上皇陛下一覧

【上皇陛下】に関するニュースを集めたページです。

(撮影/JMPA)
上皇ご夫妻、1年7か月ぶりにおふたりそろって外出 「愛の手つなぎ」お姿
 上皇陛下の一歩後ろを歩かれる美智子さま。館内へと入られるときには、そっと陛下のお手を取り、優しくつながれていた──上皇ご夫妻は6月9日、東京国立博物館で開かれた、沖縄復帰50年を記念する特別展『琉球』を鑑賞された。その日のお姿は、いまも互いに支えあわれていることが感じとれるものだった。そんな「愛の手つなぎ」を写真で振り返る。 今回の展覧会ご鑑賞は、上皇陛下にお疲れの様子がみられるという理由から、6月2日の予定から9日に延期されたものだった。そんな陛下のご体調を思いやるように美智子さまは陛下の手を取られ、約40分間、じっくりと展示を見てまわられた。 ご到着の際にはひとり歩かれる陛下を見守る美智子さまだったが、館内へと入られるのにあわせ、そっと陛下の腕に手を添えて歩かれていた。 ご夫妻が皇居や御用邸以外にそろって外出されるのは、2020年10月末の明治神宮参拝以来と実に1年7か月ぶり。上皇陛下は「これはいつ頃ですか」などと展示について熱心に質問され、たびたび「沖縄は戦争があったけれど、よく残っていましたね」と述べられていた。撮影/雑誌協会代表取材※女性セブン2022年6月30日号
2022.06.17 11:00
女性セブン
眞子さんは美智子さまの米寿のお祝いに合わせて帰ってくる可能性(写真は4月の眞子さん)
眞子さん「美智子さま米寿のお祝い」で秋篠宮ご夫妻への“禊ぎの里帰り”か
「目に入れても痛くない」という言葉は、美智子さまにとっての眞子さんにも当てはまるだろう。だからこそ、逆風の中で皇室を離れ、慌ただしく海の向こうに渡った孫娘との再会を望まれているのは想像に難くない。美智子さまの慶祝の日は、そんな眞子さんにとって、“里帰りの切符”になるかもしれない。 ニューヨークの美の殿堂・メトロポリタン美術館(MET)で、6月7日から、日本の「着物」を中心に据えた企画展示が始まった。「ニューヨーク在住のアメリカ人コレクターの、江戸後期から昭和にかけての貴重なコレクションが約60点展示されています。アメリカでは東洋、特に日本の伝統文化への関心が高く、METでも定期的に日本の美術品に関する企画展示が行われています」(米在住ジャーナリスト) METには、秋篠宮家の長女・眞子さんが、無報酬のボランティアスタッフとして勤務している。「眞子さんは、今後そうした日本文化に関連する企画展示に『キュレーター』として携わっていくようです。キュレーターとは、美術品に関する資料収集や保管、展示、調査研究などを行う専門職。METのキュレーターといえば世界中の学芸員の憧れの職業です。“日本文化を世界に発信していきたい”という希望を持っている眞子さんにとっては、この上なくやりがいのある仕事でしょう」(前出・米在住ジャーナリスト) 得意分野での活躍が期待される眞子さんに対して、夫の小室圭さんにも別の注目が集まっている。7月に「3度目のチャレンジ」を明言しているニューヨーク州の司法試験が控えているのだ。 今年2月の「2度目のチャレンジ」は、かつて日本で勤務していた法律事務所の代表に明かした通りであれば、「5点不足」で不合格だった小室さん。“三度目の正直”とするためにも、仕事の合間を縫って猛勉強をしているだろう。大聖堂に響いたブーイング 眞子さんと小室さんは昨年11月、まるで国外脱出の様相でニューヨークに渡った。世界に目を向ければ、同じようにロイヤルファミリーから離脱し、母国からも離れて暮らす「元ロイヤル」はほかにもいる。 2020年3月いっぱいで英王室を離脱した、ヘンリー王子とその妻・メーガンさん。ダイアナ元妃の次男で、エリザベス女王の孫であるヘンリー王子は、2018年にメーガンさんと結婚。当初は王族として公務を担っていたが、離脱を機にカナダに拠点を移し、その後は米カリフォルニアに構えた豪邸で生活している。 ヘンリー王子側は、王室離脱の背景には、王室内でメーガンさんに対する人種差別的発言があったからだとしていますが、王室側はそれを否定しています。いずれにせよ、女王の孫が王族であることを自ら辞め、母国を離れて暮らすのは極めて珍しい。イギリスでは夫妻の行動に批判の声が集まりました。その余波はいまも続いています」(英王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さん) アメリカへ渡って以降、テレビの長時間インタビューで自説を展開して王室を批判、暴露本出版にもかかわるなど、ヘンリー王子夫妻は王室を刺激し続けた。「結婚の際は英王室に新しい風が吹いたとしてとても歓迎されていました。しかし、出て行くだけならまだしも、後ろ足で砂をかけるような行為には、王室メンバーも辟易していると報じられました」(前出・多賀さん) 当然ながら、その後のヘンリー王子夫妻と英王室の関係は良好とは言い難い。2021年の4月と7月に、ヘンリー王子は単身でイギリスに“里帰り”をした。祖父であるフィリップ殿下の葬儀に参列するためと、母・ダイアナ元妃の銅像の除幕式に出席するためだった。しかし、帰国時の警備体制と費用を巡って英政府への訴訟を起こすなど、そこでもまたトラブルが絶えなかった。「現在、ヘンリー王子の態度を支持している英国民は全体の3割程度。メーガンさんに至っては4人に1人すら支持していません。“ヘンリー王子はまだしも、メーガンさんはもう二度とイギリスの地は踏めない”というのが、英国民の大多数の意見でした」(前出・多賀さん) ところが6月3日、ヘンリー王子とメーガンさんが、揃って英国民の前に姿を見せた。英ロンドンのセントポール大聖堂で開かれた、エリザベス女王の在位70年を祝う礼拝の場だった。「この出席について、国民の意見は二分され大騒動になりました。大聖堂には歓声も上がりましたが、大きなブーイングも響き渡りました。“王室を出て行ったふたりが、なぜ出席するのか”との批判が集まったんです。 ただ、エリザベス女王は国民の8割近くから支持されている人気者です。その上、前もって夫妻の礼拝への出席を快く認めていた。エリザベス女王の“イエス”は、水戸黄門の印籠みたいなものだと思っていいわけです。お祝いの席という“大義名分”に、批判の声が抑え込まれた格好です」(前出・多賀さん) 夫婦が揃って再び家族の集いに参加できたのは、エリザベス女王という絶対的な存在があったからなのだ。秋篠宮ご夫妻との対話の場にも 翻って、日本の皇室を出てアメリカで暮らす小室さん夫婦と、祖母である上皇后美智子さまの関係はどうだろうか。 4月下旬、美智子さまは上皇陛下とともに、赤坂御用地(港区)内の仙洞御所へ引っ越された。手狭だった仙洞仮御所(港区)では思うようにできなかった散策も再開され、ゆったりとした時間を過ごされている。 しかし、美智子さまの心配は尽きない。1つは上皇陛下のご体調だ。上皇ご夫妻は6月2日、東京国立博物館(台東区)で開催中の沖縄復帰50年記念特別展『琉球』にお出ましの予定だった。「ところが、前日に延期が発表されました。上皇さまにお疲れの様子が見られたことが理由です。延期発表当日は、日課の散策も見合わせられたそうです。この展示会へは天皇皇后両陛下も足を運ばれていますし、上皇ご夫妻にとっても沖縄はゆかりある地です。できることなら予定通りに足を運びたかったという思いは強くお持ちでしょう」(皇室記者) 体調面では、美智子さまご自身も不安を抱えられている。仙洞仮御所へ移られた前後にコロナ禍になり、自由に外出できない日々が始まった。美智子さまは指のこわばりや原因不明の微熱に襲われ、趣味のピアノを弾くこともままならない時期もあったという。そうした中で、美智子さまは10月20日に88才の誕生日を迎えられる。「米寿」にあたる節目の誕生日だ。「コロナ禍以降、皇室においても誕生日のお祝いなど人が集まる場は厳に自粛されてきました。しかし、新規感染者数が少ない状況が続いており、天皇陛下やほかの皇族方の外出公務の機会も徐々に設けられつつあります。 コロナ禍以前のような大々的なお祝い行事は難しくても、お身内だけのお祝いの場はあってもおかしくありません。その機に合わせて、眞子さんが“里帰り”する可能性が囁かれています」(皇室ジャーナリスト) 慶事と絡めた眞子さんの帰国は、実は6月上旬にも噂されていた。「6月4日、三笠宮家の百合子さまが『白寿』の誕生日を迎えられました。明治以降の女性皇族としては、99才を迎えられるのは最高齢で、そのお祝いに眞子さんが帰国して参加するのでは、といわれていたのです。ちょうど、小室さんのビザが切れるとされるタイミングとも重なっていました。 しかし実現しなかった。背景にはコロナ禍はもちろん、いまだに小室さん夫婦への逆風が吹く世間の声への配慮があったようです」(前出・皇室ジャーナリスト) 眞子さんから見て、百合子さまは「曽祖父の義理の妹」だ。一方、美智子さまは「祖母」にあたる。関係性は大きく異なる。加えて、美智子さまにとって眞子さんは「初孫」だ。注がれてきた愛情には格別のものがある。《春の光 溢るる野辺の 柔かき 草生の上に みどり児を置く》 眞子さん誕生の翌年、当時皇后だった美智子さまは、初孫誕生の喜びをそう歌に表現された。愛情の深さは、いずれは嫁いで皇室を出る将来も見据え、ユニークな形を取ることもあったという。「眞子さんが小学生の頃のことです。美智子さまの発案で、内廷皇族の食事を取り仕切る宮内庁大膳課が、のれんやカウンターをしつらえた即席の“寿司店”を作ったことがありました。お客さんは、現在の上皇ご夫妻や秋篠宮ご一家です。美智子さまは、将来外食する際に戸惑わないよう、注文の仕方などを学ばせようと考えられたのです。 美智子さまは、紀宮さま(黒田清子さん)にも同様の教育を授けられたことがあります。つまり、眞子さんにわが子のように接してこられたのです」(別の皇室ジャーナリスト) いかなる環境におかれても、不自由のないように──そうした気遣いを欠かさなかった祖母を祝うために、眞子さんが遠路はるばる駆けつけることになるのだ。