■「自然の摂理」を超える「人間の知恵」
完全母乳やカンガルーケアを推奨する人たちは、それが「自然な姿」だから良いはずだと説く。赤ちゃんの体重が減るのは「生理的体重減少」であり、黄疸が出れば「生理的黄疸」、体温が下がっても「生理的低下」といって問題視しない。
しかし、本当に「自然」にすればどうなるかは明らかで、今よりも乳児死亡率は劇的に上がるだろう。だからこそ人間は医師や助産師の管理に頼って出産する仕組みを作ったのである。
母親の母乳が生後3~5日しないと必要な量出ないことも、確かに「自然」ではあるが、だから赤ちゃんにとって好ましいこととはいえない。自然界では、特に類人猿を含む大型哺乳類においては赤ちゃんと母親では母親の生命が優先される。赤ちゃんのうち、繁殖できるまでに成長するのはごくわずかであり、そうなるかわからない乳児より、すでにそこまで成長した母親のほうが種の保存にとって貴重だからである。
母親の乳がすぐに出ないことは自然界でも珍しくないが、それは第一に母親の体力回復が優先されているからであり、赤ちゃんのためではない。また、ある産科医は推論として、「人類の場合、子供を極端に未熟な状態で産み落とすため、数日間の飢餓に耐えられない弱い赤ちゃんはその段階で淘汰するほうが繁殖の効率が良かったのではないか」と述べる。
いずれも「自然」ではよくあることだ。ネコ科の動物やハムスターでは、母親が弱い我が子を産み落としてすぐに殺して食べてしまう習性がよく知られている。母親の体力が極端に衰えた場合は、すべての子が食べられることも少なくない。他の種でも、弱い乳児だけ世話をせずに死なせてしまうのはよくあることだ。人間から見れば残酷だが、母親の生存を優先するために子が犠牲にされるのが「自然」の摂理なのである。
人類は文明を持った当初から、「自然」ではない出産と育児を工夫して乳児の生存率を引き上げてきた。
久保田氏はその典型例として、世界中の文化でほぼ共通してみられる「産湯」と「乳母」を挙げる。
「生まれてすぐの赤ちゃんを産湯に入れるのは、洗うためだけでなく、たっぷりのお湯を沸かして産室の室温を上げ、体温が下がらないよう産湯で温めるためでもあります。母体から出て肺呼吸を始めたばかりの赤ちゃんは、25度前後に設定されている分娩室や病室では体温調節機能が安定するまで7~8時間くらいかかります。大人と同じ環境では寒すぎて危険なのです。だから世界中で赤ん坊を産湯に入れて温め、産着を着せて体温低下を防ぐ知恵が生まれたのでしょう。
乳母の習慣も世界中にあります。貴族などだけでなく庶民の間でも、産後の乳が出ない間、親類や近隣の授乳中の女性から乳をもらうのは当たり前でした。そうすることで、赤ちゃんが深刻な飢餓状態に陥らないようにしたのです」
長い時間と多くの犠牲のうえに人類が築いたそうした知恵を、この時代になって不確かなブームに乗って捨てようとしていることはおかしくないだろうか。
前回記事【2】でも指摘した通り、「人工」が問題を起こすのは、「人工」を使いこなす施設や知識のない途上国の場合である。人工乳や哺乳瓶があっても、清潔な水や消毒手段がなければ、かえって赤ちゃんを感染症の危険にさらす。目の行き届いた医療施設やスタッフ、保育器などがないなら、赤ちゃんは他人に任せるより母親の近くに置いたほうが安全なこともある。だからWHOやユニセフは途上国向けに「完全母乳」や「カンガルーケア」を推奨した。
それを日本で取り入れる必要があるかは、もっと慎重に考えるべきだった。現に、WHOとユニセフの推奨に基づく新生児管理を導入した多くの先進国では、事故や後遺症、そして久保田氏も懸念する発達障害との関連に注目する医師たちから「やめたほうが良い」という声が上がり始めており、久保田氏の代表的な論文は英語に翻訳されて世界中の医師に読まれている。また、フランスのように、「完全母乳は母親に無用な負担を強いる」として最初から導入しなかった国(人工乳が中心)もある。久保田氏の論文に対し、専門家からヒステリックな非難が飛び出す日本の現状は世界的に見ても異様なのだ。