、天皇陛下が即位して初めてのもので、還暦という節目でもあります。上皇陛下もお近くでお祝いしたいお気持ちも強かったことでしょう。それでも欠席を選ばれたのですから、かぜの症状が想像以上に深刻なのかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト) 1月29日、上皇陛下は皇居内で短時間意識を失い、お倒れになった。「翌日には食事もしっかりとられ、大事には至らなかった」(別の宮内庁関係者)というが、3月から4月にかけて高輪皇族邸(東京・港区)へのお引っ越し作業のため、葉山御用邸(神奈川県)や御料牧場(栃木県)への移動が控えており、そのご負担が心配される。「驚いたのは、上皇陛下だけでなく、美智子さまも天皇誕生日の行事を欠席されたことです」と語るのは、ある皇室関係者だ。「これまでならば、両陛下のいずれかが体調を崩されても、おひとりで行事に参加されてきました。美智子さままで休まれたのは、それだけ上皇陛下の症状が心配で、できるだけ寄り添っていたいというお気持ちが強いのでしょう。 また、新型コロナウイルスは、濃厚接触の機会の多い家族内で感染が広がるケースが多い。症状がなくとも感染していることもあり、感染者の家族の行動も、拡大防止のためにはシビアになる必要がある。日本中でより一層の感染予防策が求められる中、美智子さまご自身が自ら感染防止の態度を示されたともいえるのではないでしょうか」(別の皇室ジャーナリスト) 一刻も早いご快復を願う。※女性セブン2020年3月12日号
2020.02.29 07:00
女性セブン
【動画】上皇陛下、祝賀欠席 長引くご発熱、症状は?
【動画】上皇陛下、祝賀欠席 長引くご発熱、症状は?
 天皇誕生日当日、天皇皇后両陛下からご挨拶を受けられる予定だった上皇上皇后両陛下。 続く夕方、赤坂御所で行われる天皇皇后両陛下らとの夕食会への出席も予定されていましたが、かぜのため、それら祝賀行事を急きょ欠席されました。 皇室ジャーナリストによると「症状は喉の痛みを伴うご発熱だったそうです。高熱ではありませんが、外出はせず安静にされ、大事を取られていると聞いていました」とのこと。かぜの症状が出始めたのは天皇誕生日の約1週間前で、ご発熱が長引いていたようです。
2020.02.29 07:00
NEWSポストセブン
眞子さま、美智子さま不在のタイミングに結婚に関する発表も
眞子さま、美智子さま不在のタイミングに結婚に関する発表も
 秋篠宮家の長女、眞子さま(28才)の「発表」は、いったいいつになるのか。事態が大きく動くタイミングは、目前に迫っているという。祖母である上皇后美智子さまを思うが故の、驚きのご算段──。「天皇陛下に用意された、記者からの質問の中に、眞子さまに関するものはありません。しばらくはご結婚の行方が大きく動くということはないでしょうね」 ある宮内庁関係者はそう安堵の表情を浮かべた。天皇陛下が2月23日、60才の誕生日を迎えられる。それに伴う会見では、国民の大きな関心事である秋篠宮家の長女の眞子さまの結婚についての質問も検討されたが、「陛下が指摘されれば影響力が大きすぎる」(皇室記者)ことで、質問は見送られたという。 17日には、天皇誕生日当日に皇居で行われる予定だった一般参賀が、新型コロナウイルスの国内での感染拡大が考慮され、中止されることが発表された。 令和初めての天皇誕生日というおめでたい行事の終了後も、本当に眞子さまの状況に変化はないのだろうか──。「秋篠宮さまが『皇嗣』になられることを国内外に宣言される、4月中旬の『立皇嗣の礼』まで動きはないという見方もあります。しかし、水面下では、事態が大きく動く“意外なタイミング”が目前に迫っているのです」(皇室関係者)「上皇陛下がお倒れになったときにはどうなることかと心配しましたが、上皇上皇后両陛下の引っ越しの準備は順調に進んでいます。