国内

かんだやぶそば 焼失家屋は音響装置としても価値が高かった

 突然の災難を惜しむ声は方々からあがっている。作家で五感生活研究所の山下柚実氏もそのひとりだ。

 * * *
 2月19日夜、東京神田にある老舗そば屋「かんだやぶそば」で起きた火災。テレビのニュースやワイドショーでは繰り返し、赤く燃えさかる炎と木造家屋とを映し出しました。

「かんだやぶそば」は池波正太郎ゆかりの蕎麦屋などと紹介され、連日列ができていた人気店。「かえしが燃えた」、「代々受け継がれてきた味が失われた」。テレビは、繰り返し繰り返し、蕎麦の「かえし」を問題にしていました。

「かえし」とはご存じ、醤油や砂糖から作られた、そばつゆの原液のようなもの。それが火事で燃えてしまったらしい。火災は大変な災難であり燃えてしまった「かえし」は味を構成する大切な要素です。が、そのことばかりに話題が集中するのを聞いていて、ちょっと不自然さを感じたのは私だけでしょうか?

 大正時代に建てられた建物は、板塀に囲まれ、都心部には珍しくゆったりとした空間でした。硝子ごしに、和風の中庭を見ながら蕎麦をすする。その空間に、落ち着きと愛着を感じてきた人も多いはず。建物は東京都選定の歴史的建造物にも指定されていたとか。

「五感」というテーマで取材や執筆に取り組み、こだわりをもっている私としては、「かんだやぶそば」といえば空間に響くあの独特の声・音の響きのことが、まず想起されます。

 店内に入ると、「いらっしゃいぃぃぃーーー」「にめいさんーーー」。

 注文すると「せいろぉーーーーいちまいーーー」。

 長く柔らかく伸ばした語尾、響き渡る声。女将が注文を受けると、それを店員が受けてまた声を重ねる。声と声とが交錯し、独特の音風景が創り出される。東京の蕎麦屋から消えつつあり、しかし「かんだやぶそば」が維持してきた、際立つ個性の一つでした。

 長く伸ばす声は、蕎麦の「長い形状」「喉ごしの味わい」とも、響き合っています。昔の物売りは、商品に合わせて売り声を変えていました。例えばイキのいいイワシを売る時は、「あーら、いわーしこいっ」。きびきびと短いキレのある声は、獲れたてで鮮度が良いことを、音の質感から伝えていたのです。「かんだやぶそば」はそうした商売の「型」を伝えてきた貴重な店でした。

 焼けてしまった木造家屋は、店内に響く声をより美しく、心地よく響かせる音響装置でもあったのです。

 取材を受けたお店の方は、「火災を受けてもめげず、なんとか再建したい」と語っていました。味の再現はもちろん大切ですがそちらはさほど心配はなさそう。「かえしはその都度つくるもの。再建後も同じ味は出せる」と店主は語っている。それより、新しいやぶそばになった時、もし、あの心地よい空間が再生されなかったら……。

 建物の構造や素材、庭の設計や配置も重要になるでしょう。どこにでもあるような四角いビルになり、あの心地よい音風景が失われてしまったらあまりにも寂しい。今回の火事で、「かんだやぶそば」が伝えてきた商売文化の様式性、心地よい五感空間が喪失してしまわないことを、祈ります。  

関連記事

トピックス

俳優の水上恒司が真剣交際していることがわかった
水上恒司(26)『中学聖日記』から7年…マギー似美女と“庶民派スーパーデート” 取材に「はい、お付き合いしてます」とコメント
NEWSポストセブン
AIの技術で遭遇リスクを可視化する「クマ遭遇AI予測マップ」
AIを活用し遭遇リスクを可視化した「クマ遭遇AI予測マップ」から見えてくるもの 遭遇確率が高いのは「山と川に挟まれた住宅周辺」、“過疎化”も重要なキーワードに
週刊ポスト
韓国のガールズグループ「AFTERSCHOOL」の元メンバーで女優のNANA(Instagramより)
《ほっそりボディに浮き出た「腹筋」に再注目》韓国アイドル・NANA、自宅に侵入した強盗犯の男を“返り討ち”に…男が病院に搬送  
NEWSポストセブン
ラオスに到着された天皇皇后両陛下の長女・愛子さま(2025年11月17日、撮影/横田紋子)
《初の外国公式訪問》愛子さま、母・雅子さまの“定番”デザインでラオスに到着 ペールブルーのセットアップに白の縁取りでメリハリのある上品な装い
NEWSポストセブン
全国でクマによる被害が相次いでいる(AFLO/時事通信フォト)
「“穴持たず”を見つけたら、ためらわずに撃て」猟師の間で言われている「冬眠しない熊」との対峙方法《戦前の日本で発生した恐怖のヒグマ事件》
NEWSポストセブン
ドジャース入団時、真美子さんのために“結んだ特別な契約”
《スイートルームで愛娘と…》なぜ真美子さんは夫人会メンバーと一緒に観戦しないの? 大谷翔平がドジャース入団時に結んでいた“特別な契約”
NEWSポストセブン
山上徹也被告の公判に妹が出廷
「お兄ちゃんが守ってやる」山上徹也被告が“信頼する妹”に送っていたメールの内容…兄妹間で共有していた“家庭への怒り”【妹は今日出廷】
NEWSポストセブン
靖国神社の春と秋の例大祭、8月15日の終戦の日にはほぼ欠かさず参拝してきた高市早苗・首相(時事通信フォト)
高市早苗・首相「靖国神社電撃参拝プラン」が浮上、“Xデー”は安倍元首相が12年前の在任中に参拝した12月26日か 外交的にも政治日程上も制約が少なくなるタイミング
週刊ポスト
三重県を訪問された天皇皇后両陛下(2025年11月8日、撮影/JMPA)
《季節感あふれるアレンジ術》雅子さまの“秋の装い”、トレンドと歴史が組み合わさったブラウンコーデがすごい理由「スカーフ1枚で見違えるスタイル」【専門家が解説】
NEWSポストセブン
俳優の仲代達矢さん
【追悼】仲代達矢さんが明かしていた“最大のライバル”の存在 「人の10倍努力」して演劇に人生を捧げた名優の肉声
週刊ポスト
全国でクマによる被害が相次いでいる(右の写真はサンプルです)
「熊に喰い尽くされ、骨がむき出しに」「大声をあげても襲ってくる」ベテラン猟師をも襲うクマの“驚くべき高知能”《昭和・平成“人食い熊”事件から学ぶクマ対策》
NEWSポストセブン
オールスターゲーム前のレッドカーペットに大谷翔平とともに登場。夫・翔平の横で際立つ特注ドレス(2025年7月15日)。写真=AP/アフロ
大谷真美子さん、米国生活2年目で洗練されたファッションセンス 眉毛サロン通いも? 高級ブランドの特注ドレスからファストファッションのジャケットまで着こなし【スタイリストが分析】
週刊ポスト