こうした意識はその後も引き継がれ、民主化に移行したあとも消えることはなかった。1980年代前半には研究用実験炉でミリグラム単位のプルトニウムを抽出し、2000年には少量のウラン濃縮実験を行っている。
いずれも核兵器開発につながり得る研究だが、これらは国際原子力機関(IAEA)に未申告で行われ、国際社会からの不信を買った。
韓国政界では、幾度も大統領候補に名前が浮上している鄭夢準氏(元FIFA副会長)が「北朝鮮の核開発を阻止できる唯一の方法は核兵器だけだ」と主張するなど、核武装論者は決して特異な存在ではない。
北朝鮮への対抗を理由にしつつも、根っこの部分では、米国の「核の傘」から抜け出し、核兵器を持つことで誰からの干渉を受けることなく防衛力を強化し、アジアでの発言力を高めたいという、韓国民としての強い願望がある。
もう、おわかりだろう。韓国が抱くこの願望は、核兵器を持つことで「大国」になろうとしている北朝鮮と、本質的にまったく同じなのだ。
北朝鮮は、核武装をちらつかせて「核保有国」の仲間入りを果たし、米国をはじめ国際社会に認めてもらいたくて仕方がない。対する韓国も、ここぞとばかりに核武装論をぶち上げて、我らこそが「先進国だ」と必死にアピールする。互いを国家として認めず、いがみ合っている韓国と北朝鮮も、核武装論というキーワードを通して見るとコインの表裏であることがわかる。
共通しているのは、いずれの核武装論も、北東アジアや国際社会の安定といったことなど、全く考えていないということだ。
朝鮮半島を貫く核保有への「イデア」は、他国からの侵略を受け続けてきたという被害者意識のDNAとからみ、媚薬のように人々を惑わす。「気がつけば、北朝鮮の核問題を巡る6か国協議の参加国で、核保有国でないのは日本だけだった」ということが、悪い冗談で済ませられなくなる日がこないとも限らないのだ。
※SAPIO2016年3月号