引っ越し作業は3月末までに終了します。仮住まいとなる高輪皇族邸(東京・港区)の前の歩道には町内会によって『プリンセス・ミチコ』という品種のバラが植えられ、歓迎ムードが高まっています」(皇室ジャーナリスト) 上皇陛下は1月29日、お住まいの皇居・吹上仙洞御所内で意識を失って倒れられ、ご体調が心配されていたが、「食事もしっかりとられ、日課の散歩も欠かされていない」(別の宮内庁関係者)というから、大事には至っていないようだ。 目下、両陛下が新居に運び込む荷物を整理する作業が急ピッチで進められている。それが終わり次第、業者によって搬出搬入が行われる予定だ。「引っ越し作業中は、両陛下は東京をいったん離れ、まずは葉山御用邸(神奈川県)に向かわれます。上皇陛下にとって、毎年決まって2月頃に静養されてきた思い出深い場所です。しばらくそこに滞在された後は、栃木県の御料牧場にも足を運ばれるようです。 引っ越し作業でお住まいが騒がしくなる3月から4月上旬の期間に、合わせて1~2週間は東京を離れて静養される見込みです。静養が終わり次第、帰京されて高輪皇族邸に入られるご算段です」(前出・皇室関係者) 4月19日には、秋篠宮家にとって重要な行事「立皇嗣の礼」が控える。この時期は眞子さまにとっても、大きな意味を持つという。「秋篠宮さまは昨年11月の会見で『何らかのことは発表する必要がある』と述べられ、眞子さまと小室圭さん(28才)の結婚の見通しを発表するように促されました。ただし、『立皇嗣の礼』への影響を考慮し、儀式終了後のタイミングでの発表だろうとみられています。 その一方で、秋篠宮さまには“結婚の方向性をはっきりさせてから儀式に臨みたい”というお気持ちもあるようです。何より眞子さまご自身も“許されるならば、できるだけ早く結婚を前提とした発表をしたい”というお気持ちを持たれています」(前出・皇室関係者) そうなれば、発表のタイミングが、上皇上皇后両陛下が皇居を離れられる時期に重なることも考えられる。「実は、美智子さまがいらっしゃらないタイミングこそ、眞子さまの結婚が大きく動き出す契機にもなりえます」と別の皇室関係者は語る。 美智子さまは初孫である眞子さまのことをとにかくかわいがられ、眞子さまが“結婚したい”と思える相手を見つけられたことに大変喜ばれたという。しかし、その相手である小室さんに対して、最初に不安感を持たれたのもまた、美智子さまだったという。「婚約報道後、小室さんは取材に対して、眞子さまとの電話内容を語るなど、赤裸々に眞子さまとのやり取りを明かしました。正式発表もされていない時期にそのような内容を語ることに、美智子さまは“本当に大丈夫なのか”と心配されていたと聞きます」(前出・皇室ジャーナリスト) その後、小室さんの周囲で次々と問題が明るみに出ると、美智子さまは秋篠宮ご夫妻とたびたび話し合いをもたれたという。「美智子さまは眞子さまの結婚について、家族全体の苦しみと考えられています。また同時に眞子さまが考えを深められるよう、助力するべきだともお考えです。眞子さまの幸せを願うからこそでしょう、美智子さまは毅然とした態度で秋篠宮ご夫妻に繰り返しお気持ちをお伝えになられてきたそうです」(前出・宮内庁関係者)◆愛孫を思うからこそ 祖母を思うからこそ しかし、美智子さまが心配される一方で、小室さんは国民に向けて発表をする前に、ある要求を突きつけていた。 民放各局が昨年末、眞子さまの結婚についての放送内容を次々に訂正。どれも、小室さんが昨年1月に公表した文書について「小室さんが金銭トラブルについて解決済みであると主張したような印象を与えたが、そうした事実はない」というものだった。「小室さんの代理人が各局に謝罪と訂正を申し入れた際、『問題のご本人たち』などという言い回しを使い、直接ではないにせよ、眞子さまの存在を匂わせたそうです。 