「一時金を辞退し、結婚にまつわる行事を行わなかったとはいえ、小室さんの母・佳代さんの金銭トラブルへの説明不足や、一方的な文書発表に終始した会見など、国民の中にはいまだ小室さん夫婦に対する懐疑的な意見は多くあります。 さらに、秋篠宮さまと懇意のジャーナリストが5月に出版した著書で、秋篠宮さまご自身の率直な気持ちが明かされました。娘の幸せを願う一方、戸惑いがあったことも赤裸々に綴られています。 この先、美智子さまと眞子さんが、二度とお会いになれない未来があってはなりません。しかし、残された時間が無限にあるわけではない。美智子さまのお祝いのためであれば、世論の手前、眞子さんが帰国する“大義名分”が立ちます。ヘンリー王子のように、小室さんを伴わない帰国であれば、いくぶんか逆風も弱まるでしょう。さらに、秋篠宮ご夫妻との対話の場が持てれば、“禊ぎの里帰り”にもなり得るのではないか」(前出・皇室ジャーナリスト)エリザベス女王と美智子さまとの立場の違い すでに成人を迎えている秋篠宮家の次女・佳子さまや、天皇家の長女・愛子さまのご結婚も、そう遠くない未来かもしれない。眞子さんの結婚の余波が残り続けている状況は、好ましいとは言えないだろう。美智子さまの米寿は、そういった印象を払拭する数少ない好機と言える。 しかし、英王室のようには事は進まなさそうだ。その要因は、エリザベス女王と美智子さまとの立場の違いにある。「英王室においては、エリザベス女王が『君主』です。一方、現在の皇室の“長”は天皇陛下です。陛下は眞子さんの結婚に際しての儀式の1つである『朝見の儀』を、自らの判断で行わなかったことを、今年2月の誕生日会見で明言されました。この意味は重い。皇室として、“ふたりの結婚が歓迎される状況にならなかった”とおっしゃったも同然だからです。 美智子さまの米寿は、お身内にとってのお祝い事です。しかし、宮内庁がまったくかかわらないというものではありません。プライベートのことではあっても、公的な要素を切り離すことはできないのです。そうした場に眞子さんを招くには、大きなハードルが残されていると言えます。少なくとも、陛下がその“お許し”を出すわけにはいかない。だからこそ、美智子さまの“お気持ち”がもつ意味は大きいのです」(宮内庁関係者) 美智子さまが米寿を迎えられる日、眞子さんはどこでどのように過ごすのだろうか。※女性セブン2022年6月23日号
2022.06.09 07:00
女性セブン
悠仁さまは天皇陛下から帝王学を学ばれていないが
悠仁さま“自由な選択”を尊重し、バドミントン部に入部か 帝王学への不安も
 提携校進学制度を利用しての進学、作文コンクールの入賞作品における“コピペ疑惑”など、高校受験と前後して議論が巻き起こった秋篠宮家の長男・悠仁さま。筑波大学附属高校に入学されてから約1か月──。「悠仁さまはバドミントン部に入部されるそうです。皇室に縁のあるスポーツといえばテニスのイメージが強いですが、悠仁さまは“皇室の伝統”とは趣を異にした競技を選ばれました。ここにも、自由な選択を尊重する秋篠宮家の教育方針が感じられます」(宮内庁関係者) お住まいのある赤坂御用地には、4月下旬、上皇ご夫妻が新居に移られた。上皇陛下から悠仁さまに「帝王学」を授けられることへの期待の声もあるが、現状では難しいという。「通学で日々外出されている悠仁さまから、万が一新型コロナを上皇ご夫妻に感染させることがあってはならないからです。また、上皇陛下と悠仁さまの年齢差は73才です。時代が違えば、世間が皇室に求めるものも変わります。ですから、“悠仁さまは、天皇皇后両陛下からさまざまなことを学ばれるのがいいのではないか”という声が高まっています」(前出・宮内庁関係者) しかし、実現のためにはハードルがある。5月19日、紀子さまと雅子さまが参加される予定の全国赤十字大会(東京・渋谷区)が開催。2月の天皇誕生日の祝賀以来、3か月ぶりの公式な場でのご対面となる。振り返ると、療養中の雅子さまは、皇后になられる前年の2018年、実に15年ぶりに全国赤十字大会に出席された。「体調が優れず、長く、宮中行事や公務へのお出ましがない時期が続いていましたが、このときにはしっかりとその役目を果たされた。壇上で美智子さまからお声がけをされ、名誉総裁の座を“公開禅譲”される一幕もありました。2020年には18年ぶりに宮中祭祀にも臨まれ、着実に快復の道を歩まれています」(皇室記者) 一方の紀子さまは、あらゆるお出ましで“パーフェクト出席”をされてきた。「紀子さまは、雅子さまの不在時には自分が頑張らなくてはという強い使命感をお持ちだったようです。2006年の悠仁さま誕生後からはよりいっそう、将来の天皇の母としての誇りと自信を胸に、公務に臨まれてきたといいます。 それゆえ、雅子さまのお出ましが増えたいまでも“雅子さまに頼り切りではいけない”というお気持ちと同時に、雅子さまの体調がいつ逆戻りしてしまうかわからない、という不信にも似たお気持ちがあるようです」(皇室関係者) それが、ひいては両陛下と秋篠宮家のコミュニケーション不足に影響しているのではないかと危惧する向きもある。「次男である秋篠宮さまは、天皇になる前提で教育を受けられてきたわけではありません。このまま、陛下からの薫陶を受けられずに悠仁さまが天皇に即位する日が来たら、天皇としてのなさりように悠仁さまが戸惑われることも起こりうる。“独自の教育方針”を貫かれるだけでなく、悠仁さまの教育について紀子さまから雅子さまにご相談なさってほしいと感じている皇室関係者は少なくない」(別の宮内庁関係者) 紀子さまは大きな選択を迫られている。※女性セブン2022年6月2日号
2022.05.19 07:00
女性セブン
(宮内庁提供)
上皇ご夫妻がお住まいになる仙洞御所 思い出が詰まった場所の笑顔あふれる物語
 平成から令和への御代がわりに合わせて、お住まいの“入れ替わり”が進められていた天皇ご一家と上皇ご夫妻。引っ越し作業も終わり、天皇ご一家は皇居の「御所」に、上皇ご夫妻は赤坂御用地の「仙洞御所」にお住まいになる。 上皇陛下の皇太子時代に「東宮御所(皇太子のお住まい)」として誕生したこの建物は、平成の御代がわりに伴い「赤坂御所」と呼び名を変えた。そして、いまの天皇陛下が皇太子時代に住まわれるとまた東宮御所に、そして令和の御代がわりに伴い赤坂御所と改称された。 仙洞御所は「退位した天皇(上皇)の御所」という意味を持つ。上皇ご夫妻は、皇太子ご夫妻としてお子さま方と暮らした “思い出の地”に、今度は上皇ご夫妻としてお戻りになるのだ。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんが言う。「昭和時代、上皇上皇后両陛下は、お住まいで音楽会を開いたり、テニスや卓球をされたりと、家庭的な暮らしを大事にされていました。お子さま方をお育てになった場所ですし、思い出がたくさんおありでしょうから、転居を楽しみにされていたでしょうね」 ご家族の教育の場にも、団らんの場にもなった仙洞御所。その誕生から今日までを写真でプレーバックする。●1960年 天皇陛下ご誕生 写真はご誕生から4か月が経過した頃。生後120日前後で行われ、一般の「お食初め」にあたる「お箸初」を前に美智子さまの腕に抱かれ、笑顔を浮かべられている。●1960年 新東宮御所完成 現在の上皇ご夫妻のお住まいとして建設され、おふたりの寝室、書斎、食堂、美智子さま用のキッチンのほか、子供部屋も2室用意されていた。●1960年 昭和天皇新東宮御所ご訪問 昭和天皇と香淳皇后が新東宮御所を訪れた。玄関前で撮影されたこの写真は、皇室3世代が一堂に会された瞬間となった。●1961年 キッチンに立つ美智子さま 当時27才の美智子さまは、ご自身で料理の腕を振るわれた。並んだ食材にエプロン姿の立ち振る舞いはまさに“日本の主婦”の鑑のよう。●1964年 天皇陛下4才のお誕生日 お誕生日を迎えるにあたって撮影され、和やかな雰囲気が伝わってくる。上皇陛下と天皇陛下が腕相撲で力比べされている姿を見守る美智子さまの表情がなんとも幸せそう。●1966年 お庭で綱引き 天皇陛下6才のお誕生日の翌日に学習院幼稚園の友達80人を東宮御所に招待。庭で綱引きをみんなで行い、陛下も力一杯に綱を引かれていた。●1969年 黒田清子さん「お箸初」を迎える 2005年に黒田慶樹さんと結婚した黒田清子さんは、まだ生まれて数か月の頃。ごきげんな様子の秋篠宮さまとともに乳母車に乗ってすやすやと眠っている。●1970年 上皇陛下37才のお誕生日 和室でカルタ大会に向けてご一家で熱心に練習中。正座で我先にとカルタを取り合う姿はまさに真剣そのもの。●1973年 天皇陛下13才のお誕生日 テニスコートで練習をされる天皇陛下と上皇陛下。上皇陛下は練習が終わった後も熱心にアドバイスをされていた。●1973年 黒田清子さん4才に お庭で満開の桜の下で、美智子さまと一緒にままごとをする清子さん。人形をベッドに寝かせ、ピアノを弾いたりと楽しそうなご様子。●1982年 ご夫妻でテニス かつて、“テニスコートの恋”といわれたおふたりの出会いのきっかけでもあるテニス。48才になられたばかりの美智子さまは上皇陛下と一緒に汗を流された。●1984年 上皇ご夫妻銀婚式 ご結婚から25年が経ち、銀婚式を迎えられた上皇ご夫妻。写真は内宴に合わせて、お庭で撮られた一枚。左は、昭和天皇ご夫妻。●1994年 天皇皇后両陛下が東宮御所へお引っ越し 東宮仮御所にお住まいだった天皇皇后両陛下が、同じ赤坂御用地内の東宮御所へお引っ越しされた。花に囲まれながら散歩される姿がとっても幸せそう。●2002年 天皇ご一家記念写真 天皇皇后両陛下に愛子さま、秋篠宮ご夫妻に、眞子さまと佳子さまが誕生された。天皇ご一家の記念写真の人数もずいぶんと賑やかになっている。●2002年 ご誕生から3か月の愛子さま 談話室での雅子さまと愛子さまのツーショット。体重3102gで誕生され、お祝いの記帳は誕生日と翌日で12万人にものぼった。●2003年  愛子さま1才 両陛下が愛子さまをはさんで談笑されている。愛子さまが、お庭に咲いている花々を指さし、興味津々のご様子。