◆「中興の祖」の社葬もナシ
2000年に発覚した三菱自動車の「欠陥隠し」問題。ユーザーからの苦情を隠蔽してリコール(無料の回収・修理)を届け出ず、「ヤミ回収」していたことが明らかになり、その後に続く不祥事の発火点となった。2002年、神奈川県横浜市で同社製トラックから脱落したタイヤの直撃で母子3人が死傷。三菱自は2004年、同事故の原因が車輪と車軸を繋ぐハブの設計上の欠陥だったと発表した。
翌年、三菱自はこの問題による信用失墜などで253億円余りの損害を受けたとして、旧経営陣7人に対して総額11億3500万円の退職金返還を求める損害賠償請求訴訟を起こした。被告の1人が、1989年に同社社長に就任後、1997年に会長職を退くまで、同社の拡大成長路線を牽引した中村裕一・元会長だった。ジャーナリストの福田俊之氏が語る。
「社長就任後、(オフロードSUVの)パジェロシリーズをヒットさせるなど、『中興の祖』と呼ばれたのが中村さんでした。長くエンジン設計に携わってきた中村さんは根っからの“技術屋”で、決してワンマンタイプの社長ではなかった。
それでも隠蔽体質の企業風土が生まれたのは、取り巻きの幹部らが都合の悪い情報をトップに上げなかったことが一因だった。スケープゴートの感は否めません。会社から訴えられ、忸怩たる思いはあったでしょうが、中村さんは最期まで会社のことを気にかけていました」
2012年6月、中村氏は死去。葬儀は近親者だけで済まされた。中村氏を慕う元部下からは「あれだけ会社に尽くした人なのに、社葬が執り行なわれなかったのは残念」という声も聞かれた。
※週刊ポスト2015年11月13日号