【著者に訊け】黒木亮/著『鉄のあけぼの(上・下)』(毎日新聞社・各1575円)
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これも「原点」を省みる試みの一つなのだろう。黒木亮氏(55)の最新刊『鉄のあけぼの』は、川崎製鉄初代社長・西山弥太郎(1893~1966年)の生涯を追ったノンフィクションノベル。日本の戦後復興を支えた基幹産業中の基幹産業・鉄をめぐる熱き夢と挑戦の物語である。黒木亮氏はこう語る。
「戦後を代表する経営者として本田宗一郎や松下幸之助に匹敵する実績を残しながら、西山弥太郎の名前はなぜかほとんど知られていない。彼がいなければ日本の高度経済成長はあと10年遅れていてもおかしくないほどなのに今まで誰も書かずにいてくれて、僕にとっては逆にラッキーでした」(黒木氏・以下「 」内同)
〈日本は貿易立国しかない、だから鉄をつくるのだ〉と焦土の中で戦後のグランドデザインを描き、〈日本人は、『故郷のあるユダヤ人』になろうじゃないか〉と語った信念の人は、一方で社員や工員を大事にし、現場にも一日数回足を運ぶ文字通りの〈鉄屋〉だったという。
「なぜ今、川鉄なのかと、僕もよく聞かれるんですが、西山弥太郎という男の人生に時を超えて心を動かされたというのが、最も正確な執筆動機かもしれません。日本が戦争に負けた以上、9000万人がどうこの島国で食っていくかという観点で仕事をした人が当時は政財官を問わずいた。
最近は屈折の仕方が面白い人物はいても、明るくて真っ当で素直に尊敬したり感動できる人物はなかなかいない(笑い)。まして世のため人のためなんて今や死語ですが、僕はそういう人間こそ、後世に書き残すべき普遍的な価値があると思う」
川崎製鉄(以下「川鉄」、現・JFEスチール)は、川崎重工の製鉄部門および兵庫・葺合等6工場を引き継ぐ形で1950(昭和25)年に発足した。川重が戦後過度経済力集中排除法の対象となり、一方で労働争議が激化する中、造船部門からの分離独立を一貫して主張した東京帝大冶金科出身の西山は、社長就任早々、千葉・東京湾岸の埋め立て地に〈銑鋼一貫製鉄所〉を建設し、昭和33年には世界最大級の岡山・水島製鉄所建設に着手。
夢半ばで病に倒れたものの、世界的鉄鋼需要の拡大を見越して〈高炉メーカー〉への脱皮を図り、千葉工場の第2期計画では総事業費216億円強のうち2000万ドルを〈世銀融資〉で取りつけるなど、やることなすこと全てが破格だった。
「関西のいち平炉メーカーに過ぎなかった川鉄の資本金は当時5億円で、いかに常識外の投資をものにしたかがよくわかる。それこそ子供の頃に習った“日本の何大工業地帯”がゼロから作られていく光景を僕自身、本書を通じて目の当たりにし、その想像力と実行力に改めて度肝を抜かれました。
僕は常々、人間には食欲や性欲の他に“創造欲”があると思っているんですが、西山ほど創造欲旺盛で桁違いに大きなことを考える人も珍しい。しかも大川重の社長の座を目前にしながら、俺は鉄屋だから鉄をやると言った彼にとって分離独立は信念というより〈執念〉で、その気質は職人や芸術家に近いかもしれません」
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2012年8月31日号