●2004年 お庭で遊ばれる愛子さま 運動神経抜群の両陛下の血を受け継ぎ、愛子さまも木登りに挑戦。支えられながらも木につかまるお姿からたくましさが感じられる。●2004年 愛子さま3才 3才の誕生日用に撮影され、手を上げながらニッコリと微笑まれている。この頃から雅子さまと外出される機会も増え、健やかに成長されていた。●2013年 天皇陛下スペインからご帰国 約400年前から日本との交流が続くスペインを訪問され、帰国された天皇陛下。雅子さまと愛子さまに出迎えられ、にこやかな表情を浮かべられている。●2013年 愛子さま12才のお誕生日 小学6年生になられた愛子さまは天皇陛下と歴史のお勉強。学校では放送委員をお務めになるなど充実の日々過ごされていた。●2015年 天皇皇后両陛下トンガから帰国 両陛下でトンガを訪れた後には、愛子さまの出迎えを受けられた。陛下はこれまで3度トンガを訪問されており、今年1月に海底火山が噴火し被害を受けた際には、お見舞いの電報を送られた。●2018年 銀婚式を迎えられた天皇皇后両陛下 愛犬・由莉を連れてお庭で談笑されている。銀婚式に公表された文書では夫婦円満の秘訣を「笑いを生活の中で忘れないこと」とつづられている。●2019年 祝賀御列の儀 天皇が広く国民に即位を披露し、祝福を受けられる「祝賀御列の儀」終え赤坂御所に到着された天皇皇后両陛下。陛下はえんび服、雅子さまはローブ・デコルテの正装で臨まれた。●2020年 ご進講 新型コロナウイルスが猛威をふるいはじめ、ご公務もオンラインが中心になられていた。専門家から説明を受けられる“ご進講”で学ばれる日々を送られていた。●2022年 新年用ご一家写真 昨年、愛子さまは成年皇族になられた。天皇陛下と同じ学習院大学で勉学に励まれる姿を、天皇皇后両陛下は頼もしく思われていることだろう。撮影/雑誌協会代表取材 写真/時事通信社、共同通信社、宮内庁提供※女性セブン2022年5月12・19日号
2022.05.01 16:00
女性セブン
美智子さまのようだとの声も(1月、東京・港区)
皇后としての重責を知る美智子さま「雅子さまを守り通す」というお気持ち
 美智子さまから雅子さまに“皇后のバトン”が託されてから、3年が経とうとしている。その間、ご自身なりの「令和の皇后像」を模索されてきた。快復の途上にあられる雅子さまに負の影響が及びそうなとき、防波堤になることができるのは、ほかでもない美智子さまだ。「上皇陛下への礼を失する、誠に遺憾なこと」 4月14日の定例記者会見の場で、宮内庁の西村泰彦長官が、語気を強めてある報道を否定する場面があった。「背景にあるのは、上皇后美智子さまの、皇室の将来に対する憂慮のお気持ちです。報道内容が上皇陛下、そして皇后雅子さまにまつわる内容だったので、そのお気持ちはより強いものだったことでしょう」(宮内庁関係者) 4月12日、上皇ご夫妻が、約2年間仮住まいをされた仙洞仮御所(東京・港区)を後にし、神奈川県の葉山御用邸に向かわれた。その日の天気は晴れ。近隣の住民や保育園児らの見送りを受けたご夫妻は、いまにも止まりそうなまでにスピードを落とした車の窓から、笑顔で何度も何度も手を振られた。仙洞仮御所での日々は、コロナ禍と重なった。「ご夫妻は徹底した“おこもり生活”を送られました。接するのはごくわずかな宮内庁職員のみで、娘の黒田清子さん(紀宮さま)とも滅多にお会いにならなかったそうです。また、仙洞仮御所は敷地が狭いため、日課の散歩は、かなり窮屈に感じられていたはずです」(皇室記者) 葉山御用邸の滞在は2週間ほどの予定だ。「御用邸に到着したその日の夕方には御用邸裏にある海に面した『小磯の鼻』に散策に出かけられ、夕日が輝く“ダイヤモンド富士”をご覧になられたほか、集まった近隣住民と、久しぶりの触れ合いを楽しまれました」(前出・皇室記者) 御用邸滞在中に引っ越し作業が進められ、4月下旬には赤坂御用地(港区)内の旧赤坂御所へと移られる。「旧赤坂御所には、皇太子時代のお子さま方との思い出が詰まっています。赤坂御用地は存分な広さがあり、豊かな自然も広がっている。ご夫妻は、引っ越しを指折り待たれているのではないでしょうか」(前出・皇室記者)過去の“不穏な空気”が蒸し返される そんなタイミングで持ち上がったのが、冒頭の騒動だった。俎上に載せられたのは、4月8日発売の『文藝春秋5月特別号』の記事だ。「2003年に国賓として来日したメキシコ大統領夫妻に対し、上皇陛下(当時の天皇)が雅子さまだけを大統領夫妻に紹介されなかった、という内容でした。2014年にも同様の内容が『週刊文春』で報じられ、宮内庁が事実無根だと抗議した経緯があります。今回も西村長官は“到底起こりえない”と強く否定しました」(前出・宮内庁関係者) 長官の遺憾表明は、宮内庁担当記者からの質問に答えるものだったという。それでも、20年近く前のことながら過敏に反応したのは、その前日に、雅子さまが久しぶりの外出公務にお出ましになったことと無関係ではないだろう。 4月13日、雅子さまは天皇陛下とご一緒に、帝国ホテル(東京・千代田区)へと足を運ばれた。日本国際賞の授賞式で、ロイヤルブルーのスーツ姿の雅子さまは、受賞者に対して壇上から拍手を送られた。「雅子さまにとっては、約8か月ぶりの外出公務でした。コロナ禍以降、公務が減ってしまったことでペースがつかみにくく、ご体調を整えるのに苦慮されたこともあったそうです。実際、昨年の愛子さまの成年行事の初日や、今年の講書始の儀は欠席されました」(別の皇室記者) その5日後の18日にも、パレスホテル東京(東京・千代田区)で開かれた「みどりの式典」に、若草色のスーツをお召しになって出席された。「短い日付間隔での公務にもお出ましになれるよう、ご体調を整えられたのでしょう。雅子さまの公務に対する前向きな姿勢が伝わってきます。そんなタイミングで、事実かどうかは別として、過去の“不穏な空気”が蒸し返されること自体、雅子さまにとっていい影響があるとは思えません。 加えて、眞子さんの結婚や悠仁さまの高校進学にまつわる経緯、文学賞の佳作を受賞した作文の“コピペ問題”に端を発した秋篠宮家への逆風が強くなっているいま、皇室にとって数少ない希望の1つが雅子さまであることを、美智子さまは重々おわかりになっている」(前出・別の皇室記者)それとなく雅子さまのご様子をお尋ねになった 皇室報道を巡っては、これまでにも宮内庁がさまざまな形で態度を示してきた。「その背景には、天皇や皇族方の意図が色濃く反映されていることは言うまでもありません。特に美智子さまは、皇族おひとりの苦しみを、皇室全体の苦しみと捉え、寄り添おうとされてきました」(皇室ジャーナリスト) かつて上皇ご夫妻と両陛下の間には埋めがたい断絶があったといわれていた。「結婚当初、帰国子女でキャリアウーマンだった雅子さまが、皇室の神事や伝統的な習わしをうまく受け入れることができなかったことが遠因にあるといわれています。その後、愛子さまが誕生されるも、雅子さまが2003年の末に帯状疱疹で入院され、長い療養生活に入られました。当時、上皇ご夫妻と両陛下が連絡を取り合われることもほとんどなかったといいます」(前出・皇室ジャーナリスト) だが、職員を通して、美智子さまがそれとなく雅子さまのご様子をお尋ねになることは頻繁にあったという。 歴史上、民間出身で「日本の皇太子妃」という重圧に晒されたことがあるのは、美智子さまと雅子さまのたったおふたりしかいらっしゃらない。同様に「皇后」というお立場の難しさを身をもって経験したことがあるのも、美智子さまと雅子さましかいない。「美智子さまも、皇室入りした直後はさまざまな困難に直面されました。初の“民間出身の皇太子妃”であったばかりに、宮中には美智子さまを快く思わない人たちも少なくなく、精神的な疲労から体重が大幅に落ちてしまわれた」(前出・皇室記者) 1993年には、苛烈な皇室バッシングに晒され、一時的に声が出なくなる「失声症」の症状が出たこともあった。「天皇陛下を最も近くで支えることの責任の重さ、皇室全体への目配りの難しさなど、すべて美智子さまは経験されてきました。だからこそ、先達として“雅子さまを守り通す”というお気持ちをお持ちなのでしょう。そのためには、“お怒りの沸点”を低くしてでも、雅子さまの耳に入る雑音を取り除かれたかった。今回、西村長官が報道に改めて示した強い態度は、そうした美智子さまの姿勢が反映されたものだったのでしょう」(前出・皇室記者) 雅子さまが、ご自分らしさを発揮されながら、活躍できるように──美智子さまのお気持ちは、変わることはない。※女性セブン2022年5月5日号
2022.04.21 19:00
女性セブン
上皇ご夫妻 葉山御用邸で人生初めての「ダイヤモンド富士」
上皇ご夫妻 葉山御用邸で人生初めての「ダイヤモンド富士」
