「日本では8月15日が終戦記念日だろ? しかし満州の場合はポツダム宣言受諾→満州国解体→平和万歳と都合よく終わるわけもない。その最後を象徴するのが通化事件だった。逆に太平洋戦争の開戦は、海軍の真珠湾奇襲より陸軍のマレー半島・コタバル上陸の方が2時間早い。満州を書くことは帝国陸軍史を書くこと。満州から南方戦線へ繋がる“森”を見れば、戦前戦後の線引きも変わってくる」
例えば元満州国国務院の高級官吏・太郎の戦後だ。シベリアの過酷な労働環境に耐えかね、甘い菓子欲しさにスパイ行為に走る彼の姿は、気が滅入るほど醜い。が、その醜さを笑えるのは、四兄弟に何かと付き纏い、本巻でついに正体を明かす、神出鬼没の元関東軍特務員〈間垣徳蔵〉くらいだろう。
「太郎の最期は、反逆分子の人間性を完全に破壊した上で処刑する、ジョージ・オーウェルの『1984年』が頭にあった。人間の本質は、追い込まれた先にこそ現われる。開拓民を根こそぎ南方戦線に送り、女子供が残された満州でも、ソ連兵による虐殺や強姦が相次いだ。でもそれは彼らが残虐な人間だからじゃない。日露戦争の怨嗟とか恐怖による支配とか、人間、極限状況では簡単に理性を失うってことだと思うよ」
皮肉にも、暴走を続けた東条内閣総辞職を受けた小磯内閣発足後、事態は逆に混乱していく。なぜ歯車は常に悪い方へと進むのか。
「例えば兵力は一挙投入が鉄則。だがそれには誰かの勇断が必要だから、結局は逐次投入をやる。それを無責任だと批判するヤツほど、自分は責任取らないもの(笑い)。大抵のことは論理的・数学的な解決はついている。しかし、政治的な解決はつかないから、全てが空気で決まっていく」