討死、暗殺、自害など、壮絶な最期を迎えた英雄の死は、しばしばその後の歴史を多く変えるが、時に病気が歴史に影響を与えた例もある。歴史研究家の川口素生氏は、とりわけ安政5年(1858年)の夏に江戸で猛威を振るったコレラを挙げる。
「安政コレラは3万人以上の死者を出した。知識人にはコレラで亡くなった人も多く、江戸の町がまるっきり変わってしまったといっても良いでしょう。江戸幕府の権威の失墜につながったこともあり、コレラがなかったら江戸幕府はもっと続いていたかもしれない」(川口氏)
歴史に名を残す者で病に斃れた人間が多い一方、養生を尽くして長寿を全うした徳川家康のような人物もいる。『薬で読み解く江戸の事件史』などの著作がある歴史作家の山崎光夫氏は、73歳まで生きた家康は医学の知識が医者以上にあったと言う。
「頭脳明晰で好奇心旺盛だった家康は、書物や医者などから得た知識が非常に豊富でした。3歳だった(後の3代将軍)家光が高熱を出した際、医者も匙を投げたにもかかわらず家康が処方した薬で治してしまったという話も残っています」
家康が大坂の陣で豊臣氏を滅ぼしたのが最晩年、死没がその翌年。家康が秀吉と同様に60歳ほどで生涯を閉じていたら、江戸に幕府はなく当時の大坂が首都になっていたかもしれない。
※SAPIO2016年6月号