 4月12日、上皇ご夫妻は「御代がわり」に伴う引っ越しのため、東京・港区の仙洞仮御所をあとにされた。4月下旬まで葉山御用邸(神奈川県)に滞在され、その間に、赤坂御用地にある旧赤坂御所への引っ越し作業が進められる。 2年余りの仮住まいは、コロナ禍で外出が制限され、ご夫妻は毎日朝と夕の2回、仮御所の庭を散策するだけの「おこもり生活」。木々が生い茂る仮御所の庭から、周囲のマンションのベランダに立つ住民とお手振りをされるなど、制限のある“国民との触れあい”が続いていた。 仮御所を出発される際、ご夫妻は身を乗り出すようにして、近隣住民や居合わせた保育園児らに「ありがとう。お元気で」と穏やかな表情で挨拶をされていた。 葉山御用邸に到着されると、御用邸前の「小磯の鼻」と呼ばれる小さな岬に立たれ、相模湾に浮かぶ富士山頂上に夕日が重なる美しい光景を眺められた。 上皇さま「ダイヤモンド富士は初めて見たね」 美智子さま「はい、本当に美しい景色ですね」 上皇さまは美智子さまのか細く華奢な手を優しく握られ、美智子さまは上皇さまの肩に頬を寄せられていた。 ご高齢になられても上皇さまと美智子さまの変わらないお姿を眺めつつ、ダイヤモンド富士の雄大な美しさは、ご夫妻のためにある瞬間だった。悠仁さまを和船に 上皇ご夫妻の葉山御用邸滞在は、2年ぶりのことだ。前回は皇居から仙洞仮御所への引っ越し作業時、葉山御用邸と那須御用邸(栃木県)の2か所に滞在された。 葉山御用邸へ到着する際、沿道にはご夫妻の姿を一目見ようとマスクをつけた地元住民たちが、隣同士の距離を保ち、横一列に並んで集まっていた。「上皇さまと美智子さまが葉山御用邸で静養されると知り、早くお会いしたくて3時間前から待っています」(隣町に住む女性) 正午過ぎ、白バイの先導で、ご夫妻を乗せたお車が到着した。歩くほどのスピードで、住民たちの前を通過する。コロナ禍で声掛けができないため、住民たちは手を振り笑顔でご夫妻を出迎えた。 それに対して、車の中では上皇さまが身を乗り出して手を振られ、花束を抱えられた美智子さまも、マスクはされているものの、柔らかな表情が窺えた。 御用邸とは、天皇陛下、上皇陛下、皇族方の一部が利用される“別荘”と言っていい。コロナ禍以前は年に数回、ご静養を兼ねて避暑や避寒のために訪れられた。 現在、御用邸は葉山、那須、そして須崎(静岡県)の3か所だ。 今回、ご夫妻が滞在される葉山御用邸は、相模湾に面した神奈川県三浦郡葉山町にある。幼少時代の大正天皇が、保養地とした場所でもある。また、かつて存在した葉山御用邸の附属邸で、大正天皇は崩御した。附属邸はその後取り壊され、跡地には「葉山しおさい公園」ができた。御用邸滞在中、天皇や皇族方は、公園にある四季折々の植物や花を散策しながら楽しまれることもある。 2008年、当時天皇皇后だった上皇ご夫妻が葉山御用邸に滞在された際は、秋篠宮ご一家もご一緒だった。 上皇さまと職員や漁師たちは、御用邸近くの艇庫から櫓が2つある「二挺艪(にちょうろ)」と呼ばれる和船を出された。 上皇さまと美智子さま、紀子さま、悠仁さまは黄色い救命胴衣を身につけると和船に乗りこまれた。上皇さま自らが櫓を握り、漕がれる。海面がキラキラと光る中、上皇さまは手慣れたご様子で漕ぐ和船はスイスイと沖へ向かっていく。時折、美智子さまも上皇さまから櫓の漕ぎ方を教わり、楽しそうにしている姿も見られた。 宮内庁関係者によると、上皇さまは、栃木県の奥日光に疎開中の小学校時代から和船に親しまれていたという。 同年10月30日のお誕生日に際しての文書回答で、美智子さまは悠仁さまらと和船に乗られた時のお気持ちを綴られていた。「(悠仁が)御用邸にもどって後、高揚した様子でいつにも増して活々と動いたり、声を出したりしており、その様子が可愛かったことを思いだします。」 また、天皇ご一家(当時は皇太子ご一家)と過ごされたこともあった。 まだ幼い愛子さまがよちよち歩きで波打ち際まで近づくと、ハッと気づかれた美智子さまが「愛子ちゃん、洋服が濡れちゃいますよ」と砂浜を駆け出され、愛子さまをぎゅっと力強く抱きしめられていた。美智子さま「ご出産はいつ?」 たくさんの思い出がつまった葉山御用邸に、上皇ご夫妻が到着した後、近隣住民の多くは「小磯の鼻」へと移動した。 普段であれば「小磯の鼻」を散策されることもあったが、コロナ禍ということもあり、付近にいた警察官も「密を避けるためにもご散策はないでしょう」と話していた。 ところが夕方5時30分過ぎ、小磯の鼻に面した御用邸の小さな扉が開き、ご夫妻が姿をお見せになった。茶系のブルゾン姿でシックな装いの上皇さまに対し、美智子さまは薄手のグレーのハーフコートを羽織られていた。 上皇さまは美智子さまの手をしっかりと握られ、会話されながら芝生の上を歩かれる。大型犬がちょこんと座っているのを見つけられると、美智子さまは身をかがめ、犬の顔をやさしく撫でられていた。 職員に先導される上皇さまと美智子さまが向かわれたのは、小磯の鼻の先端だった。相模湾の海景、江ノ島の彼方に富士山の姿があった。そこに、間もなく沈もうとする太陽が重なった。「ダイヤモンド富士」だ。 上皇さま「ダイヤモンド富士は初めて見たね。いまままでこんなことはなかったからね。実に素晴らしいね」 美智子さま「はい、私も初めて見ました。本当に美しい景色ですね」 ご夫妻は夕陽が沈むまでその場を離れることはなかった。その後、小磯の鼻の先端から御用邸にお戻りになる際には、短い時間ながら、地元住民との会話も楽しまれた。 子連れの母親が身重の体であるのを気づかれた美智子さまは「ご出産はいつ?」と尋ねられた。「1週間後です」という返答に美智子さまは「まあ、もうすぐね。どうぞお身体大切にね、ありがとう」と声をかけられた。 散策はおよそ1時間におよび、あたりはすでに薄暗い。職員がライトで足下を照らす中、ご夫妻は御用邸へと入られた。 上皇ご夫妻の葉山御用邸滞在は2週間の予定だ。戻られるのは、皇太子同妃時代にお住まいになっていた赤御用地内の旧赤坂御所。名称は「仙洞御所」となる。 4月10日が、63回目の結婚記念日だった上皇ご夫妻。結婚60年の「ダイヤモンド婚式」をすでに迎えられた上皇ご夫妻は、“新居”での生活を楽しみにされていることだろう。取材・文/皇室記者 祓川学
2022.04.19 07:00
NEWSポストセブン
演奏する
上皇ご夫妻、仙洞仮御所から転居へ 地元高校の吹奏楽部から「生演奏の引っ越し祝い」
 平成から令和への御代がわりにともなって、2020年3月から仙洞仮御所(東京・港区)に“仮住まい”されている上皇ご夫妻の引っ越しが迫っている。 ご夫妻は4月中旬に宮内庁が管理する施設に一時的に移られ、引っ越し作業が済み次第、赤坂御用地(東京・港区)内にある仙洞御所(旧・東宮御所)に移られる予定だ。皇太子時代を過ごされた思い出が詰まった邸宅でGWを迎える見通し。これをもって、御代がわりにともなう、天皇ご一家も含めた一連の引っ越し作業が完了する。 引っ越しを控えた4月2日、仙洞仮御所周辺では、満開の桜と晴天のもと「高松桜まつり」が開かれた。コロナ渦の影響もあり2年連続で中止されていたが、今年は規模を縮小し開催。目玉は、地元にある東海大学付属高輪台高校の吹奏楽部による演奏だった。沿道には多くの人が集まり、生徒たちが奏でる調和のとれた演奏に聞き入った。「吹奏楽部は全国大会に何回も出場したことのある実力校です。50人以上の部員が2つのグループに分かれ、周辺の大通りを演奏しながら行進。仙洞仮御所のすぐ横の遊歩道でも演奏しました」(同校関係者) 演奏は14時ぴったりにスタート。校旗を掲げた3人の生徒を先頭に、ドラムメジャーの指揮に合わせ、赤いトップスと黒いパンツのおそろいのユニフォームに身を包んだ生徒たちは、『YMCA』などを演奏しながら足並みを揃えて進んだ。 仙洞仮御所の塀に面した場所まで来ると、演奏を一旦ストップし生徒たちは整列。仙洞仮御所のほうを向き、校旗を塀の内側にも見えるように高く上げ、吹奏楽の代表的なマーチ『アルセナール』を演奏した。 桜まつりの関係者が明かす。「実は、桜まつり開催にあたって町内会から、“お騒がせするかもしれません”と宮内庁側にお話ししていたんです。すると、“きっと上皇ご夫妻は演奏をお聴きになると思います”ということでした。 敷地内にいらっしゃるご夫妻に少しでも大きく、いい音を届けようと、生徒さんたちは懸命に演奏しました。上皇ご夫妻が聞いてくださったことは、生徒さんたちの大きな励みになったと思います」 直接の交流が難しいコロナ禍での、未来ある若者からの引っ越し直前の生演奏のプレゼント。上皇ご夫妻は高校生のパワフルな演奏に、仙洞仮御所の敷地から大きな拍手を送られたことだろう。
2022.04.07 16:00
NEWSポストセブン
筑附高進学の悠仁さま、会見が絶賛された愛子さまとは対照的な門出
筑附高進学の悠仁さま、会見が絶賛された愛子さまとは対照的な門出
「二十歳という節目を無事に迎えることができましたことを嬉しく思っております」 若草色のツーピースにパールのネックレスという落ち着いた大人の装い。マイクの前に座られた天皇家の長女・愛子さまの表情は自信に満ちあふれていた。 3月17日、皇居・御所で愛子さまの初めての記者会見が行われた。冒頭、愛子さまは前日に福島県沖で発生した地震の被災者を労い、亡くなったかたへ哀悼の意を捧げられた。上皇ご夫妻や天皇皇后両陛下が最も大切にされてきた、困難を抱える国民に寄り添うという心をしっかりと受け継いでいることを示された。その後はやや緊張されながらも、笑顔やユーモアを交えて、現在の心境をご自分の言葉で丁寧に語られた。「小さい頃から人見知りのところがございますので、これから頑張って克服することができればと思います」 その言葉に、学習院初等科・中等科時代に直面した壁が思い起こされ、胸が熱くなった人も多いはずだ。両陛下や上皇ご夫妻への感謝の気持ち、成年皇族としての抱負をゆっくりと、噛み締めるように語られた愛子さま。最も力を込められたのは、皇室のあり方についてのこんなご発言だった。「上皇陛下が折に触れておっしゃっていて、天皇陛下にも受け継がれている、『皇室は国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら務めを果たす』ということが基本であり、最も大切にすべき精神であると私は認識しております」 真摯な口調で語られたこの言葉は、天皇家の娘という運命を受け入れ、国民とともに歩むという決意表明にほかならない。 昨年12月1日、20才のお誕生日を迎えられた愛子さまは淡いメイクの近影とともに、文書で「ご感想」を発表した。「これからは成年皇族の一員として、一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております。そして、日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら自分を磨き、人の役に立つことのできる大人に成長できますよう、一歩一歩進んでまいりたいと思います」 同月5日には成年行事に臨み、正装であるローブ・デコルテに身を包まれた。叔母の黒田清子さん(紀宮さま)から借り受けられたティアラを戴き、颯爽とカメラの前に立たれた愛子さまのお姿には、多くの国民がため息を漏らしたはずだ。『皇室の窓』(テレビ東京系)の放送作家で、愛子さまの生誕時から成長を見守ってきた、つげのり子さんが目を細める。「愛子さまの立派なご感想に、涙が出そうになりました。