340年続いた遊廓「吉原」は、文化の発信地であり、テーマパーク的側面もあった。女性も物見遊山で訪れた色街独特のしきたり・ルールを、作家の永井義男氏が解説する。
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今と江戸時代の性愛観において最大の違いは、今日言う売春に対する罪悪感の有無。現代は、建て前として売春は禁止だし、風俗店に夫が行けば、妻は黙っていない。しかし当時は、亭主側は玄人(遊女)と遊ぶことを隠さず、妻も寛容だった。
また、元遊女も過去を隠さず、むしろ自慢気な女性もいた。周囲も、彼女たちが生活苦から親に妓楼に売られたという事情を知っていたため、「親孝行」として理解していたのだ。
だから一般女性も憧れ、吉原見物をしていた。花魁はスターであり、ファッションリーダーでもあった。
そして娯楽が少なかった当時、「性」を徹底的にビジネス化、エンターテインメント化した吉原には、独特のしきたりが存在した。それはいかにして客に金を使わせるかを考えたルールやシステムだったが、遊女の手練手管や、恋の駆け引きで、一夜の夢を演出したのだ。
※SAPIO2014年10月号