以前私は、昭和初期のハンセン病作家北条民雄の評伝『火花』を書いていたから、この病気についてはよく知っていた。日本においてばかりでなく、世界中で強制隔離政策がとられ、病者とその家族は恐ろしい差別をうけた。聖書にもはっきりとハンセン病の日本語読みで「らい病」と書かれ、神に見捨てられた者、死の谷に住まう者とされた。
良一は生まれ育った故郷の大阪・箕面(みのお)で、近くに住んでいる美しい娘がある日突然一家ごといなくなったのが「らい病」のせいだと親に知らされ、大人になったらこの不幸な病気をやっつけてやろうと思ったらしい。
ボートレースの収益金の一部をつかってはじめたのが、ハンセン病制圧活動だった。表に立つことを嫌う陽平は自分の口からは言わないが、これを実際に軌道に乗せたのは陽平なのである。
陽平は中学三年のときまで、実の父を知らなかった。兄が二人いるけれども、この兄弟三人は、良一が妾に産ませた私生児であった。三人は苦労して育った。陽平は東京大空襲のすさまじい火焔地獄のなかを母の手をひいて逃げ延び、大阪の居候先の家では下男としてみじめな暮らしを生きた。
本人は「それがあたりまえの生活だったから、みじめとは思わなかった」と言うが、高校進学で東京の良一宅で暮らすようになってからも下男部屋で寝起きし、掃除、洗濯、飯炊きの生活を送ったのである。
それに私は、長者番付にも載ったことがある陽平は相当な金持ちだろうと思って見ていたのだけれど、良一の死後、彼が相続したのは莫大な借金ばかりだった。兄二人は相続放棄の手続きをとっており、ひとり陽平が延べにして80億円もの借金の山を返していったのだ。
まあ、それだけ大金持ちということになるのだろうが、しかしいまは株券一枚もない。
どうしてそれなのに良一を庇い、彼にまつわるGHQ関係の史料を私費を投じて集め、東大名誉教授の伊藤隆に正確な良一伝を書いてもらうまでの仕事をしたのだろうか。
死後もなおしばらく汚名をきせられてきた良一の名誉回復をはかろうとの一念だったに違いない。私はそれを「復讐」とうけとめた。『宿命の子』は、彼の美しい復讐の物語である。
※週刊ポスト2015年1月1・9日号