メディアとしては、眞子さまが報道に不信感を抱かれたとなれば、それは大事であり、即座に対応すべき出来事でしょう。ただし、眞子さまのお気持ちと捉えられかねないことを、ご本人や宮内庁からではなく、なぜ小室さんの代理人から伝えられなければならないのかという違和感は拭えません。秋篠宮ご夫妻もそうした事実をご存じなのでしょうか」(前出・皇室記者) 誰よりも眞子さまのことを心配されている美智子さまは、そうした小室さんの振る舞いをどう思われただろうか。「秋篠宮ご夫妻が、眞子さまの強い結婚のご意思を受けて、“そこまで言うなら…”というお考えにもなられているという一方で、美智子さまはいまも憂いを深められていらっしゃると思います。孫娘の一生を左右することであると同時に、皇室全体にも影響のあることですから、美智子さまのご心配は当然でしょう。 眞子さまとしてもお母さまとは時に対峙することもおありでしょうが、美智子さまの心配を知らなかったことにはできないでしょう。とはいえ、小室さんとの結婚をあきらめる気持ちもない。そうなると、美智子さまに余計な心労をおかけすることのないよう、できるだけ耳に入らないタイミングで発表を進めてしまおうと考えてもおかしくないでしょう。その内容は、“小室さんの留学の終了を待って結婚をするので静かに見守ってほしい”というものになるとみられています」(前出・別の皇室関係者) 振り返ると、小室さんが前述の文書を発表したのは、美智子さまが葉山御用邸で静養されているときだった。美智子さまは葉山で文書を読まれ、読後には言葉を失われたと伝わっている。 それから1年以上が過ぎた。眞子さまはいつ大きな決断を下されるだろうか。※女性セブン2020年3月5日号
2020.02.20 16:00
女性セブン
“愛子皇太子”誕生は暗礁に、議論さえせず女性天皇は頓挫か
“愛子皇太子”誕生は暗礁に、議論さえせず女性天皇は頓挫か
「愛子さまが大学に入学され、将来のビジョンを固められる前の今が、議論の“最後のチャンス”というタイミングでした。しかし、安倍官邸は『女性天皇』の実現についての議論をする気はさらさらないようです。日本の皇室の将来を左右する重要課題に取り組もうとしない、そんな怠慢がまかり通っていいのでしょうか」(皇室ジャーナリスト) 2月1日、政府内で「安定的な皇位継承の対策案」について、議論を見送る方針であることが報じられた。つまり、女性・女系天皇の是非について、国会では話し合わないということだ。野党内でも、その消極的な姿勢に反発は少ないという。 男系男子のみが皇位継承権を持つ現行のルールでは、皇位継承者は継承順位順に秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さまのお三方のみ。もし長子優先で女性天皇を認めるように皇室典範が改正されると、愛子さまが継承順位筆頭となり、「愛子皇太子」となられる。 そんな議論の“当事者”である愛子さまは、今年3月で学習院女子高等科を卒業され、大学生になられる予定だ。ご自分の将来について考えを深められ、大人への歩みを進める大事な時期でもあるだろう。「今話し合わないのであれば、女性天皇の実現の可能性は限りなくゼロに近くなった」と官邸関係者は指摘する。「安倍官邸は表向きには、『国論を二分する議論は避けたいから』と説明しています。 本来この議論は女性・女系天皇を認めるか否かという制度の問題です。しかし、今の時点で議論が進めば“次の天皇には愛子さまがふさわしいのか”“秋篠宮家からは天皇を出さないのか”を問うことになりかねません。 安倍総理はそうした際どい議論をするつもりはなく、“数十年後に話し合えばいい”と考えているようです」 議論が棚上げになる背景はそれだけではない。