60年安保では、出発するや先頭に立って警官隊と対峙したデモ隊員は必ず逮捕された。「ワッショイ」の掛け声とともに、警官隊は間髪容れず「逮捕」の命令を出した。それだけに先頭のデモ隊員の目は血走り、誰もが青ざめて思いつめた顔をしていた。ところが、「SEALDs」のメンバーの中にそんな表情をした者は誰もいなかった。
服装もまったく様変わりしていた。60年安保闘争時代は、ほとんど全員が学生服姿だったが、「SEALDs」のメンバーは、Tシャツなどカジュアルな服装ばかりだった。女子学生らしい若者が雑談するのが聞こえた。
「みんな戦後70年を迎えたといっているけれど、このままいったら今が戦前になっちゃうかもしれないじゃん」
60年安保当時、私は東京・下町の中学に入学したばかりだった。家では買ったばかりのテレビの前で、国会前を埋め尽くした学生デモの映像ばかりにかじりついた。どんなドラマよりも、安保闘争の映像の方がアドレナリンをたっぷり放出させてくれたからである。
「SEALDs」のスローガンは、「安保反対! 安倍はやめろ」とごく穏当だったが、60年安保のスローガンは「安保粉砕! 岸(信介)を倒せ」と殺気だっていた。いや、「岸を倒せ」というシュプレヒコールはむしろ少数派で、「岸を殺せ!」という声の方が多かった。
黒々とした国会議事堂をバックに学生たちが蟻のように国会周辺に群がる姿は、いま自分は日本が変わる瞬間を見ているんだ、という興奮を呼び覚まし、居ても立ってもいられなかったことを今でも鮮明に覚えている。
『警察庁長官の戦後史』(鈴木卓郎・ビジネス社)によると、60年安保闘争に参加したのは全国で約463万7千人、一日の最大動員数は約50万人、出動した警察部隊は約90万人、逮捕者約900人、警察官の負傷者は約2千400人に達したという。
13歳になったばかりの私は、幼稚な思いかもしれないが、「これはもしかすると本当に日本に革命が起きるかもしれない」と考えて異常に興奮し、眠れない夜を幾晩も過ごした。
今にしてみれば、60年安保は私が日本という不思議な国を考える最初のきっかけとなった。
※週刊ポスト2015年9月25日・10月2日号