【著者に訊け】黒田夏子氏/『abさんご』/文藝春秋/1260円
排除でも、非難でもなく、「よける」。第148回芥川賞を『abさんご』で受賞した黒田夏子氏(75)は、自身の目的や美意識に副わないものを「邪魔ならひょいとよければいい」と宣う、しなやかな人だった。受賞作の横書きもそう。
「今は世の中に出回っている文書のほとんどが横書きですし、数字や欧文表記も難なく抱えこめる横書きの日本語は、その機能性ゆえにわたくしたちの生活に馴染んできたと思うんです。
ところが国語の教科書や文学作品は今も縦組みで、横でもいいものを縦にすることで無色透明でなくなるというか、いかにもこれは文学ですという意味が出てしまう。そういうしきたりとか文学的情趣が、私の場合は邪魔だったんですね。おかげで文学賞や作品の発表の場にも縁遠く生きてまいりました(笑い)」
全編横組みの、固有名詞や人称代名詞を一切排した独特の文体は、本書がデビュー作となる黒田氏の年齢と共に広く話題を呼んだ。
なるほど読みやすくはない。一字一字を追わなければ意味をつかみ損ねる平仮名表記。人とモノを同列に主語にした超・三人称ともいうべき客観描写。時系列も戦後~平成を行き来しつつ、幼くして片親を亡くした〈ひとり子〉が〈あとから死んだほうの親〉を見送るまでを描く全15の断章は、それでいて「『ため息』をもらさずに読み終えることなどとてもできない」(蓮實重彦氏)ほど美しいのだ。
「いったん慣れてさえいただければ、たぶん大丈夫、だと、思います(笑い)。私自身、4つの時に母を亡くし、父と暮らした家をのちに出た一人娘ですが、個人の表層的経験を超えた言葉にならないあの感覚やあの思いを、何とか言葉にしたくて小説を書いている。登場人物の性別や語り手の存在すら特定できない客観描写に徹し、漢語を不用意に使うこともあえて避けました。
漢字というのは拾い読みが可能なほど視覚的なぶん、意味や使い勝手が限定されてしまう。そうした縛りを離れ、むしろ言葉の語源や元々の働きに戻ろう戻ろうとする、願いみたいなものがあるんですね」
横のものを縦に引く無理は承知の上で冒頭の断章の書き出しを一部紹介しよう。
〈aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのかと,会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが,きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったから,aにもbにもついにむえんだった.その,まよわれることのなかった道の枝を,半せいきしてゆめの中で示されなおした者は,見あげたことのなかったてんじょう,ふんだことのなかったゆか,出あわなかった小児たちのかおのないかおを見さだめようとして,すこしあせり,それからとてもくつろいだ〉(受像者)
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2013年2月15・22日号