「眞子さまのご結婚が揺れていることの影響は大きい。今後、愛子さまのご結婚相手が現れたら、その人物について問題が生じないとは言い切れない。“女性皇族には結婚リスクがある”と、制度を話し合うべき政治家が感じてしまったことが響いている」(前出・皇室ジャーナリスト) さらに言えば、安倍官邸が「議論をしない」と決断できた理由は、皇族内にも事情があるという。「上皇上皇后両陛下のお気持ちの中には、『愛子天皇』というお気持ちもおありだったと、官邸周辺は認識しています。美智子さまはかねてより皇族の減少を憂いておられ、女性天皇容認にも異を唱えられはしないと、官邸サイドは捉えてきたようです」(前出・官邸関係者)一方で、天皇皇后両陛下にとって女性天皇の実現は、自分の娘である愛子さまを天皇にすることに直結する。「雅子さまは皇后であるご自分以上に重圧がかかる天皇の立場に、愛子さまがつくことに、動揺があってもおかしくありません。皇后のお立場としては皇統の安定的な継承をいちばんにお考えでしょうが、1人の母親としては複雑な思いをお持ちではないでしょうか」(宮内庁関係者) 昨年4月、上皇陛下は生前退位を実現された。それは皇室全体の総意でもあったので、政府側も本腰を入れたのだ。「その一方で、女性天皇に関しては皇族方のお考えもさまざまで、一枚岩ではないところがポイントです。安倍総理は即位直前から天皇陛下に面会する機会を持つ中で、女性天皇についてのお考えを伺ったといわれています。そうして天皇皇后両陛下の意向を感じ取り、“女性・女系天皇の議論は先送りにできる”と舵を切ったのでしょう」(前出・官邸関係者) 報道各社が行った世論調査では、国民の約8割が女性天皇の容認に賛成だ。そうした多くの国民は、今回の「棚上げ論」に納得できるのだろうか。一刻も早く、オープンな場での議論が望まれる。※女性セブン2020年2月27日号
2020.02.15 07:00
女性セブン
小室さんに最初に不安感を持たれたのは美智子さまだったという(撮影/田中麻以=1月2日、東京・千代田区)
眞子さまの「結婚発表」を食い止める美智子さまのお気持ち
 秋篠宮家の長女眞子さま(28才)と小室圭さん(28才)との結婚問題は、なかなか進展しないままだ。 小室家の金銭トラブル、父親と祖父母の相次いでの自殺、祖母の新興宗教信仰…それらの事実を、秋篠宮ご夫妻はすべて週刊誌で初めて知ることになった。「最初は小室さんを手放しで受け入れていたご夫妻でしたが、『さすがに誠実とはいえない』と悩まれるようになりました。次々に小室家の内情が報じられると、『ほかにもまだ出てくるのですか』と心配そうに周囲に尋ねられることもあったようです」(皇室ジャーナリスト)「眞子さまは皇族として非常に立派に公務をこなされておられます。“イベントには眞子さまにいらっしゃってほしい”という声は後を絶たないそうです。 ただ、公務に際しての打ち合わせで眞子さまが紀子さま(53才)と同席されると、場の空気が変わります。その席は重々しい、緊張感のある張り詰めた雰囲気になるそうです。 先日も皇室関係者との食事会で紀子さまと眞子さまが同席されることがありました。紀子さまは周囲に向けて努めて明るく話されていましたが、眞子さまは会話に加わろうとはなさらなかったと聞いています」(皇室関係者) 眞子さまは、紀子さまに対して強い反発心を抱かれているという。「当初、紀子さまは小室さんを『こんなに素晴らしい人はいない』と気に入られておりました。しかし、その手のひらを返したことに、眞子さまは『なぜ、今さら』というお気持ちがおありのようです。“メディア報道を信じずに、小室さんの話をしっかり聞いてほしい”“世間体ばかり気にしすぎている”と、眞子さまは不満に思っていらっしゃるのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト) 実際、結婚延期を発表した2018年2月からのこの2年を通じて、紀子さまは、眞子さまのお気持ちが整理されるどころか、ますます強く小室さんに向かわれているのを目の当たりにされてきた。