演歌歌手・松原のぶえ(53才)が、腎不全を患い、腎臓移植を受けて生還したことを告白した──。
2002年、北島音楽事務所から独立した松原。翌年には、デビュー当時からマネジャーを務め、独立後は事務所社長も務めていた夫の多額借金問題とドロ沼離婚劇で世を騒がせる。当時、松原は42才。体の異変は、この頃から起き始めた。
「いちばんストレスに悩んだ時期なんです。独立後はすべて自分が矢面に立つでしょう。お酒もたばこもやらないのに、どうにも疲れるなぁっていう日々が続きまして。日焼けしたように肌が黒くなって、全身がむくんでいったんです。その時は、精神的なものだったり、風邪を引いているのかなって自分で決めつけちゃって…。1年間も病院に行かなかったんです」(松原)
症状は悪化するばかりで、ついには夜、布団に入っても息ができないほど苦しく、眠ることさえできなくなった。意を決して病院へ行った松原は、そこで衝撃の事実を知らされる。
「肺に大量の水が溜まっていたんです。しかも、腎臓が2つとも2%しか機能していないこともわかりました。そのときの私の腎臓、梅干しみたいに小さく固まっていたんです。あと1日か2日遅かったら、尿毒素が脳に回って大変なことになっていたと、先生に言われました」(松原)
診断結果は、重度の腎不全。腎臓には、体内の水分を調節し、血液を濾過して老廃物を尿として排泄する機能があるが、腎不全になると、この機能が失われる。
当初、薬だけで治療していた松原だったが、2007年の夏、人工透析を受けることを決断する。しかし、ここで問題が起きる。一般的に、透析は1回に5時間ほどかけるが、松原は、3時間以上やると血圧が急低下してしまう特殊な体質だったのだ。
「最初に透析を受けた時、一気に血圧が下がって、全身が硬直しちゃいましてね。結局、3時間しか透析を受けられないことになったんですが、そうなると、透析をしても血液の半分はまだ汚いわけです。食事や水分の摂取制限も厳しくて、水もわずかに口に含むくらいが精一杯。食べ物も水もダメ、やりたいことも疲れるからできない。この頃は本当につらくて、“もう人間やめちゃおうかな”って思ったくらいです」(松原)
そんな彼女をいちばん側で見ていたのが、独立以降ずっとマネジャーを務めてきた、2才下の弟の廣原伸輝さんだ。そして2009年4月、公演に向かう車の中で、伸輝さんは、松原にこう告げたのだという。
「姉さん、来月、移植手術をしよう。ぼくの腎臓あげるから」。松原は仰天し、聞き返した。「何言ってんの? そんなことできるわけないでしょ!」。しかし、伸輝さんは頑として譲らなかった。
「なにしろ、すでに病院も先生も決めてあったんです。もうキャンセルはできないよって(笑い)。自分は大丈夫だという変な自信があったし、姉にはずっと歌を歌ってほしかったので…」(伸輝さん)
この時、伸輝さんは、実家の母に初めて松原の病を告げたというが、母は予想通り、驚き、泣き崩れたそうだ。
「母親も“私の腎臓をあげるから”って聞かないんです。でも、70才近い母親の体にメスを入れるのは、絶対に反対だった。ぼくなら絶対に大丈夫だからって、なかば無理矢理納得してもらったんです」(伸輝さん)
最終的に、松原も弟の好意を受け、腎臓移植手術に踏み切ることになった。そして、6時間に及ぶ移植手術は、無事成功。松原は2週間で退院し、排尿も順調で、生活が一変した。
※女性セブン2014年12月18日号