「総理官邸や自民党幹部が『岸井のあの発言はまずいんじゃない?』と言っていたなどという情報は、しょっちゅう、私の耳にまで届いていました。そういったことはテレビ各局の上層部にも伝わり、そこから現場へも伝われば、現場は自粛したり、萎縮する傾向はあります。政権側としては、味をしめるでしょう。最近のNHKが心配です」
降板したもう1人の古舘さんは朝日新聞(5月31日付朝刊)のインタビューで直接の圧力については否定した上で、こう語っていた。
《画面上、圧力があったかのようなニュアンスを醸し出す間合いを、僕がつくった感はある。実力が足りなかった。原発事故後の福島の甲状腺がんの特集も、ドイツのワイマール憲法の特集も、考え方が違う人は『偏っている』と言う。その気配を察して、僕を先頭に番組をつくる側が自主規制をしたきらいがないか。だれかから文句を言われる前に、よく言えば自制、悪く言えば勝手に斟酌(しんしゃく)したところがあったと思う》
萎縮・自主規制・斟酌…それこそが、今のニュースの制作現場に蔓延している雰囲気だ。民放のニュース番組ディレクターは首をすくめてこう語った。
「原発や安保など、賛否が二分されるテーマほど扱いにくくなっています。企画を出すときも番組を作るときも両方の意見を均等に入れるように上から指示されたり、“慎重に”と釘を刺される。でも、それじゃあ尺も足りないし、やる意味があるのかということすら思えてきます」
気がつけば、放送されるのは当たり障りのないどうでもいいニュースばかり、という笑えない状況も必ずしも絵空事ではないかもしれない。
※女性セブン2016年6月23日号