■両親の施設探しに妻と東奔西走
72歳と66歳。北大路が夫婦とも元気なうちに老人ホームに入る決断をしたのは、「ある経験」が影響したのかもしれない。
1998年、北大路の両親は千葉県館山市にある老人保健施設に入居した。だが、そのことが「北大路が実の父を老人ホームに押し込んだ」という論調で報じられた。国民的スターだった父親を施設に入れたことが“姥捨て”“冷血”とまでいわれたのである。
当時、北大路は一切反論しなかったが、2002年に『婦人公論』(7月22日号)のインタビューに答え、事情を打ち明けた。
両親は都心のマンションで2人暮らしをしていたが、母親の足が不自由になり、ガス器具や電気製品の取り扱いに不安が生じる状況になった。
〈僕ら(編集部注・北大路夫妻のこと)は両親のことが心配でたまらない、両親も毎日の生活がこころもとない、互いに不安をかかえて生活していくのはマイナスじゃないか。なんとかしなければ、と考えるようになっていました〉(〈 〉内はインタビューより引用。以下同)
これからの生活をどうするか。両親と向き合い、10年以上にわたって話し合った。その過程で同居を提案したこともあったが、〈2人で独立してやっていきたいという気持ちが強く、受け入れてはもらえませんでした〉という。
すでに親が施設に入っている知人や友人に意見を聞き、耳寄りな施設の情報があれば、夫婦で確かめに出かけた。
「両親が少しずつ老いていく姿を目の当たりにして、北大路さんは相当苦しんでいました。だからこそ両親の思いを尊重して、2人が安心して暮らせる環境を見つけるために東奔西走していた。信頼できる介護士を見つけ出して自宅に来てもらう、安心できる施設を探すなど多くの選択肢を夫婦で検討したようです」(前出の知人)
俳優として多忙な北大路がそこまでしたのは、〈両親の安全と安心を常に確保できる方法、命の尊厳をいつでも守れる環境を提供しなければならない〉との思いがあったからだった。そうして巡り合ったのが、館山の老人保健施設である。
自らの足で探し、自分の目で親の終の棲家を見つける。そうした経験から、いざとなったら介護なども万全な今回のホームを見つけるに至ったのだろう。両親への思いが今度は妻への思いとなり、さらに遺される者の苦しみもよくわかることが入居を決断させたのかもしれない。
先のインタビューではこうも語っていた。
〈僕の両親は、とにかく2人で一緒にいたい、という夫婦でした〉
※週刊ポスト2015年6月12日号