死去から国葬までのプロセスは、生前の彼女自身が緻密に計画したものだった。9月19日に行われたイギリスのエリザベス女王(享年96)の国葬。イギリスでは1960年代からこの日に備えて、「ロンドン橋作戦」と呼ばれる葬儀計画の準備が進められていた。会議には女王も参加し、自らの葬儀のすべての進行に目を配ったという。
女王が唯一、棺に入れることを望んだもの、それは昨年4月に99才で他界した夫・フィリップ殿下との結婚指輪だった。国王に即位した息子・チャールズの提案で、棺の上には女王夫妻の結婚式のブーケに用いられた花のギンバイカが飾られた。
国葬当日には、毎朝女王に目覚めの曲を届けた専属のバグパイプ奏者が奏でる追悼の音色が、ウェストミンスター寺院に鳴り響いた。沿道やパブリックビューイング会場には多くの国民が駆けつけ、偉大な女王との別れを惜しんだ。ウィンザー城へ向かう霊柩車は後部の窓が大きく、天井がガラス張りで、沿道から女王の棺を見ることができた。これも「開かれた王室」をめざした女王のリクエストだった。
聖ジョージ礼拝堂で行われた埋葬式の後半には王権を象徴する王冠と宝玉、王笏が棺の上から取り除かれ、エリザベス女王の棺は最愛のフィリップ殿下の隣に埋葬された。イギリスの君主として歴代最長の70年にわたり在位しながら、亡くなる2日前まで公務をこなして、ピンピンコロリで夫のもとに旅立った女王。多くの国民に見送られた彼女は、なぜ96才にして「生涯現役」を達成できたのだろうか。
いつだって生きることに前向きだった
人生100年時代をどう生き切るかは、誰にとっても大きなテーマだ。それは同時に、どのように死を迎えるかという問題でもある。そういった意味では、9月8日に死去したエリザベス女王の最期は理想的と言える。
死の数日前、女王は滞在先のスコットランド・バルモラル城に招待した親族らと王室伝統の狩猟イベントや夕食を楽しんだ。このときの女王は元気で、何でも自分でこなしていたという。最後の週末をともに過ごしたスコットランド教会の牧師は、英紙にこう述べた。
「彼女の健康状態が悪いことは知っていましたが、日曜日(4日)に彼女と別れたとき、とても前向きで、数日間で状況が大きく変わったとはとても信じられません」