最期は自宅で死にたい──そう思う人は少なくないだろうが、現実問題として在宅死を実現できる人は多くはない。いったいどうしてだろうか。
関西在住の60代の男性は末期の肺がんに侵され、すでに全身に転移し、手の施しようがない状態だった。東京に住む40代の息子は何度もホスピスに入ることを勧めたが、男性は頑なに拒み、自らかかりつけ医を探して自宅で緩和ケアを受けることを選択した。
在宅療養を続けてから半年後のお盆。息子は小学生の孫2人を連れて実家に帰省した。容体が急変したのはたまたまその帰省中のことだった。男性は自ら起き上がれなくなり、2日後には息を引き取った。息子がいう。
「施設ではなく、自宅で末期がんの痛みや苦しみをコントロールすることは難しいと考えていました。でも、在宅医や訪問看護師のおかげで、父は亡くなる数日前まで外出し、自分の口で好きなものを食べていた。家族全員で看取ることができ、子供たちも父と最後の思い出が作れたと思います」
人生の最期を住み慣れた我が家で迎え、苦しむことなく旅立つ──それが多くの日本人の最後にして最大の願いだろう。
今年2月の千葉県の調査によると、「自宅で過ごしたいし、実現できると思う(24.8%)」と「自宅で過ごしたいが、実現は難しいと思う(53.0%)」を合わせて約8割の人が在宅死を望んでいる。だが、現実には病院で亡くなる人が年間100万人近くいるのに対し、自宅で亡くなる人は16万人程度。老人ホームなどで亡くなる人も合わせた全体の死亡者数のうち、自宅で亡くなる人は12.8%にとどまっている。
なぜ、多くの人が自宅で亡くなることを望んでいるにもかかわらず、最期を自宅で迎えることができないのか。勤務医時代に500人以上、その後、かかりつけ医として患者の自宅で700人以上を看取ってきた長尾クリニック院長の長尾和宏氏が、こう説明する。
「誰も病院で死ぬことを望んでいませんが、結果的に病院で亡くなるのです。それは本人や家族はもちろん、医師でさえ『死期の見極め』ができないからです。回復の効果が期待できれば積極的に治療するのは当然です。
でも、多くの医師は回復の望みがない末期状態の患者さんにも延命治療をすることが使命と考えています。中には『100歳でも、人工呼吸器で1秒でも長く生かすことが務め』という医師もいますから、一度、延命治療が始まってしまえば、本人や家族が希望しても途中で中止することは困難。
病院の主治医も『状態が良くなれば家に帰りましょう』とはいいますが、状態が安定せずにズルズルと退院の機会を逃し、結局家に帰れないまま病院で亡くなってしまうわけです」
※週刊ポスト2014年1月1・10日号