『両陛下をお助けしたい』『感謝の気持ちを忘れず』というお言葉は、心の底から出てきたのだと思います。だから、多くの人の心を打ったのでしょう」 これまで多くの国民が、まるで“わが子”を見つめるように愛子さまの成長を見守ってきた。しかしこの先は、現実問題として「愛子さまはいつ皇室を去られるのか」という問いが重くのしかかる。 皇室典範は《皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する》と定める。父方が天皇の血筋である「男系」の「男子」のみが皇位を継承するとの定めであり、天皇の娘である愛子さまは「男系」でも「女子」であるため即位することはできない。 また、皇室典範には《皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときには、皇族の身分を離れる》と規定されている。つまり、愛子さまは結婚される前は1人の皇族として公務を担う存在であっても、結婚後は民間人として生きていかれるわけだ。それでも「愛子天皇待望論」が生じるほど、その存在感は圧倒的だ。「会見は完璧だったといっていいでしょう。手元の原稿に一切目を落とされることなく、記者たち一人ひとりの目を見て話されるお姿は、陛下のなさりようと重なりました。“愛子さまこそ天皇にふさわしい”という意見が出てくるのは自然なことだと思います。 一方で『愛子天皇待望論』は、国民世論の分裂を招き、皇室制度に混乱を来します。それゆえ、愛子さまに過剰にスポットライトが当たり、期待が高まりすぎるのは、皇室と国民世論の穏やかな関係という観点からは決して歓迎されることではないのです」(宮内庁関係者) 対照的な門出となったのが、秋篠宮家の長男・悠仁さまだ。奇しくも、愛子さまが成年会見を行われたのと同じ日、悠仁さまはお茶の水女子大学附属中学校を卒業された。今春、悠仁さまは名門国立校の筑波大学附属高校(筑附高)に進学される。皇位継承権を持つ男性皇族として、戦後初めて「皇族のための学校」である学習院以外の高校へ進まれることになる。 進学に際して悠仁さまが利用された、お茶の水と筑波の両附属校の間で結ばれている「提携校進学制度」をめぐっては「皇室特権ではないか」との批判が上がった。「この制度は、2017年、悠仁さまの中学選びのタイミングでできたため、“悠仁さまのために紀子さま主導でできた制度ではないか”とささやかれてきた。合格の判定基準はあいまいで、国立の学校にもかかわらず制度を利用した人数さえ非公表であり、不透明な制度だと指摘されてきました」(進学塾関係者) また、高校の合格発表と前後して、中学2年生次に文学賞の佳作を受賞した悠仁さまの作文に「コピペ疑惑」が持ち上がった。参考文献に記載されていないガイドブックなどと表現が酷似している箇所が複数見受けられたのだ。「秋篠宮家の側近が『悠仁さまは指摘に感謝されている』と公表したことが火に油を注ぎ、ますます批判が殺到しました」(前出・宮内庁関係者) 毎年30名前後の東大合格者を輩出する全国屈指の難関校・筑附高で「進学のための勉強」に追われることも疑問視されている。「受験戦争を勝ち抜いてきた優秀な生徒たちのレベルについていくのは簡単なことではなく、学力で取り残されはしないかと心配されます。しかし、『将来の天皇』である悠仁さまが注力すべきは、受験ではなく、落ち着いて取り組めるライフワークの学問を見つけることであり、帝王学を身につけることです」(前出・宮内庁関係者) 悠仁さまは、天皇として必要な姿勢や見識を身につけるため、「帝王教育」を受ける必要がある。しかし、その見通しは不安視されているのが現状だ。皇室制度史に詳しい京都産業大学名誉教授の所功さんの話。「現在の上皇陛下や天皇陛下は皇太子や皇孫として、お若いうちから象徴天皇となる心得を実の父や祖父からじかに学ばれました。しかし、悠仁さまは、皇嗣家である秋篠宮家の長男です。伯父の陛下を間近で見て学ぶことは難しい。今後どうなさるのか気がかりです」 国民は「将来の天皇」として悠仁さまを見つめる。そのため、時に「天皇の役割を果たすことができるのか」という厳しい視線にさらされる。「もちろん、国民の信任がなくても、制度によって天皇にはなれます。ただ、皇室制度は国民の理解があって成立するものです。悠仁さまは『将来の天皇にふさわしい人物』であると日々の生活のなかで示し、世間の期待から離れることがあってはいけません。 進学先に筑附高を選ばれた背景には、悠仁さまを東大に進学させたいという紀子さまの強いご意向があるともいわれています。東大卒の天皇は前例がない。紀子さまが東大にこだわられているのは、国民から支持されるために、学歴という“箔付け”をしたいというお気持ちがあるからかもしれません」(皇室記者)「天皇家のプリンセス」である愛子さまと、「宮家のプリンス」である悠仁さま。おふたりは永遠に比較され続ける──。※女性セブン2022年4月7・14日号
2022.03.29 11:00
女性セブン
秋篠宮さまと紀子さまの学習院への思いとは(写真/雑誌協会代表取材)
学習院を避ける秋篠宮さま「初等科時代の厳しい剣道の授業」が影響か
 2月16日、秋篠宮家の長男・悠仁さまが4月から国立の筑波大学附属高校(筑附高)に進学すると、宮内庁が発表した。悠仁さまは現在通われているお水女子大学附属中学校と筑附高との間の提携校進学制度に出願し、2月13日に同校で行われた学力検査を受けた結果、合格したという。これについて皇室と関係が深い学習院関係者はこうつぶやいた。「やはり筑波を受けたんですか。学習院高等科には、外部からの入学枠が若干名あるため、可能性もなくはないと思っていたのですが……」 戦前の『皇族就学令』には、「皇族の男女は学習院または女子学習院で教育を受ける」という旨が記されていた。そんな“皇族のための学校”であったはずの学習院を避け、2010年に悠仁さまがお茶の水女子大学の附属幼稚園に入園されてから、間もなく12年が経つ。 悠仁さまの入園と同時に、長女の眞子さんはAO入試で国際基督教大学(ICU)に入学。2015年には、次女の佳子さまが学習院大学を中途退学してまでICUに入学し直された。秋篠宮家と学習院の間には、かくも深き断絶がある。「学習院のルーツは、京都に設けられた公家のための教育機関です。その後、華族向けの学校に変わり、1877年に現在の校名になっています。戦後に華族制度が廃止されると、一般にも門戸が開かれましたが“皇族のための学校”であることに変わりはなかった。上皇陛下も天皇陛下も、学習院に通われました」(前出・学習院関係者) 秋篠宮さまもまた、幼稚園から大学までを学習院で学ばれた。「かなりわんぱくな男の子で、幼稚園の頃はタイガーマスクごっこが大のお気に入り。お友達を泣かせた際には、美智子さまが何度も謝罪の電話をかけられたそうです」(宮内庁関係者) この頃から、秋篠宮さまと学習院の間には小さな亀裂が入り始めていた。「初等科時代に、剣道の授業で厳しい指導を受け、それが大きなトラウマになったという噂があります」(前出・学習院関係者)紀子さまの居心地の悪さ 大学進学時には、秋篠宮さまはご自身の興味がおありの分野を学ぶため、学習院とは別の大学を希望された。「しかし、結局は父親である上皇陛下に反対されてそのまま学習院に進学されました。このとき不完全燃焼なお気持ちを経験されたからこそ、お子さま方の進路に関しては“本人の自由意思に任せる”という姿勢を貫かれている」(皇室記者) 煮え切らない思いを抱えながら進学された秋篠宮さま。1985年、大学構内の書店で一学年下の紀子さまと出会われる。おふたりは、秋篠宮さまが主宰する自然文化研究会の活動を通じて親交を深めた。「紀子さまは東宮御所にも足を運ばれるようになりました。美智子さまは“きこちゃん”とお呼びになり、実の娘のように接していたそうです。東宮御所の滞在時間は徐々に延び、お帰りは深夜になることもあったといいます」(前出・宮内庁関係者) おふたりは1989年に婚約。当時世間では“紀子さまフィーバー”が巻き起こったものの、学内には違った雰囲気もただよっていたという。別の学習院関係者が振り返る。「当時の紀子さまは、無理をして学習院らしく振る舞われているように見受けられました。例えば、報道陣に“ごきげんよう”と挨拶されたシーン。本来“ごきげんよう”は、親しい間柄の方への挨拶なんです。外の方に使うと、わざとらしい印象を持たれてしまうから、普通は使わない。先祖代々学習院というお家柄の方は、違和感を覚えていたのではないでしょうか。紀子さまが、そういった類の居心地の悪さを感じて、学習院に悪印象を持たれた可能性は充分あります」 ご夫妻は1990年にご成婚、翌1991年には眞子さんが誕生した。「秋篠宮さまがこだわってつけられた『眞』の字には、天性のものを失わず、自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩んでほしいという思いが込められているそうです。慣例にとらわれることなく子供の自主性に任せるという教育方針と通じるものがある。 これは、秋篠宮さまご自身が“伝統重視”の学習院で窮屈さを感じられ、同じ思いをさせたくないと願われたゆえの方針だったのではないでしょうか。思えばこのときから、秋篠宮さまの“暗闘”が始まっていたのかもしれません」(皇室ジャーナリスト)※女性セブン2022年3月3日号
2022.02.17 07:00
女性セブン
美智子さまの美しいコーデ
着こなし、装飾品、色使い…上皇后美智子さまに学ぶ「本物の上品さ」
