■読売世論調査のすごい誘導
読売新聞や産経新聞は、政府批判はテロリストの味方だという“ネトウヨ論”にも積極的に参加する。
〈野党の一部議員は、安倍首相の中東歴訪やイスラム国対策の2億ドル支援表明が過激派を刺激した、と批判する。だが、そうした批判は、日本の援助の趣旨をねじ曲げ、テロ組織を利するだけだ〉(1月31日付、読売)
〈首相の対応が「(事件を起こす)口実を与えた」といった指摘が野党から相次いでいる(中略)「イスラム国が口実とした」とは表現せず、政府の責任追及の材料とする意図が透けてみえる〉(2月4日付、産経)
政府批判をすれば“非国民”だと叩くのは、読売や産経がかつて加担した戦時中の大本営発表そのままである。まさか現代の読売や産経はそこまで馬鹿の集団ではないだろう。これも実例がある。
民主党政権下の2010年9月、尖閣諸島沖で違法操業していた中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりする事件が起きた。読売と産経は「政府批判は中国の味方をすることだ」として、控えたのだろうか。もちろん、健全なジャーナリズム精神を持つ両紙はそんなことはしない。
〈今回の決着が、今後にもたらす影響も無視できない。尖閣諸島沖の日本領海内で違法操業する中国漁船への海上保安庁の“にらみ”が利かなくなる〉(2010年9月25日付、読売)
〈政府には、問題解決に向けた見通しも方針もなく、衆知を集める能力、ノウハウすらなかったことになる。これでは「人災」だ〉(同26日付、産経)
厳しく政府の姿勢を質す立派な仕事ぶりだった。ただし2004年3月、小泉政権下で起きた尖閣諸島への中国人不法上陸事件では少し違った。当時の政府は中国との衝突を恐れて逮捕した活動家をすぐに強制送還してしまった。与党を束ねる自民党幹事長は安倍晋三氏だった。この時の読売と産経はより“抑制したトーン”で報じている。
〈日本政府としても日中関係のこれ以上の悪化は避けたいとの外交上の配慮が働いたと見られる〉(2004年3月27日付、読売)
〈(上陸した中国人)七人の行動は、日本の主権を侵害したものだけに、今回の対応は議論を呼ぶとみられる〉(同、産経)
こうなると、自民党を応援したいだけなのかと疑いたくもなるが、まさかそんなことはないと信じたい。読売は「自己責任論」を国民世論だとする根拠にした2月8日付の世論調査で、こんな質問の仕方をした。
〈政府は、日本人が外国の危険な地域に行かないように注意を呼びかけています。危険な地域に行って、テロや事件に巻き込まれた場合、その最終的な責任は本人にあるという意見がありますが、あなたはその通りだと思いますか、そうは思いませんか〉
念の入った誘導質問である。「そう思う」が83%に達したのは当然だ。誘導もさりながら、「最終的に自己責任」といえば何でもそうなる。逆の結果にしたければ、こう質問すればよい。
〈世界では後藤健二さんのジャーナリストとしての活動を称賛する声が高まっています。危険な地域に行って、テロや事件に巻き込まれた場合、それが自己責任だとしても政府は救出に全力を尽くすべきだという意見がありますが、あなたはその通りだと思いますか、そうは思いませんか〉
産経は、〈命の危険にさらされた日本人を救えないような憲法なんて、もういらない〉とまで言い始めた。
この一面コラムを書いた論説委員にぜひ尋ねてみたいが、彼らが理想とするような国軍(自衛隊)の海外派遣や政府の交戦権が強く擁護された憲法は、70年前まで日本に存在した。それで国民の人命が十分に守られたと思っているのだろうか。これは右派だ左派だという形而上の論争ではない。イスラム国を武力で叩いてきたアメリカとイギリスは、自国の人質の命を守れたか考えてみればいい。
憲法改正を主張したいなら、それだけ堂々と主張するべきだ。「自己責任は助けない」という主張ならば、改憲論に湯川遥菜氏や後藤氏の命を持ち出すのは卑怯な論法である。