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部落差別自作自演事件を描いたルポに「犯罪小説顔負け」の評

 それは一・被差別部落の事件というより、ひとりの「人間の事件」だった。福岡・筑後地方のとある〈ムラ〉で、「全国水平社」結成以来の解放運動百年史に泥を塗るようなその事件は起きる。平成15~21年に亘り町長や学校長、さらには自分自身宛てに44通もの〈差別ハガキ〉を匿名で送りつけたとして、県警は立花町役場嘱託職員〈山岡一郎〉(仮名)を偽計業務妨害容疑で逮捕、同21年には懲役1年6月、執行猶予4年の有罪判決が下った。

 高山文彦著『どん底』は、この稚拙にして悪質な前代未聞の事件の深層に迫ったルポということになろうか。事実は小説より奇なりとは言うが、山岡を駆り立てたお粗末すぎる野心といい、事後に見せる狡猾さといい、人間心理の不可思議さを切り取る実録として、誤解を恐れずに言えば犯罪小説顔負けに“面白い”のである。

 そう。この憎むべき事件を起こした彼こそは普通の人間ではないか……そんないやに共感めいた悪寒が、背筋をゾワリと掻き撫でる。

 高山氏には「解放の父」こと松本治一郎の評伝『水平記』(2005年)や組坂繁之・部落解放同盟中央執行委員長との共著『対論 部落問題』(2008年)があり、今回の一件も組坂氏から謝罪の言葉と共に聞かされたという。高山氏はこう語る。

「舞台となった立花町は彼の縁戚の組坂幸喜氏が書記長を務める解放同盟筑後地協の管轄で、本当に面目ないと、しきりに頭を下げる彼らが、むしろ気の毒でね。地協の立花支部で会計責任者を務め、支部の推薦で町の地域指導員の職も得た山岡は、ムラに住みながらにムラを差別し、〈部落が伝ります〉などと、おぞましい言葉を44通も綴り続けた。僕も実物を見た時は愕然としましたよ。この歪な執念は、いったい何なのかと」

 彼は動機を〈雇用継続〉、つまり5年契約で雇われた自分が攻撃対象になれば逆にクビにできないと思ったと供述。平成14年には同和対策事業特別措置法の期限が切れ、22年には八女市との合併が控えてもいた。

「ただし彼が役場から得ていた給料は月14万円程度。いやもっと根の深い懊悩や文学的主題すら潜んでいるはずだと思って取材を進めるうち、ふと浮かんだ映画の題名が『存在の耐えられない軽さ』……。要は今の給料を守り、できたらムラの施設の館長になりたいとか、その程度の〈自己実現〉なんですよ。そんな〈魔物〉というよりは蛆虫というか、“浅ましい欲望”がうようよ這い出す光景を目の当たりにした思いでした」

 巻末にはハガキの実物も転載され、わざわざ〈死〉という字だけを型抜きして〈「作品」の完成度〉に拘るなど、目的を離れて暴走する表現欲が何とも不気味だ。また一躍〈悲劇のヒーロー〉となった彼は全国から講演に呼ばれ、時には〈一家総出〉で聴衆の涙を誘った。

「以前は可もなく不可もない男というのが周囲の評判だったんですけどね。それだけに悲劇の一家を人々は心から励まし、支え続けた。彼の自作自演を疑う人は、少なくとも〈空き巣事件〉で彼の家から支部の積立金約70万円が盗まれるまでは皆無だったと言い、一方でいつか誰かがこの手の事件を起こすと思っていた人もいるにはいた。

 立花町では1990年代にもある教師が出自を暴露する密告文に家庭をメチャクチャにされて町を去る事件があり、徹底追及した同盟側も犯人特定まではできなかった。その経緯を山岡は見ているんですよ。

 たぶん今回も犯人は特定されないと踏んで彼が犯行に及ぶ一方、判決が出てなお彼を信じ、控訴を勧めた人もいた。そんなイマドキ珍しいような隣人愛が一般には部落と一言で括られてしまうこのムラにはあり、その繋がりこそ最大の被害者だったことも、僕は書いておきたかったんです」

※週刊ポスト2012年4月20日号

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