いずれにせよ私は、好きなクルマにこれでもかというほど乗って、死ぬほど憧れだったフェラーリも10台乗り継ぎ(すべて中古だがもちろん自腹)、それについてああだこうだ好きなことを書いて生計を立てている。学生時代の夢以上のことが実現したわけで、本当にシアワセである。カーマニアにとってこれ以上理想的な仕事はなかろう。
もちろん自動車メーカーに就職して、クルマ作りに携わるのもカーマニアの夢だが、彼らは私たちほどいろいろなクルマに乗ることはできないので、よく羨ましがられる。
が、そんな羨ましいはずの仕事を志望する若者は、今や皆無になった。かつて自動車雑誌が社員を募集すると何百人もの応募があったが、近年はほんの数人しか集まらないとか。もちろん、自動車評論家志望の若者も限りなくゼロに近い。若者のクルマ離れを切実に感じる瞬間である。
恐らく自動車評論家や自動車ライターという仕事は、あと20年もすれば消滅するだろう。寂しい気もするが、これも時代である。自動車評論家という仕事とともに私も消えていく。しかし、好きなクルマに乗りまくって、それを仕事にできたのだから、思い残すことは何もない。
※週刊ポスト2016年6月24日号