 令和の御代がわりから、もうすぐ丸3年。いまもなお変わらぬ輝きを放つ上皇后美智子さまの「上品さ」の源はいったいどこにあるのか。美智子さまの「着こなしや身につけられた品々」を拝見すると、「洗練された大人の女性」へのヒントが見えてきた──。「シンプル&チラ見え」が輝かせる上品さ ファッション評論家・石原裕子さんは「シンプル」と「チラ見え」を美智子さまの上品さのキーワードとして挙げる。「美智子さまは華美になりすぎることのないように、光沢のある布づかいやアクセサリーなどの小物を上手にお使いになって上品な装いにされています。涙形のパールのイヤリングがお気に入りで、シンプルな装いの中のアクセントになっています」(石原さん・以下同) アクセサリーひとつで印象は大きく変わる。「大人の女性はシンプルなものを選ぶのがおすすめ」と石原さんは言う。●2005年6月 サイパン島ご訪問「左手に時計、右手にブレスレットという、美智子さまの鉄板コーデ。手首ぴったりサイズのバングルがお好みです。お手振りのときにチラッとのぞき、エレガントさが演出されています。針金のような細さが辛口です。 シャネルによく見られる、先端が黒に切り替わっている靴。履き口はベージュで足の延長のように見えるので、足が長く見える効果もあります」●2017年1月 葉山御用邸ご滞在 上皇さまとお揃いのニットの手袋、大きなポケットのジャケット、黒のスニーカーでカジュアルさを演出。「カジュアルな中でも襟元に見える『とき鴇色(桜色より濃く、桃色より薄い色)』のスカーフがはっとするほど美しく、女性らしさがグッと増しています。甘辛のメリハリをつけた上品な装いには脱帽です」“控えめカラー”で周りを立てる「美智子さまのファッションは基本、辛口。ですが、美しい色をチラ見えさせ、甘辛のメリハリをつけています」 退位礼正殿の儀でお召しになったドレスは、その“集大成”といえるほどの美しさを放っていた。「それ以降はグレーなどの落ち着いた色が増え、いまの両陛下に席を譲られたということを、服装でも表されているのではないでしょうか」 そうした「お心遣い」は、海外のご訪問時にも。「ご訪問先のお相手への配慮がとにかく細やか。コサージュや帽子に訪問国の国旗の色をあしらった花をつけるなど、随所に工夫が見られます」 では、美智子さまのような上品な装いのポイントとは。「肌をあまり露出しないこと、インパクトの強い柄ものなどはおすすめできません。シンプルなものを組み合わせ、イヤリングなどの小物で変化をつければ気品も生まれるでしょう。美智子さまのようなラウンドや四角い襟元ならすっきり装えます。細い帯締めのようなベルトを選べば、上品になると思いますよ」●2017年4月 春の園遊会 茶室の壁をイメージさせるような白茶色から淡い藤色へのぼかしの和服をお召しに。「美智子さまは微妙なお色目をお召しになることが多く、まるで一幅の絵のようになるほどに色を抑えられています。控えめな藤色の帯留めがアクセントになっていますね」●2019年4月 退位礼正殿の儀「退位の際のドレスは、美智子さまのファッションのよさが随所に見られる本当に美しいものでした。天女の羽衣のようなストール、銀から白のグラデーション、ため息が出るような素晴らしさです」●2019年4月 皇居周辺をご散策 腕を組まれて歩き、仲睦まじいご様子が伝わってくるおふたり。「トップスとパンツはシルクトリコット。千鳥格子のジャケットには四角いバックルのベルトをなさり、上皇さまのブルゾンとともに素敵なカジュアルを楽しんでいらっしゃいます」 さらに訪問相手に合わせた「心遣いファッション」も特徴だ。●2016年1月 フィリピン・マニラでの晩餐会 光沢のある白から黄色、ひわ色(黄色の強いもえぎ色)のぼかしが美しいドレスをお召しに。「背景に飾られた蘭の花に合わせて、胸元には蘭のコサージュをご選択。お隣のアキノ大統領の白い服とのバランスもお見事。お持ちのシャンパンの色まで考慮されたかのような繊細なお心遣いです」【プロフィール】石原裕子/皇室をはじめ、装いに幅広い知識を持つファッション評論家。美智子さまなど女性皇族方の、お務めの内容や歴史的背景も考慮した解説に定評がある。※女性セブン2022年2月17・24日号
2022.02.08 16:00
女性セブン
秋篠宮家は天皇家を支えられるだろうか(写真/宮内庁提供)
眞子さんと小室圭さん騒動の発端 秋篠宮家の「学習院拒否問題」とは何か
 秋篠宮家の長男・悠仁さま(15)は現在、お茶の水女子大附属中の3年生。お茶の水の附属高校は男女共学ではないため、今春どの高校へ進学されるのかに注目が集まっている。しかし、そもそも皇族方の「高校進学」が話題になるのは異例中の異例である。「かつて存在した『皇族就学令』には、皇族の男女は学習院または女子学習院で教育を受けるとあり、学習院が皇族方のための学校だったことは間違いありませんし、上皇陛下、天皇陛下、秋篠宮さまは幼稚園から大学までを過ごされました(上皇陛下は大学を中退)。長女・眞子さんと次女・佳子さまも共に高校までは学習院にずっと通学されてきたわけです」(皇室ジャーナリスト) もっとも眞子さんは大学から国際基督教大学(ICU)へ、佳子さまは学習院大を中退して同じくICUへ、そして悠仁さまは幼稚園からお茶の水に通われた。この点から、秋篠宮家側に、学習院を「軽視」あるいは「忌避」する姿勢が見え隠れするという指摘があるが、実際はどうなのだろうか。「佳子さまはICUを受験される際に、『教養科目や英語について特に力を入れて学びたい』と動機を語っていらっしゃったようです。裏を返せば、学習院が選択肢を提示しきれていないというふうにも受け取ることができます。他の宮家に目を向けても、高円宮家の長女・承子さまも学習院女子大を中退してエジンバラ大学を経て早稲田大を卒業され、3女・守谷絢子さんも学習院女子高校を卒業後、城西国際大に進学、同大大学院を修了しています。『学習院のスルー』は秋篠宮家だけの問題というよりは、時代の流れと言った方が適当かもしれません」(同前) 一方で、秋篠宮さま個人は、学習院に対する様々な思いを抱かれているようだ。「秋篠宮さまご自身、興味のある学問を究めたいと、大学からは学習院とは別のところへと考えられていたそうですが、現・上皇陛下を中心に引き留められて、従ったと聞いたことがあります。不完全燃焼だった部分があり、秋篠宮さまは卒業してからというもの、学習院との距離ができてしまった」(別のジャーナリスト) ある宮内庁関係者はこう心配する。「秋篠宮さまの考え方が眞子さん、佳子さま、そして悠仁さまの進学先に影響を与えた可能性はあります。とりわけ、将来の天皇陛下である悠仁さまには、受験などを経る必要がなく、落ち着いた環境で様々な経験を積むことが可能な学習院の方が望ましいのでは、という指摘はかねてからありました」 悠仁さまに関しては、お茶の水と提携校進学制度を結ぶ筑波大附属高校への進学も噂されてきた。「仮にそうなった場合、3年後の大学はどうするのかという問題もつきまといます。東京大学の農学部を目指されていると取りざたされたことがありますが……いずれにしても、皇族方の進学先が定期的に注目されていくのは時代の大きな変化なのでしょう」(同前) 一口に「進学先」といっても、皇族を受け入れる警備体制など、どんな大学でもいいというわけではないだろう。進学先が「その後」を大きく左右する可能性もある。秋篠宮さまは昨年11月の誕生日に関する会見で、眞子さんと小室圭さんとの結婚について、「皇室としては類例を見ない結婚となりました」「皇室への影響も少なからずありました」との感想を述べられていた。「宮内庁の中には、小室さんを巡る一連の騒動は皇室の品格にかかわる問題だと考える人は多く、秋篠宮さまの感想もそれに配慮してのものだったと見受けられます。大学に関して、“眞子さんが学習院に行っていれば、様々な騒動はなかったのではないか”と感じる人もいるようです。もちろん今は、小室さんとお二人で幸せになることが最も喜ばしいことであることには違いありません」(前出・宮内庁関係者) 秋篠宮家が切り開いてきた新しい「皇族の進学先」は、今後も注目を浴び続けていく。
2022.01.12 21:00
NEWSポストセブン
成年皇族となられたのは年が変わる少し前(写真/JMPA)
皇室の未来を担う愛子さまのご結婚相手 「男系男子」の候補者リスト
 愛子さまの晴れがましいご成人は、新年を迎えた令和皇室に華を添えた。一方、水面下では、細りゆく皇室の将来を救う希望の存在として、異例の「結婚計画」が動き出している。ご本人の意思はあるのかどうか、すでにお相手の具体的な名前まで挙がっている。 12月22日、安定的な皇位継承策などを議論する有識者会議が最終報告書をとりまとめ、3つの方策を示した。【1】内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する。【2】皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする。【3】皇統に属する男系の男子を、法律で直接皇族とする(養子縁組を経ず皇族となる)。「皇統に属する男系の男子」は、具体的には戦後皇籍を離脱した、いわゆる「旧11宮家」などを指している。 報告では、まず【1】と【2】の方策を検討し、これら2案で充分な皇族数を確保できない場合に、【3】を検討するという方向性が示された。しかし、これらの方策では不充分だとする指摘もある。「たしかにそれらが実現すれば、しばらくは公務の担い手を増やすことはできるでしょう。ですが、それは時間稼ぎでしかありません。根本的な問題は、安定的な皇位継承です。議論すべき課題にもう少し踏み込んでもよかった」(皇室ジャーナリスト) 皇位継承資格を持つ皇族は秋篠宮さま、悠仁さま、上皇陛下の弟である常陸宮さまの3人だ。「報告は、悠仁さままでの即位の流れは不変であることを前提としました。ですが、悠仁さまの次の世代はまったくの不透明です。悠仁さまが男子に恵まれるかどうかは未知数なのですから」(皇室記者) 現に、天皇陛下のもとには男子は生まれなかった。それ以前に、悠仁さまが結婚されるかどうかもわからない。生涯独身を貫いた皇族は過去にも存在する。 秋篠宮さまが天皇に即位すると、悠仁さまのお立場は皇太子へと変わる。そうなると迎える相手は「皇太子妃」だ。かつて皇太子妃として皇室に嫁がれた上皇后美智子さまも、皇后雅子さまも、慣れない皇室のしきたりやお世継ぎのプレッシャーから体調を崩されたことがある。「将来の天皇の妻」という重責は、あまりにも大きい。「そうなれば、皇統は途絶えます。有識者会議は、悠仁さま以降の皇位継承の議論をするには『機が熟していない』という判断です。しかし、万が一のことは明日起こるかもしれない。