「坂本さんの代表作『見上げてごらん夜の星を』を代わりに誰かに歌ってもらい、坂本さんを偲ぶことになりました。その日の出演が決まっていた森進一さんに急遽お願いをしたら、快く引き受けてくれました」(疋田さん)
その涙ながらの熱唱は、多くの人の心に焼きついている。一方、歌番組にランキングを導入した『ザ・ベストテン』でも、さまざまな試みがされていた。番組の元プロデューサー・齋藤薫さんは「あの頃はいろんなチャレンジができた時代だった」と振り返る。
ベストテンといえば、神出鬼没の各地からの中継が名物だったが、こんなことがあったという。地上げが社会問題化し、財テクがブームになっていた1987年のことだ。
「武田鉄矢さんと芦川よしみさんにオープンカーに乗ってもらって六本木を走り、そこで『男と女のはしご酒』を歌ってもらったことがあります」
無許可でのゲリラ撮影だ。東京・港区の飯倉片町の交差点をスタートし、六本木の交差点に到着するときに歌い終わるプランで、かなりゆっくり走行することになった。
「それで、後ろが大渋滞になっちゃって。翌日電話があり、警視庁に呼び出され、3日間桜田門に通うことになりました」(齋藤さん)
ほかにも、近藤真彦の波止場での中継に、生中継を見ていた人が集まりすぎて、イカ釣り漁船でその場を脱出したが、漁船が大挙して追いかけてきたというハプニングもあった。
シブがき隊で22曲をベストテン入りさせた布川敏和(50才)にも、中継の思い出がある。1982年に『NAI-NAI 16』で初出場したときは、映画撮影中の静岡・伊豆からの中継だった。
「宿泊していた旅館の前で歌ったのですが、ギャラリーも多かったし、憧れていた番組なので、張り切りましたね。ヤックン(薬丸裕英)は、気合を入れすぎて振り付けで足を上げすぎて、滑って転んでいましたが…(笑い)」
コンサートツアー中は、会場近くからの中継で出演した。
「大阪では、道頓堀を走る屋根のないバスの上で歌ったことがあります。すると、中継を見ている人が何千人という単位ですぐに集まるんですよ。それは、盛り上がります。スタジオで歌うよりもずっと刺激がありました」(布川)
数々の名場面を生んだ歌番組だったが、1989年、わずか7日の昭和64年が終わり元号が平成に改まると、その役目を終えたかのように、ベストテンは9月に終了、夜ヒットは形を変えて縮小していく。
当時の新聞はそのニュースを大きく取り上げ、終了の理由をこう報じた。
〈「今週の一位は」と注目される大ヒット曲が少なく、飛び抜けた人気歌手もいないため、番組への興味が薄れたのが原因だ〉(『読売新聞』1989年8月18日付)
※女性セブン2016年6月16日号