「紀子さまも、やはり娘の幸せを願われている母親です。小室さんへの不信感に変わりはありませんが、眞子さまがこのような状況でも真摯に公務に励まれる姿を見て、心打たれることがあるそうです。耳を疑うような話ではありますが、最近では、『そこまで思うなら…』という本音が紀子さまの中にはあるようです」(前出・皇室関係者) それではなぜ、「結婚発表」ができずにいるのか。それは、眞子さまのことを心底、心配されている方が、もう1人いらっしゃるからだ。「美智子さまが、とにかくかわいがられてきた初孫の眞子さまのことを案じていらっしゃるのです。実は、皇族方の中でも、小室さんに最初に不安感を持たれたのは、美智子さまでした」と明かすのは、ある宮内庁関係者だ。「婚約報道後、小室さんは取材に対し、眞子さまとの電話の内容を赤裸々に語りました。正式発表の前にそうした内容を語ることに、“小室さんは本当に大丈夫なのか”と美智子さまは疑問を抱かれたといいます」◆「家族全体の苦しみ」美智子さまのお考え その慧眼のとおり、小室さんの周囲では次々と問題が明るみに出ていった。秋篠宮ご夫妻はたびたび皇居を訪れ、上皇上皇后両陛下と話し合ってこられたという。「美智子さまのお考えは、この事態は家族全体、つまり天皇ご一家全体の苦しみであり、眞子さまが考えを深めることを助力されるべきだということです。平成の30年間にわたって、上皇陛下とご一緒に皇室全体のことを考え続けてこられた、美智子さまらしいお考えです。 それを繰り返し、紀子さまにも伝えてこられたのでしょう。時には、厳しいお言葉で語りかけられることもあったようです。美智子さまは今も憂いを深められているといいます」(前出・宮内庁関係者) これは家族全体の問題であって、「眞子さまの考え」だけではない──そのアドバイスは、今になって紀子さまの心に深く響いていることだろう。「眞子さまのお気持ちは、すぐにでも結婚したい、というものです。ご両親に対しては、ますます『いつになったら許してくださるのですか』という姿勢なのです。 紀子さまはそれを尊重したいという本音はありつつも、やはり皇室全体のことにも考えをめぐらせなければなりません。もちろん、将来の天皇である悠仁さまにとって、どういう選択をすべきかということもあります」(前出・宮内庁関係者) 美智子さまと紀子さまと眞子さま──お互いを思いやられる心がからみ合い、容易にはほどけない“固い結び目”となってしまったようだ。※女性セブン2020年2月20日号
2020.02.06 16:00
女性セブン
雅子さまの「国民に語りかける機会」が奪われる時代錯誤
雅子さまの「国民に語りかける機会」が奪われる時代錯誤
「国民に寄り添う」という思いを胸に、雅子さま(56才)は令和の皇后として立派に務めを果たされてきた。しかし今、その思いに反して、国民への「歩み寄り」の機会が失われようとしているという。 来たる2月23日、天皇陛下が60才の誕生日を迎えられる。即位後初めての陛下の記者会見もある。 平成時代、即位後初の上皇陛下の誕生日会見では、美智子さまが一緒に出席された。そのため、前例を踏襲すれば、今回の天皇陛下の誕生日会見でも、雅子さまが同席されるとみられていた。しかし、宮内庁は雅子さまの同席はないと判断しているという。 天皇誕生日の会見以外にも、平成時代にも上皇上皇后両陛下が出席して行われた「即位に際しての会見」、そして今春予定されているイギリス公式訪問に際しての会見において、雅子さまが出席される可能性が高いとされていた。しかし、宮内庁としては、「即位に際しての会見」は誕生日会見に含まれるものとして開催しない方針とのこと。