■どちらの苦労を、より引き受けられるか
――失業されるまでの人生はいかがでしたか? 順風満帆だったのでしょうか?
栗崎:挫折の連続でした。そもそも中学受験、高校受験と、第一志望校を落ちているんです。大学は運よく受かりましたが、就職は大変でした。私が就職したのは雇用機会均等法が成立する前の1978年で、大卒女子を採用している会社がほとんどなかったのです。自分は公務員には向かないと思ったので、長く働きたい女子を採用してくれる会社、つまり女性に結婚退職を期待しない会社ならどこでも、という気持ちで探し、運良くNTT(当時は電電公社)に採用されました。そういう意味では、失業した時、危機感はあったけれど、挫折感がなかったのは、慣れていたせいもあるかもしれません(笑)。
――女性ならではの苦労もありましたか。
栗崎:当時は、外国勤務や留学の機会が社内にありましたが、女性が指名されたことはありませんでした。色々考えた末、私は公募でOECDのポストを獲得して、パリに行ったんですね。その後、日本にも雇用機会均等法ができて、状況は改善されていったようですが、働く女性に対する人のモノの考え方は、法律ができても直ぐには変わらないものです。だから、NTTに戻るか欧州に残るか、選択を迫られたときに、欧州に残ったんです。
欧州にも女性差別はあります。けれども、おかしいと思うことがあったら、例え相手が上司でも、自分の意見を主張することができます。当時の私にはそこが日本と大きく違うと思えました。一方欧州では、自分の言葉である日本語を使って仕事をすることができません。これはやはり不利になる場合が多いと、経験で知りました。どちらに行っても苦労は同じということです。では、どちらの苦労をより引き受けられるのかと自分に聞いたら、ヨーロッパの苦労を引き受けると、私自身が答えたんです。
――現在は、仕事でスイスと日本の橋渡しをされながら、ジュネーブを拠点に50代女性の求職支援ワークショップを開くなど、ご自身の経験を活かしたボランティアで活動もされています。50代からの仕事について、現在のお考えをお聞かせください。
栗崎:ジュネーブでも50歳を超えると再就職は難しく、職を見つけられたとしても多くの場合、給料は下がります。またスイスでも、女性の平均賃金は男性より低い。その結果、貧困老人の予備軍には女性が多いんです。日本でも同じような状況だと聞きました。貧困の人たちが増えると、当事者はもちろん困る。そういう人々に手を差し伸べるのは税金です。つまり、女性や年齢に対する誤った思い込みが、働く意欲のあるシニア女性という資源を無駄にすることに繋がり、ひいてはそのつけが、社会全体に回ってくる構造になっている。
ですから世界一の高齢社会に突入している日本では、年齢に関係なく労働力を活用する社会を一刻も早く育てていく必要があります。日本の場合、終身雇用の習慣があるので正社員が突然失業するような状況は少ないのかもしれませんが、仕事をしたくても見つからない女性は少なくないと聞いています。私は失業から再就職までの間、たくさんの人に助けられました。これからはその恩返しをするためにも、自分にできることを少しずつ続けて、多様な年齢やジェンダーを広く受け入れる社会をつくる力になりたいと考えています。
くりさき・よしこ●1955年生まれ。東京大学教養学部卒業後、NTT(当時日本電信電話公社)に就職。85年以降、国際電気通信連合(ITU)日本代表団として、通信技術、サービス標準化活動に参加。89年、経済協力開発機構(OECD)通信政策課に転職、渡仏。94年、国際電気通信の多国籍企業に転職、同時にスイス移住。2008年、ポスト削減により、退社。2011年、ジュネーブの日系企業に再就職。2014年から独立し、欧州と日本で企業を対象に異文化マネジメントコンサルティングを行っている。また、自身の失業経験を生かし、2012年より50代女性の求職支援ワークショップを毎月開催。