が、古くは後鳥羽上皇や後醍醐天皇も流された隠岐では、島後有木村の庄屋・黒坂弥左衛門らが四高弟の遺児を温かく迎え、敬意すら表した。当時幕府直轄の隠岐は松江藩の実質支配下にあったが、島後の中心地、西郷に赴任した役人たちは日夜遊蕩に興じ、食糧すら事欠く島民の生活など顧みもしない。庄屋として常に板挟みにあった弥左衛門は言う。〈常太郎さんの村も、この島も、根は同じだ〉と。
「例えば大塩の乱の5年後に起きた〈江州湖辺大一揆〉は詳細な記録が残っていて、いわゆる天保義民のひとり、土川平兵衛は言う。〈庄屋たるものの職分は、百姓衆を護ることにある〉と──。
つまり当時相次いだ蜂起は生存権の闘いと言ってよく、飢饉や天災が続く中でなお搾取された百姓の窮状を見るに見かねた庄屋の思いを、本書では江州一揆の生き残り・杉本惣太郎ら、常太郎が島で出会う様々な人間に聞く形にしました」
漢方医・村上良準の下で医術を学ぶ常太郎ら、実在の人物や義民史の間に虚構として紛れ込むのが、狗賓伝説だ。古来流人を受け入れてきた人々は目に見えぬ〈御山〉に棲む狗賓を畏れ、その姿を見た少年を狗賓童子と呼んで孔孟思想や武術を学ばせた。
やがて彼ら精鋭が島の治安を担っていくが、ならず者を退治したのは〈金の嘴〉を持つ怪鳥の仕業。流人に島抜けされると困るが、死ぬ分にはお構いなしの怠惰な役人の裏をかく、自警の知恵だった。
「政治犯だけでなく無法者も流された島には、文化が入る一方、犯罪も増えた。ところが陣屋は何もしないし、自然が牙を剥けば為す術もない島では強かでなくちゃ生きていけないんです。
そもそも海であれ山であれ、自然と共にある人々の間には畏怖の念が必ずある。最近はようやく日本人もわかってきたけれど。その場凌ぎの開発をただ重ねても痛い目に遭うだけだって。ここに出てくるお初一家の、樹皮から繊維をとって服を織り、その生命力ごと纏うような生活を、たぶん私は間近に見た最後の世代で、人間も自然の一部に過ぎないという感覚だけは、失っちゃまずいと思うんです」