また、イギリス訪問に際する会見も療養中であることを理由に雅子さまは出席なさらないか、会見自体を見送る方向で調整されているという。◆「会見がお嫌いか」 批判が上がりかねない たしかに、雅子さまには会見に“苦い記憶”がおありだ。雅子さまは皇室入りをされる前から、会見のたびに「見当違い」「揚げ足取り」といえる批判を浴びてこられた。 1993年1月、陛下とのご婚約会見では「(当時の)皇太子さまよりしゃべりすぎではないか」と非難された。2002年4月の愛子さまご出産の際の会見で涙を流されると「皇族が人前で涙を見せられるべきではない」という声が上がった。 同年12月の会見で《外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、(中略)適応することになかなか大きな努力が要った》と胸の内を明かされると、「お世継ぎの男児を産むよりもご自分が行きたい海外訪問の方が大事なのか」と批判された。その会見が、最後のものになった。 翌2003年に雅子さまは体調を崩され、そのまま療養生活に入られた。 それから約15年。雅子さまのお立場は、皇太子妃から皇后へと変わり、目覚ましい活躍を見せられている。「たしかに雅子さまは、会見に困惑されるお気持ちやトラウマを持たれているかもしれません。しかし、今の国民は雅子さまを応援しようという雰囲気一色で、それも公務での国民とのふれあいやパレードなどを通じて雅子さまも感じていらっしゃるはずです。 たとえそれがひとことふたことでも、雅子さまが直接国民に語りかける機会を持たれることがとても重要であることは、雅子さまがおわかりでないはずがありません。 雅子さまは『新年祝賀の儀』『歌会始の儀』など今年に入ってからも重要な行事をこなされ、堂々としたお姿を見せてこられました。療養中でも、皇太子妃時代から並大抵でないご覚悟を持って生きてこられたわけですから、雅子さまがそこまで会見を拒否されるとは考えづらいのです」(皇室ジャーナリスト) しかし、いざ雅子さまが意を決して17年ぶりの会見に臨もうとされても、宮内庁が動かないことには実現しない。「皇太子妃の時代から側近たちは長い間、療養中の雅子さまをいかに支えるかを腐心してきたので、慎重になっていることは理解できます。しかし、慎重になりすぎては、逆に国民との距離が広がりかねません。それは、雅子さま自身のためにならないでしょう。 何度となくある会見の機会をすべて失してしまうのならば、“雅子さまは会見が嫌いなのか”と声が上がりかねません。療養中であることはわかっていても、批判に転じてしまう可能性もあります」(前出・皇室ジャーナリスト) 陛下に対してもそうだ。平成の時の「即位会見」では12問の質問が投げかけられたが、「今回の会見では宮内庁側は『ご負担が大きいので5問まで』という姿勢」(前出・皇室記者)という。両陛下のご覚悟に対し、宮内庁は過剰に不安を抱いているのではないか。 昨年10月、「即位礼正殿の儀」で述べられたおことばで、天皇陛下は「国民に寄り添う」意思を明確にされた。その思いは、雅子さまも変わらないはずだ。 何事もオープンにする姿勢は、時代の流れだ。雅子さまが国民に語りかける機会が奪われているのであれば、それは時代錯誤ではないだろうか。「雅子さまが即位以降お元気なお姿を見せられている分、どこかで躓いてはならないと慎重になっている面もあるのかもしれません。何か会見にかかわる事情があるのであれば、その障壁を取り除く工夫と努力が宮内庁にも求められていくでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト) 国民に向けて肉声で語りかけられる――雅子さまのご覚悟はもうできているはずだ。※女性セブン2020年2月13日号
