今考えると、どうも川上さんは僕が入団した当初から、将来は打者に転向させようという考えがあったようなんです。
あれは高3の夏の大会前でした。法政二高のグラウンドに巨人の投手コーチだった別所毅彦さんが見に来たんです。あの別所さんが来ている、と生徒たちが騒いでいました。
僕もいいところを見せようと、バッティング練習をして、ピッチング練習に移った。さァこれから投げようと思った時、別所さんが帰ってしまったんです。当時は甲子園優勝投手としてのプライドもありましたから、驚いたしショックでしたよ。でも、あとで聞いたところ、別所さんは「ピッチングは甲子園で見ているからいい。それより、あいつはバッティングがいいぞ」と、川上さんに伝えていたらしいんです。
どうも川上さんの頭にはこの時の別所さんの言葉があったんじゃないかと思うんですね。
プロ入り直後の投球成績は上々だったんですよ。オープン戦で3勝し、開幕カードでの先発が決まった。ただ開幕まで1週間前という時、別所さんに「プロは投げ込んで肩を作らないとダメだ」と、300球を2日間、みっちり投げ込まされました。
こんなに投げ込みなんかしたことがなかったから、肩が上がらなくなってしまった。その状態で先発したから、ノックアウトされるのも当然でした。今思えば、この投げ込みも打者転向の策略だったのでしょうね。
※週刊ポスト2014年8月29日号