吉本興業などと比べれば、浅井企画は芸人の数自体が少ない。そのぶん、バーター出演のチャンスが必然的に増えるとも考えられる。そうして、遅咲きでもブレイクのチャンスが得られるわけだ。
さらに歴史的に見ても、浅井企画はバーターから売れっ子を作る技に長けていた。萩本欽一の冠番組に関根や小堺が、坂上二郎の『カックラキン大放送』に関根が出演。関根はなかなかブレイクに至らなかったが、萩本と坂上のおかげもあり、レギュラー出演し続けていた。その番組で、多くのことを学んだ関根は、1990年代になると、バラエティ番組に欠かせないバイプレイヤーとなった。その背景には、コント55号の2人がいたわけだ。芸能記者が話す。
「そんな時代を噛み締めてきた関根だからこそ、事務所の若手を優しく見守り続けたのでしょう。彼は、主催舞台『カンコンキン』でも若手をずっと使っていますからね。飯尾などは、そこでかなり鍛えられた。関根の愛情もあって、今日のブレイクに至っているのだと思います」
コント55号から続く浅井企画の歴史を、次は飯尾やどぶろっくなどが受け継ぐ番かもしれない。