2020.02.02 07:00
女性セブン
雅子さまの17年ぶり会見に期待高まるも宮内庁が慎重姿勢
雅子さまの17年ぶり会見に期待高まるも宮内庁が慎重姿勢
 艶やかなお着物に身を包まれた皇后雅子さま(56才)は、土俵上の取組を食い入るように見つめられ、勝負がついたその瞬間、お隣の天皇陛下(59才)と愛子さま(18才)と一緒に、お体を大きくのけぞらせ、弾けるような笑顔を見せられた──。 幕内で最も下位の番付「幕尻」の徳勝龍が優勝するという波乱で幕を下ろした大相撲初場所。千秋楽前日の1月25日に天覧相撲が行われた。雅子さまの和装に合わせたのか、愛子さまは春を先取りした淡いピンクゴールドのワンピースをお召しだった。「愛子さまは幼い頃から大の相撲ファンで、力士のしこ名はもちろん、所属部屋や出身地まで記憶されているそうです。その日、バッグからペンを取り出し、熱心にメモを取られていた愛子さまを、雅子さまは目を細めて見守られていました」(皇室記者) 雅子さまは即位行事はじめ、被災地訪問や新年一般参賀など主要な行事で、病気療養中であることを感じさせないような好調なお姿を見せられている。 来たる2月23日、天皇陛下が60才の誕生日を迎えられる。令和になって初めての天皇誕生日だ。その日は国民の休日になり、皇居では一般参賀も予定される。さらに、即位後初めての陛下の記者会見もある特別な日である。「平成時代、1990年12月に行われた即位後初の上皇陛下の誕生日会見では、美智子さまが一緒に出席されました。そのため、前例を踏襲すれば、今回の天皇陛下の誕生日会見でも、雅子さまが同席されるとみられていました」(皇室ジャーナリスト) 雅子さまが出席されれば、病気療養に入られる前の2002年12月に行われた雅子さまの誕生日および、ニュージーランドなどへの海外訪問に際しての会見以来、17年ぶりに肉声が国民に届けられることとなる。しかし、その予定はないとある宮内庁関係者は言う。「担当記者らが宮内庁に対し、雅子さまの会見出席を内々に要望したそうです。しかし、宮内庁側の返事は『それはできない、同席はない』とにべもないものでした。年明け早々から時間をかけて相談をしていたにもかかわらず、取り合ってもらえなかったと聞いています」 さまざまな行事でにこやかに関係者と会話を交わされ、特に海外要人とも通訳を介さずにコミュニケーションを取られる雅子さまの姿は大きく報道されてきた。それだけに、雅子さまが直接、国民に語りかける言葉を聞きたいという期待の声は大きい。 雅子さまが近いうちに会見に出てこられるチャンスは、前例に従えば3度あるはずだった。1つ目が、前述の天皇誕生日の会見。2つ目が、平成時代にも上皇上皇后両陛下が出席して行われた「即位に際しての会見」。3つ目が、今春予定されているイギリス公式訪問に際しての会見だ。 実は、この3つの機会のすべてに、雅子さまが出席されない可能性が高いという。「誕生日会見に雅子さまが出席されないことは宮内庁内で内々に決まっています。また、今回の誕生日会見は即位後に初めて行われる会見ということで、宮内庁の担当記者だけでなく、『日本記者クラブ』や『日本外国特派員協会』などに所属する報道機関も出席の意向を示しています。つまり、平成の時には行った『即位に際しての会見』は、宮内庁としては今回の誕生日会見に含まれると見なして、特別に行わない方針のようなのです」(前出・宮内庁関係者) 天皇皇后両陛下や皇太子ご夫妻のお立場であれば、慣例的に海外公式訪問前には会見を開いてこられた。しかし、上皇上皇后両陛下は「ご高齢」を理由に、2007年のヨーロッパ諸国ご訪問以降は会見をされていない。天皇皇后両陛下もオランダ国王戴冠式(2013年)やトンガ国王戴冠式(2015年)の際は会見を行っていない。「今春のイギリス訪問でも、スケジュールの多忙や、雅子さまが病気療養中であることなどを理由に、会見は陛下おひとりで臨まれるか、会見自体が行われない方向で調整されているようです」(前出・宮内庁関係者) 雅子さまが肉声を届けられる機会は失われようとしている。※女性セブン2020年2月13日号
