〈食事中の宝田家の社宅に無言で入ってきたソ連兵が、電熱器やラジオ、母親の化粧品まで盗んでいったこともあった。その兵隊の腕には盗んだ腕時計が何個もまかれていた。〉
「すると僕の後ろに立っていたソ連兵が、耳の後ろに銃口を突きつけるのが見えたんです。あの冷たい銃口が顔にあたった感触は今でも忘れられません。いくら歯を噛みしめても、歯の根があわないんです」
〈宝田にはソ連兵に下腹部を撃たれた傷跡もある。敗戦後、貨車で連行される日本兵を遠巻きに見ていた際、突然、ソ連兵に銃撃されたという。後に分かったことだが、ソ連兵が使用していた銃弾は、通称“ダムダム弾”と呼ばれ、現在、人道上の見地から使用禁止となっているものだった。鉛で出来た弾頭が体内に入って砕け散るため、対処が悪いと人間の体を腐らせてしまう。〉
「撃たれた瞬間はわかりませんでした。でも家に帰ると、突然下腹部が熱くて熱くてたまらなくなった。服を脱ぐと、下腹部が血だらけの真っ赤っかなんです。
翌日、ひげの生えた元軍医さんがやってきて、僕の両手両足をイカを干すみたいに天井から縛り、『お母さん、裁ちばさみを焼いて持ってきてください』というんです。元軍医さんは、その裁ちばさみをぶすっと刺して、患部をじょきじょき裂き始めた。当然麻酔なしですから、もう失神寸前でした」
〈その傷口は今でも痛むという。〉
「特に前線が通過すると痛みます。だから僕の天気予報は気象庁以上に正確です(笑)」
※SAPIO2015年11月号