そうなってからでは遅いのです」(前出・皇室ジャーナリスト)愛子さまは「天皇の母」に適任 皇統は「男系男子」が担っている。男系男子とは、天皇の血を父方から受け継いでいる男子のことを指す。父親が天皇である愛子さまは、「男系女子」だ。一方、愛子さまが仮に男子をお産みになった場合、その子は母方から天皇の血を引く「女系男子」だ。前出の最終報告書に戻る。【1】では、女性皇族が結婚後も皇室に残った場合、夫やその間に生まれた子供は民間人として扱われ、皇位継承資格も発生しない。夫も子供も男系男子ではないので当然だ。【2】は対象が男系男子ではあるものの、養子となった男性は皇位継承資格を持たないとされる。皇室で生まれ育ったわけではない人物に、いきなり皇位継承資格が発生することには世間の理解が得られないということなのだろう。 だが、この2つの方策を重ねて考えると、「本当の意味が隠されている」と話すのは宮内庁関係者だ。「提言の深謀は、『女性皇族が男系男子を“婿養子”にすること』だと考えられます。つまり【1】と【2】をハイブリッドさせた方策です。そして、見据えられているのは、その間に男子が生まれることです。 この男子は、皇統を継ぐことのできる『男系男子』ですから、“血”の問題はクリアできます。かつ、天皇家や宮家に生まれた母を持つことで、皇族としての“品位”も充分に身につけていることになり、その点でも国民の理解を得られるでしょう。この条件下なら、皇位継承資格を認めてもいいという意見が出てくるのは自然なことです。結論は、宮内庁、官邸の思惑を踏まえて導き出されたものでしょう」 秋篠宮さまが即位されれば“本家”、つまり天皇家は秋篠宮家に移る。「女性皇族と男系男子の結婚」と「男子の誕生」を前提に悠仁さまの次の皇位継承者を考えると、可能性があるのは佳子さまの子だ。「ただ、佳子さまは“皇室脱出”を叶えた姉・眞子さんの最大の理解者であり、応援者でした。佳子さまも“姉のように結婚をして自由になりたい”という思いは強くお持ちのようです」(別の宮内庁関係者) となると、視線は愛子さまに向かうことになる。「愛子さまは、いずれ天皇家になることが決まっていた皇太子の家に生まれました。皇太子時代からの陛下のなさりようや皇室の意義、天皇に求められる姿勢や考え方を、幼いうちから学んでこられた。将来の天皇の母として、これほど適した女性はいません」(前出・宮内庁関係者)旧宮家からヒアリング では、その相手となる男系男子の「候補者リスト」にはどんな人物が並ぶのだろう。皇室関係の著書が多い評論家の八幡和郎さんが解説する。「戦後に臣籍降下した11の旧宮家の中でも、東久邇家や賀陽家には、愛子さまと年齢の近い男系男子がいます。ほかにも、戦前に皇室を離れた皇族や、江戸時代に公家の養子となった皇族に由来する『皇別摂家』の子孫まで範囲を広げれば、男系男子の数は案外多いのです」 もちろん、男系男子だからという理由だけで候補者となるわけではないだろう。ある程度、現皇室とのかかわりを考慮すると、リストの輪郭がさらにシャープに見えてくる。「東久邇家は、昭和天皇の長女で上皇陛下の姉にあたる成子さんの嫁ぎ先です。親戚づきあいも続いており、2019年には、上皇ご夫妻が東久邇家の当主の見舞いにお忍びで行かれています」(前出・別の宮内庁関係者) また、賀陽家の賀陽正憲氏は、天皇陛下の学習院初等科時代のご学友で、かつては自身が黒田清子さん(紀宮さま)の結婚相手として名を挙げられたことがある。「正憲氏には20代半ばの男系男子の子息が2人いるとされています」(前出・八幡さん) 2人とも学習院の出身だという。旧宮家以外では、皇別摂家の1つ、近衛家が注目される。「昭和時代に首相を経験した近衛文麿の本家はすでに男系の血筋が途絶えていますが、文麿の異母弟でオーケストラ指揮者の秀麿の家系には男系男子が残っているとされています」(前出・八幡さん) 近衛家は代々学習院の出身で、文麿の父・篤麿は学習院院長を務めた人物でもある。『女性セブン』は今回、こうした男系男子を擁する家系に取材を試みた。だが、みな一様にコメントを避けた。過去には饒舌にメディア取材に応じていた人でさえ、頑なに口を閉ざしている。「旧宮家の男系男子の皇籍復帰はかねてより何度も話題になりましたが、どこか机上の空論のような雰囲気があった。状況が一変したのは、2014年の第三次安倍内閣以降です。万世一系に固執する安倍官邸は、本腰を入れて彼らから直接ヒアリングを行ったそうです。皇籍復帰が現実味を帯びた状況では、取材に応えることも難しくなってしまったのではないでしょうか。 重ねて、眞子さんのお相手である小室圭さんの金銭トラブルがあれほど取りざたされた状況では、口を開きづらくなるのも無理はないでしょうね……」(前出・皇室記者) もちろん、外野がどれほどお膳立てを目論んでも、最後は愛子さまの意思が尊重されなければならない。新しい年を迎えた令和皇室の進む先を明るいものにするためにも、より深い議論が求められている。※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.06 07:00
女性セブン
陛下はジョギングを自粛されているという(撮影/JMPA)
危ない!「天皇皇后両陛下の車列にタクシーが」ハプニング一部始終
 皇室行事が並ぶ年末年始は、皇族方のお出ましの様子がメディアで報じられる機会も増える。2021年12月23日、上皇陛下が米寿を迎えられた。同日、天皇皇后両陛下は祝賀のため仙洞仮御所に足を運ばれたが、その直前、大きなハプニングが起きていた。「長年両陛下のお出ましを見てきましたが、こんなことははじめてでびっくりしました。両陛下が乗られている車をはじめ、白バイや警備の車を含めた車列が完全に停止したんです」 そう興奮気味に話すのはベテランの皇室ファンだ。 2020年は、コロナ禍の影響で上皇陛下のお誕生日の祝賀行事は見送られたが、2021年は規模を縮小して実施された。水色のドレスと帽子をお召しの雅子さまは、白い手袋をはめた左手を頬の高さまで上げられ、沿道に集まった人に向け、車内から笑顔でお手ふりされていた。 通常、両陛下がお出かけになる際には、車列は先導の白バイ、前衛の警備車両、両陛下が乗られている車、側近を乗せた車、後衛の警備車両などで編成される。長さはゆうに数十メートルに及ぶ。 警備上の観点から、両陛下を乗せた車は途中で停車することはない。警察官が信号を操作し、両陛下が通過される際には必ず“青信号”になる。また、付近で規制が行われるため、車列通過時に一般車両が近づくことはない。 その日も、車列は万が一に備えて歩道との距離を取るため、センターラインをまたぎながらゆっくりと荘厳に進んでいた。ところが―─。「あと少しで仙洞仮御所の正門というところで、車列が停まりました。なにか起きたのかと驚いていると、反対方向から1台のタクシーが走ってきたんです」(前出・皇室ファン) 沿道の警備にあたっていた警察官は、交通規制の際に使う赤い誘導棒を振りながらホイッスルを激しく吹きならす。車列の白バイは両陛下を乗せた車をガードするように左右にぴたりと張り付いた。「どうやら、規制のすき間に誤って入り込んでしまったようです。警備側としては、テロなどもあり得るので戦慄したでしょうね。即座に対応した沿道の警察官や白バイ隊員の動きは見事でした」(皇室記者) 緊迫のなか、タクシーは何事もなく走り去った。「なんで車がストップしたのか不思議でしたが、ちょうど目の前で両陛下の車が止まったから、近くでお顔を拝見できました。雅子さまと目があい、会釈もしていただきました。思わぬ事態でも動じないお姿を拝見でき感動しました」(別の皇室ファン) 車列の停車中も、両陛下は落ち着いたご様子だったという。警察官は肝を冷やしたハプニングだった。
2021.12.31 16:00
NEWSポストセブン
美智子さま
秋篠宮ご夫妻の「美智子さまファースト」、誕生日会見での発言にも注目集まる
“将来の国母”紀子さまが抱えられる「次の天皇家」の迷走という深き悩み。その難局を乗り切るためにすがったのは、“かつての国母”美智子さまだった。美智子さまの存在感はいまだ大きいが、それに頼り切る秋篠宮家の足元は、あまりに脆く、危うい。 美智子さまにとって、2021年の年末は例年にも増してお喜びが重なった。かわいい孫の愛子さまが20才の節目を迎えられ、58才の誕生日を迎えられた雅子さまには直接お祝いのメッセージを伝えられた。12月23日には上皇陛下が米寿を迎えられる。だが、皇室の未来を支える秋篠宮家は難局に直面している。 眞子さんは小室圭さんと結婚してニューヨークに渡ったが、小室さんは司法試験に不合格。結婚に至る過程で生じた国民の疑問に対し、十分な説明もしなかった。佳子さまはそれでも小室夫妻を一貫して庇い続け、一部の国民の声を“誤った情報”“誹謗中傷”などと切って捨てた。 一方、秋篠宮さまは、11月30日の誕生日会見で小室さんのことを「娘の夫」と呼び、決して名前を口にされなかった。また現在、お茶の水女子大学附属中学校3年生の悠仁さまは多感な時期を迎えられ、荒々しい言動が目立つようになったという。 まさに“空中分解”と言っていい状態だが、それでも現行の皇室典範では、皇統は現在の天皇家から秋篠宮家へと継がれていく。「次世代の天皇家が分裂状態というのは、前代未聞の危機的状況といえます。それでもなんとか保てているのは、美智子さまの存在あってこそです。それを充分にわかっているから秋篠宮ご夫妻はますます美智子さまに頼られるようになっているように見えます」(宮内庁関係者)「長男夫婦」と「次男夫婦」の距離 美智子さまと秋篠宮家の関係は、これまでも良好だった。「秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定は1989年。当時、紀子さまは“3LDKのプリンセス”と話題になり、“紀子さんスマイル”と気さくなお人柄で世間を魅了しました。美智子さまも“きこちゃん”とお呼びになり、実の娘のように接されていました」(皇室ジャーナリスト) 1990年に結婚され、翌1991年に長女の眞子さんが誕生。1994年には佳子さまがお生まれになり、明るいニュースが続いた。