清原さんとしては脅しとでも思ったんでしょうか、翌日の昼過ぎにすぐに電話がかかってきました。
私は「先輩、嫁と揉めてますんや。何もしてもらわんでええから、後ろで控えておいてもらえませんか」といいました。すると清原さんは「オレも一生懸命生きているんや」と言っていましたね。電話はすぐに切られたので、保存していた2001年当時のメールを転送した。またすぐに電話がありましたが、出ないでいると、その後は着信拒否になり繋がらなくなりました。
これらは警察にも話をしていて、裏も取ってくれているようです。私が清原さんに渡した袋と同じ物を入手して、ホテルに確認が取れたと聞きました。清原さんからの昔のメールや、2月26日前後の着信記録、メールはすでに警察が押さえています。
──本誌はXに当時の発言内容について確認を取り、彼は認めた。当時、Xは「命の危険があるから、その時のために二の矢、三の矢を用意している」と語っていた。現在Xは、「(清原の)公判が始まるまでは喋れない」と話しているが、まだ明かされていない事実もあるのかもしれない。
取り調べで清原は入手ルートについて「まだ言いたくありません」と供述している。真相は未だ闇の中である。
※週刊ポスト2016年2月26日号