そんな関さんは、中学校に入学すると「勉強」以外の道に目覚める。
「入った中学は新体操の強豪校。幼い頃から、踊ることが大好きだった私は、自然に新体操部に入部しました。県大会の常連で、部員が20人以上もいる、校内でも人気の部でした。2年生になると部長に抜擢され、試合に出るために、プロポーションを保とうと、“食べないダイエット”を始めました」
もともと、頑張り屋だった関さんは、「何を食べたら、体にどのような影響が出るか」ということに興味を持ち、納得いくまで追究することにした。弁当は自作し、炭水化物はほとんど摂らず、食事は野菜中心。添加物にも気を使い、ファストフードは一切、食べなかった。
ストイックに「食と体の関係」を追究した結果、半年で一気に8kgほど体重を落とした。まだ14才、中学2年生のときである。その“努力”が、成長過程にある関さんの体に、後々まで及ぶ影響を与えることとなる──。
「ホルモンバランスが崩れたのか、月経が止まってしまったんです。ショックを受けましたが、しばらくは母親にも話せませんでした…。心配させたくない、というのはもちろんですが、ダイエットを止められるのが嫌だったんですね。
月経が止まってしまってから半年ほどしてようやく母に相談して、病院に行き、子宮や卵巣の機能など検査をしました。でも、結果は異常なし。原因はわかりませんでした」
関さんは不安を抱えながら中学を卒業し、県内でも有数の進学校に進み、医師を目指すことにした。新体操は引退したものの、体は元には戻らなかった。勉学に励みながらホルモンバランスを整えるための通院を余儀なくされ、投薬中心の「対症療法」を3年間続けた。そして2001年、山梨大学医学部に現役で合格する。
「医師になるのが当たり前という環境だったので、ほかの職業につくということが想像できませんでした。医学部に入ってから自分は料理が好きだということに気づき、医学生のときから料理教室に通ったり、栄養学についての勉強を続けていました。料理好きが高じて、所属していた写真部の部室を勝手に改造してカフェ化して、友人たちに手料理を振る舞うほどでした。
そうこうして卒業して研修医になり、病院でいろいろな科を回りましたが、これだ!というものは見つからない。そんなときに起きたのが、東日本大震災だったんです」