2020.02.01 07:00
女性セブン
外出の際も上皇侍医が同行する(AFP=時事)
意識失った上皇陛下に即時駆けつけ 皇室の医療体制は
 上皇陛下が住まいである皇居内の吹上仙洞御所で一時意識を失って倒れられたのは、1月29日午後6時半ごろ。傍らにいた上皇后さまがすぐに非常ブザーを鳴らして侍医を呼んだことが報じられている。では、ご高齢の上皇上皇后両陛下の健康を支える医療体制はどうなっているのか。 皇室全体の健康全般を管理する統括責任者は、宮内庁の長官官房に属する「皇室医務主管」だ。ご病気の際の治療方法など、医療方針を決める際にも医務主管を中心に話し合われる。現在は、上皇陛下が2012年に東大病院で心臓手術をした際の主治医である永井良三・自治医科大学長が皇室医務主管を務める。 天皇ご一家、秋篠宮ご一家、上皇上皇后両陛下にはそれぞれ侍医がつき、24時間体制で勤務している。天皇ご一家は侍医長と侍医3人、秋篠宮ご一家は皇嗣職侍医長と皇嗣職侍医3人の体制がとられている。 上皇上皇后両陛下の日々の健康管理を受け持つのは、上皇侍医長と4人の上皇侍医からなる侍医団だ。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が解説する。「天皇在位中の侍医団がそのまま平行移動しており、医療体制は天皇のときとほとんど変わっていません。上皇侍医団はローテーションを組んで上皇さまのお住まいの近くに泊まり込み、24時間体制で勤務をしています」 昭和天皇の時代、侍医は毎朝、体温や脈を計測して「お東(便)」の状態まで調べていたが、現在の健康管理は簡素化されている。「侍医は毎朝、上皇さまに『伺候(参上)』し、お顔の色を拝察して昨晩の睡眠状況などを問診します。風邪気味や疲れ気味の場合は熱や脈を取って、どこか具合が悪いところがないか確認します。 また、侍医は宮内庁大膳課の考案するメニューを健康や年齢などの観点からチェックし、栄養価などに関する指示を出すこともあります。実際につくられた食事を侍医が試食することもあります」(神田氏) 万一に備えて、上皇上皇后両陛下から離れないことも上皇侍医団の重要な役割だ。「何かあればすぐに対応できるよう、上皇侍医は常に上皇さまと上皇后さまの近くにいます。今回のケースでも上皇后さまが最初に異変に気づき、緊急連絡網を使って上皇侍医の待機する部屋に連絡を取り、侍医が駆けつけたようです。 上皇上皇后両陛下が外出される時も上皇侍従、上皇侍医、皇宮警察の3人は必ずついています。侍医は室内で拝診するときはスーツにネクタイ姿が多いですが、上皇さまと上皇后さまが運動服を着用されて散歩される場合は、それに合わせた格好になります」(神田氏) 毎日の問診に加えて、年に2回の健康診断も上皇上皇后両陛下の健康をチェックするための重要な機会となる。「上皇さまと上皇后さまは年に2回、東大病院で健康診断を受けられます。また必要な場合はその都度の検診も受けられます。今回は宮内庁病院で診察を受けられましたが、医療器具の不足や警備上の理由などから十分な医療が受けられないと判断された場合は、宮内庁病院と密接な連携を取る東大病院で医療を受けることが考えられます」(神田氏) 上皇上皇后両陛下の健康管理については、天皇在位中と変わらない万全の体制が整えられている。●取材・文/池田道大(フリーライター)
2020.01.31 16:00
NEWSポストセブン

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