当時は投手がヒジにメスを入れるのはタブーとされてきたが、私は後悔しないためにトミー・ジョン手術を受けた。そして、復活を目指して滝に打たれ、山籠もりもした。1日40kmを走り込み、ついに“サンデー兆治”として復活できた。
その間に病床で「俺の右腕を持っていけ」といってくれた親父を亡くしたが、そんな親父とおふくろに育てられた私は自分に負けることはできなかった。
おふくろは球場へ何度か足を運んでくれた。現役生活23年間の最後のマウンドとなった引退試合のスタンドにも姿があった。そして、試合後に「よく頑張ったね」と声を掛けてくれた。
決断するのも自分、頑張るのも自分。それを無言で背中を押して教えてくれたおふくろも、3年前に99歳で亡くなった。姉や兄に介護で世話になったが、最後は笑顔で旅立っていった。
●むらた・ちょうじ/広島県生まれ。1967年にドラフト1位で東京オリオンズ(1969年にロッテオリオンズ)に入団。左足を大きく上げる「マサカリ投法」で生涯成績215勝を築いた。
※週刊ポスト2016年7月22・29日号