「紀子さまは美智子さまの一挙手一投足を熱心に観察され、言葉遣いや立ち居振る舞いを参考にされているようでした。宮内庁の内部では、“勉強熱心でいらっしゃる”と評判でしたね。毎週のようにお子さま方と一緒に美智子さまのもとに足を運ばれ、さまざまなことを吸収されようとしていたようです」(前出・皇室ジャーナリスト) 一方、1993年に当時皇太子だった天皇陛下が雅子さまと結婚され、2001年に愛子さまが誕生された。だが、「長男夫婦」と「次男夫婦」では、美智子さまとの距離の差は歴然としていた。「秋篠宮家のお子さま方とは頻繁にお会いでしたが、雅子さまや愛子さまと触れ合われる機会は極端に少なく、“嫁姑問題”が囁かれたほどでした」(前出・皇室ジャーナリスト) そんななか、2006年に41年ぶりの男性皇族である悠仁さまが誕生された。「ますます距離感は縮まり、紀子さまが“皇室の子育て”について美智子さまに教えを請うこともあったといいます。ですがいまになって思えば、美智子さまは危機感も抱かれていたのではないでしょうか。次男の秋篠宮さまは奔放な一面をお持ちでした。皇室の前例を踏襲することに疑問を持たれることも多かった。そんな秋篠宮さまが“次の天皇”を育てられることを気にかけていらっしゃったようにも思うのです」(前出・皇室ジャーナリスト) 重責を背負うことになり、一宮家から、世間の見方も少しずつ変わってきた秋篠宮家。それは、上皇陛下が退位され時代が変わり、秋篠宮さまが皇嗣となられると、より顕著になっていった。その流れの中で勃発したのが、眞子さんの結婚にまつわる問題だった。美智子さまファースト「上皇后となられてからも、やはり美智子さまの存在感は大きい。おでましの機会が少なくなったとしても、折に触れて皇室のお写真などが公開されるたび、美智子さまのお姿への注目は集まります」(前出・宮内庁関係者) 象徴されるのが「皇室カレンダー」だ。公益財団法人・菊葉文化協会が宮内庁の許可を得て制作・発行するもので、いわば公式版である。「皇室カレンダーは、1・2月に天皇ご一家と上皇ご夫妻と秋篠宮家、次の3・4月にはその時代の皇室の“主役”の写真が優先して掲載されるものです。令和になってからの3年間、3・4月は上皇ご夫妻のお写真です。天皇ご一家よりも先でいいのかと意見は分かれるところです」(前出・皇室ジャーナリスト) ここに来て、秋篠宮ご夫妻は「美智子さまを何より大切にする姿勢」を鮮明にしている。如実に表れたのが、秋篠宮さまの誕生日会見だった。 秋篠宮さまは眞子さんの結婚当日に文書で《皇室への影響も少なからずありました。ご迷惑をおかけした方々に誠に申し訳ない気持ちでおります》とコメントされた。誕生日会見では、そのお言葉について記者から「『皇室への影響』とは何を指すのか」という質問を受けると、秋篠宮さまはこう語られた。「娘の結婚に対して、上皇后陛下がいろいろ言われたとか、こういう考えを持っているというのが週刊誌に出たりもしました。(中略)負担になったことには間違いないと考えています」 このやり取りは大きな波紋を拡げた。前出の皇室ジャーナリストが指摘する。「眞子さんの結婚による『皇室への影響』といえば、国民から皇室への信頼や敬愛が損なわれたことだと理解していた人は多かったはずです。そして、秋篠宮さまがおっしゃる『ご迷惑をおかけした方々』は、国民や天皇陛下、皇室関係者や宮内庁職員を指すだろうと思われていました。 しかし、秋篠宮さまにとっての『皇室への影響』とは、美智子さまへの影響であり、迷惑をかけて『申し訳ない気持ち』なのは美智子さまだった。国民よりも、皇室全体よりも、天皇陛下よりも、まず美智子さまが大切な存在である。秋篠宮さまが会見でそれを打ち出されたことに驚いた関係者は少なくなかった」 それほど、苦境にある秋篠宮家にとって“崩壊”をすんでのところでつなぎ止めているのは、美智子さまなのだ。秋篠宮家を空中分解へと向かわせた眞子さんの結婚問題。その渦中でも、美智子さまは「家族が苦しい状況のときは、家族全体の苦しみである」と心配されていると、お気持ちを表明されてきた。「宮内庁には抗議の電話が鳴り止まず、“秋篠宮家はなぜ早く問題を解決しないのか”と職員はますます秋篠宮ご夫妻から心が離れていました。しかし、特にベテランの職員は、平成の30年間にわたって皇室を支え続けた美智子さまへの敬愛が深い。“美智子さまがおっしゃるなら”とご夫妻や眞子さんを献身的に支えた職員も多いのです」(前出・宮内庁関係者) 眞子さんの結婚直前の10月上旬には、美智子さまは「ミントグリーンのブローチ」をつけて、新たなお住まいとなる旧赤坂御所を訪問された。その姿は、メディアを通じて多くの国民も目にした。「ミントグリーンの衣装は、眞子さんが婚約内定会見や新年一般参賀など、重要な場面で好んでお召しになります。美智子さまがあえてその色のブローチをされて、眞子さんがいる赤坂御用地に赴かれたのは、眞子さんや秋篠宮家に寄り添われるというメッセージだと受け止められました」(ベテラン皇室記者) 紀子さまと美智子さまは、コロナ禍ということもあり、誕生日の食事会などでお顔を合わせる機会が著しく減った。それでも、陰に陽に、秋篠宮家への配慮を見せられる美智子さまのお姿は、どれだけ袋小路におられる紀子さまを励ましただろうか。だからこそ、秋篠宮さまは直近の誕生日会見で、驚くような“美智子さまファースト”を強調され、さらなる秋篠宮家へのサポートを期待されたのだろう。 だが、美智子さまも高齢になり、ご体調に不安を抱えている。いつまでその細腕に頼っていられるのだろうか。「責任感のお強い美智子さまは心を砕かれていますが、お年は87才です。朝夕の散策のほか、朝食後に本の音読をされるなど、規則正しい毎日を送られていても、微熱や手指のこわばりは続いているそうです。これ以上のご心労をおかけすれば、先に美智子さまの限界を招いてしまいかねません」(前出・宮内庁関係者) 家族の結びつきをいま一度強固なものにするために、紀子さまの奮起が待たれる。※女性セブン2022年1月6・13日号
2021.12.17 11:00
女性セブン
2021年10月、そろい踏みされていた悠仁さまら秋篠宮家(東京・港区。写真/宮内庁提供)
眞子さん結婚問題、佳子さまの反発 職員の心も離れ…深刻な秋篠宮家の分裂
 美智子さまにとって、2021年の年末は例年にも増してお喜びが重なった。かわいい孫の愛子さまが20才の節目を迎えられた。コロナ禍で人に会うのも憚られるなか、58才の誕生日を迎えられた雅子さまに直接お祝いのメッセージを伝えられた。そして、12月23日には上皇陛下が米寿を迎えられる。 上皇陛下の退位からはや2年半。“次の世代”に任せたはずの皇室は足元から揺らぎ、美智子さまを大いに悩ませている。懸案は、ご立派に成人された愛子さまを擁する天皇家とは正反対といってもいい、秋篠宮家の分裂──。 小室眞子さんが結婚、渡米してから1か月が過ぎた。夫の小室圭さんは、ニューヨーク州の司法試験に不合格だったため、年収600万円ほどといわれる法務助手として法律事務所に勤務している。「本人たちは新婚生活を謳歌しているようですが、禍根はあまりに大きい。文書を読み上げるだけの一方的な結婚会見で“逃げ切り婚”を果たした小室夫妻への国民の疑問は、いまだくすぶり続けています。その小室夫妻を一貫して庇い続け、結婚時には一部の国民の声を“誤った情報”“誹謗中傷”などと、切って捨てられた佳子さまへの落胆の声も聞こえてきます」(皇室記者) 宮内庁は小室夫妻の結婚と渡米をもって幕引きとしたかったはずだ。ところが、11月30日の誕生日に際しての会見での秋篠宮さまのお言葉が、さらに物議を醸すこととなった。「小室さんとの面会の印象を聞かれ、“(20分程度だったので)特に私にはありませんでした”とバッサリ。それどころか、小室さんのことを“娘の夫”と呼ばれ、決して名前を口にされることはありませんでした。長女の結婚相手に向けられた言葉とは思えないほどの素っ気なさでした」(前出・皇室記者) かねて、小室さんへの不信感を募らせていたという秋篠宮さま。結婚にゴーサインを出されるきっかけとなった、小室さんの「司法試験合格の手応え」が一転、不合格だったことへの煮え切らない思いもおありだったのだろう。「結婚が成立した以上、幸せを願うお気持ちが聞かれると思っていたのに、出てきたのは怒りにも似たお言葉でした。秋篠宮さまは溜飲を下げられたかもしれませんが、特に小室夫妻の“味方”だった佳子さまはご両親への反発の気持ちを強くされているといいます」(宮内庁関係者) 秋篠宮家へ向けられる視線が一層厳しくなるなか、現在、お茶の水女子大学附属中学校3年生で、多感な時期を過ごされている悠仁さまにも少なからぬ影響があったようだ。「悠仁さまは、荒々しい言動が目立つと聞きます。紀子さまに対する物言いは顕著なもので、ささいな言い間違いを繰り返し指摘し、職員のいる前で面罵されることがあるそうです。紀子さまは黙り込まれてしまうといいます」(別の宮内庁関係者) お子さま方の心が離れていくことは、紀子さまにとって耐えがたいことに違いない。「紀子さまはとにかく細かいことに目が届かれる。民間から皇室に入られ、さらに『将来の天皇の母』としての責務を果たされたいという責任感があってのことでしょう。 ところが、紀子さまの高すぎる要求についていけない職員もいる。秋篠宮家は“ご難場”と呼ばれ、職員が次々と辞めたことがありました。積極的にお支えしようという気持ちが希薄になり、その上、眞子さんの結婚問題が大きな騒動に発展した。すでに職員の心は離れています」(前出・宮内庁関係者) ご一家どころか職員まで、まさに“空中分解”と言っていい。だが、いかなる状態にあろうとも、現行の皇室典範では、皇統は現在の天皇家から秋篠宮家へと継がれていく──。※女性セブン2022年1月6・13日号 オーバーサイズ感のある着こなしの眞子さん、オーソドックスな小室さん 写真117枚 ぴたりと揃って二人で会見(写真/JMPA) 写真117枚
2021.12.16 07:00
女性セブン

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