2月23日、オーストラリアとの壮行試合で逆転3ランを放って侍ジャパンに勢いをつけ、3月8日の台湾戦では10回表に先頭打者として安打で出塁し、決勝点を呼び込んだ。相川亮二(36=ヤクルト)は、ファンの思いをいい意味で裏切る「意外性の男」となった。
実は、もともと相川は捕手ではなかった。東京学館高時代は外野手で、捕手を始めたのは高3の頃。プロ入りまで捕手経験は4か月しかなかったが、打撃と肩の強さを買われて、1995年に横浜に入団した。
「コーチにつきっきりで捕手の技術を学んでいたが、一朝一夕でプロの捕手が務まるほど甘くない。当初はパスボールやファウルフライの落球が多く、捕手として入団したのに結局外野を守ることも多かった。しかも当時は谷繁元信という絶対的な正捕手がおり、出場機会には恵まれませんでした」(スポーツ紙記者)
正捕手になるまで要した時間はなんと10年。谷繁がいなくなっても代わって入団してきた中村武志にマスクを奪われたり、試合に出ても周りからリードに文句をつけられ思い悩んだりと苦労を重ねた末に、努力で勝ち取った結果だった。
そんな相川の姿を、球界は高く評価している。2004年のアテネと2006年のWBCに出場、2008年の北京でも最終選考まで残るなど、昨今の国際大会になくてはならない存在となっている。
「もうベテランなのに、宮崎合宿では早出練習組に混じって黙々とランニングしていました。出場機会が少なくても、黙って裏方に徹してくれる。今大会中は口癖のように、“阿部君をサポートしなくちゃ”と繰り返しています」(同前)
逆転3ランを打ってヒーローになった時も、彼はFacebookにこんなコメントを寄せている。
〈チームに勢いを出す働きはできた。これからも良いバックアップができるように準備していきます。捕手はこの瞬間が一番至福の時 引き続き応援よろしくお願いします。〉
「縁の下の力持ち」はしっかりとチームを支えた。
※週刊ポスト2013年3月29日号