香川照之と不協和音か
◆歌舞伎の素人が大名跡を
だが、2011年、香川が歌舞伎界入りしたことで、状況は一変する。香川と先代は、血の繋がった親子でありながら、その関係は複雑である。先代と女優・浜木綿子(80)との間に誕生した香川。だが、先代は1歳だった香川を残して家を飛び出る。両親は離婚し、以後、45年間、父子断絶の状態が続いた。
だが、2004年に長男・政明くんが誕生すると、香川の歌舞伎への思いは一気に熱を帯びる。「この子を“猿之助”にするのが、オレの使命だ」と歌舞伎界入りに尽力する。
2011年9月、ついにその思いは結実する。香川と政明くんは、それぞれ「九代目市川中車」と「五代目市川團子」を襲名して歌舞伎界入りを高らかに宣言したのだった。それは父子関係の雪解けの証でもあった。
ちなみに同時に先代が「二代目市川猿翁」を襲名し、先代の甥で、香川の従弟である市川亀治郎(40)が「四代目市川猿之助」を継ぐことも発表されている。ある梨園関係者がこう解説する。
「先代は、一度は澤瀉屋を出ていった四代目に『猿之助』の名を継がせた。また『中車』も澤瀉屋では『猿之助』に次ぐ格の高い名跡です。これで一門の大名跡はすべて“親族”で固められたわけです」
これは「実力主義」を標榜してきた澤瀉屋の伝統的な方針が大転換されたことを示していた。
「これには歌舞伎界では『結局、先代も血縁なのか』という心ない声が上がりました。すでに香川は人気俳優でしたが、歌舞伎は未経験。そんな素人に大名跡を継がせたわけですから、もともと先代の後継者といわれていた右近が複雑な思いを抱いたことは間違いありません」(前出・澤瀉屋関係者)
当初は香川も右近や他の澤瀉屋の人気役者を誘って食事会を開催するなど、その溝を埋めようとしていたという。だが、2011年末、香川が先代とともに事務所を設立し、代表取締役に就任すると、両者の関係は微妙なものになっていったという。
「四代目を除く、一門のほとんどの役者が、その事務所の所属となりました。香川は演目の決定から外部との交渉まで大きな影響力を持つこととなり、澤瀉屋の実権を握るようになりました。弟子たちも先代の名前を出されては何も言えない。香川は『財務管理』をすると言って、昔からのスタッフを解雇するなどしたため、その方針に疑問を抱く者も出てきた。そして徐々に右近をはじめとする弟子たちは難色を示すようになっていった」(同前)
※週刊ポスト2016年6月17日号