ライフ

『苦役列車』で芥川賞受賞の西村賢太新作にネガティブな快感

【書評】『寒灯』(西村賢太著/新潮社/1365円)
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)

 * * *
 平成の私小説作家、芥川賞受賞後第一作品集である。受賞作「苦役列車」で、友も、恋人も、お金も、将来の展望もなく、その日暮らしをしていた北町貫多が、今回も主人公だ。本作品集は三十代半ばから四十過ぎの話であり、日雇いの身で小説をぽつぽつ書いている。そんな彼も恋人とマンションに愛の巣をかまえるようになる。

 芥川賞受賞で経済的にゆとりもでき、いよいよ新しい貫多の姿が見られるのかと思いきや、本書の四編はすべてその前のできごとで、西村ファンには「秋恵シリーズ」として人気の緩やかな連作ものなのだ。

 新居生活を始める資金も、じつは秋恵の実家から半ば騙しとった形で、パート勤めの秋恵に食べさせてもらっているありさま。なのに癇症の貫多は心優しい恋人に対して、管理人のあしらい方が悪いの、異臭がわからないのは田舎者だのとイチャモンをつけ、健気な誕生日プレゼントをあしざまに貶し、初めて二人で迎える正月に帰省する彼女の「その了見が慊い」と罵倒する。今回も、せっかく得たなけなしの幸せが指の隙間から零れ落ち、もろい砂のお城がずぶずぶと崩れていくさまを読者は凝視することになる。

 一種のDVものゆえ一部の読者には不興を買うかもしれない。しかもこの貫多、どんなに激昂しても自分のことを「ぼく」と呼び、ハンカチを持たずに飛び出すことをはしたなく思い、暮れには風呂場を磨きあげる。妙に折り目正しく行儀がいい無頼というところがまた厄介なのだ。

「根が機嫌伺いにできて」いるくせに「根がムヤミと誇り高く」「根はかなりのインテリ」でもあり、しかし「根がへまにできて」いるうえ「常に手元不如意」、ところが「根がかなりのスタイリスト」で「根が坊ちゃん気質」という矛盾のかたまりの貫多。どっちを向いても、己の根性に首をしめられてしまう。

 ああ、このネガティブな快感。落下のストイシズム。それをたっぷり堪能しながら、読者は呟くだろう――これってわたし/おれのことだよね。

※週刊ポスト2011年9月16・23日号

関連記事

トピックス

全米の注目を集めたドジャース・山本由伸と、愛犬のカルロス(左/時事通信フォト、右/Instagramより)
《ハイブラ好きとのギャップ》山本由伸の母・由美さん思いな素顔…愛犬・カルロスを「シェルターで一緒に購入」 大阪時代は2人で庶民派焼肉へ…「イライラしている姿を見たことがない “純粋”な人柄とは
NEWSポストセブン
各地でクマの被害が相次いでいる
JR東日本はクマとの衝突で71件の輸送障害 保線作業員はクマ撃退スプレーを携行、出没状況を踏まえて忌避剤を散布 貨物列車と衝突すれば首都圏の生活に大きな影響出るか
NEWSポストセブン
真美子さんの帰国予定は(時事通信フォト)
《年末か来春か…大谷翔平の帰国タイミング予測》真美子さんを日本で待つ「大切な存在」、WBCで久々の帰省の可能性も 
NEWSポストセブン
(写真/イメージマート)
《全国で被害多発》クマ騒動とコロナ騒動の共通点 “新しい恐怖”にどう立ち向かえばいいのか【石原壮一郎氏が解説】
NEWSポストセブン
シェントーン寺院を訪問された天皇皇后両陛下の長女・愛子さま(2025年11月21日、撮影/横田紋子)
《ラオスご訪問で“お似合い”と絶賛の声》「すてきで何回もみちゃう」愛子さま、メンズライクなパンツスーツから一転 “定番色”ピンクの民族衣装をお召しに
NEWSポストセブン
”クマ研究の権威”である坪田敏男教授がインタビューに答えた
ことし“冬眠しないクマ”は増えるのか? 熊研究の権威・坪田敏男教授が語る“リアルなクマ分析”「エサが足りずイライラ状態になっている」
NEWSポストセブン
“ポケットイン”で話題になった劉勁松アジア局長(時事通信フォト)
“両手ポケットイン”中国外交官が「ニコニコ笑顔」で「握手のため自ら手を差し伸べた」“意外な相手”とは【日中局長会議の動画がアジアで波紋】
NEWSポストセブン
11月10日、金屏風の前で婚約会見を行った歌舞伎俳優の中村橋之助と元乃木坂46で女優の能條愛未
《中村橋之助&能條愛未が歌舞伎界で12年9か月ぶりの金屏風会見》三田寛子、藤原紀香、前田愛…一家を支える完璧で最強な“梨園の妻”たち
女性セブン
土曜プレミアムで放送される映画『テルマエ・ロマエ』
《一連の騒動の影響は?》フジテレビ特番枠『土曜プレミアム』に異変 かつての映画枠『ゴールデン洋画劇場』に回帰か、それとも苦渋の選択か 
NEWSポストセブン
インドネシア人のレインハルト・シナガ受刑者(グレーター・マンチェスター警察HPより)
「2年間で136人の被害者」「犯行中の映像が3TB押収」イギリス史上最悪の“レイプ犯”、 地獄の刑務所生活で暴力に遭い「本国送還」求める【殺人以外で異例の“終身刑”】
NEWSポストセブン
“マエケン”こと前田健太投手(Instagramより)
“関東球団は諦めた”去就が注目される前田健太投手が“心変わり”か…元女子アナ妻との「家族愛」と「活躍の機会」の狭間で
NEWSポストセブン
ラオスを公式訪問されている天皇皇后両陛下の長女・愛子さまラオス訪問(2025年11月18日、撮影/横田紋子)
《何もかもが美しく素晴らしい》愛子さま、ラオスでの晩餐会で魅せた着物姿に上がる絶賛の声 「菊」「橘」など縁起の良い柄で示された“親善”のお気持ち
NEWSポストセブン