――全柔連の経験から考えて、東京五輪をめぐる混乱を、新しいスポーツ文化を生み出すチャンスにできると思いますか?
山口:可能性はある、と思います。一連のゴタゴタで恥をさらし、世界から「日本がこんな国だとは思わなかった」と呆れられていますが、日本人自身が現実を直視し、変化していくための貴重な機会にしなければなりません。そのためにも、スポーツの力をもっと社会が生かすべきです。
私はスポーツ選手や競技へのメリットだけを念頭に置いて言っているのではありません。日本は、「国家戦略」としてスポーツ立国を目指すことを宣言しています。国民の税金を投入して国際競技力を強化している。だとすれば、トップアスリートという人材は「社会の公共的な資源」であり、みんなのお金をかけて磨いた才能、伸ばした力なのです。ですから、競技引退後にその力をまた社会へと還元し活用していくのは、自然な流れではないでしょうか。
――スポーツにしかできないこと、社会の中で発揮されるべき力とは何でしょう?
山口:世界でトップを競うアスリートには独特の輝きやパワーがあり、そのピュアな力が他者に影響を与えます。例えば東日本大震災の直後、なでしこジャパンがW杯で世界一になって日本中が勇気付けられた事例のように。
人を力づけたり慰めたり、人間のすばらしさや可能性を表現するツールになりうる。グローバル時代の中で競い合うということではビジネスのヒントやモチベーションを高める方法も引き出せる。スポーツの力は使いようによって、日本社会を活性化する「社会的資源」になるのです。
――では『残念なメダリスト』というこの本のタイトルが示していることは?
山口:本来ならば、そうした力をメダリスト、アスリートたちが社会の中で存分に発揮して欲しいのですが、残念ながら十分とは言えません。本人、指導者、親などがスポーツの意味や役割を理解し、努力をする必要があります。また受け皿としての社会も変わる必要があります。この本には「残念なメダリストを増やしてはいけない」という警告の意味あいが込められています。
――山口さんが考える、2020年東京五輪の目指すべき方向性は?
山口:やはり日本独自のスポーツ文化を創り、根付かせていくこと。明治時代、日本で最初にオリンピック招致活動に取り組んだ人をご存じでしょうか? 講道館柔道の創始者、「柔道の父」嘉納治五郎でした。その努力が実を結び、1940年に東京でオリンピックを開催することが決まったのですが、残念ながら世界大戦の影響で幻に終わりました。
嘉納はそのオリンピックに対して「西洋生まれのスポーツ文化に『精力善用・自他共栄』という日本の精神性を合体させること」を構想していたのではと考えています。私の言葉で言い換えれば、「スポーツで培ったさまざまな力を、他者や社会のために使う」ということ。70年以上が経過しましたが、嘉納が目指した理念はいまだ達成されていない。2020年東京オリンピック・パラリンピックで目指すべき方向性は、日本だからこそできる「スポーツ文化」の創造にあるのではないでしょうか。