「その通りです。今回も番組の尺の中では報じきれなかった事実を、現場を干されたから書けて、むしろ肩の荷が下りた感じもある。
安倍首相や麻生副総理や菅官房長官がどんな人間性を持ち、どんな議論を経てその決定が下されたか、僕は彼らと近しいだけに肯定的表現には慎重にならざるをえなかった。まして安倍政権の場合は、〈アベ政治を許さない〉と言う人に限ってアベもアベ政治もよく知らない一方、好きな人は無批判に好きで、要はどちらも根拠や足場を持たないヘイトスピーチに近い。
僕は仮にもジャーナリストを名乗る人間が好き嫌いを言い過ぎるのはどうかと思うし、人格批判やイデオロギーの入り込まない事実だけを、僕自身の論評さえ挟まずに書くことを心がけました」
本書は2007年9月、TBSが安倍辞任の第一報を抜いた際の再現劇から始まり、5年後の再出馬の動機ともなった盟友・中川昭一氏の死や震災。同じく大宰相を祖父に持つ麻生の義理堅さや戦後最高の官房長官とも称される菅の仕事の質まで、自身が見聞きした事実を元に構成される。
例えば第一次内閣解散の際は、元々〈電話嫌い〉な氏が安倍の体調を気遣い、自分の電話には必ず出るよう促すと、安倍は〈コールバックがなかったら、異変があったってことだね〉と言い、それがスクープ速報を生む符牒となった。またこの時麻生からは内閣改造に向けた〈直筆の人事案〉を安倍に渡すよう託され、近年では消費税引き上げを巡る解散を賭けた駆け引きなど、内政・外交面の重要案件に関わる〈伝令役〉としても機能した。
「僕も当初は、政治記者=政治家におもねる不潔な印象があったんですが、やってみると永田町では誰もがプレイヤーで、誰ひとり超然とはしていられないことがわかった。例えば僕が誰かを取材した事実が次なる事態を誘発する以上、『記者だからメッセンジャーはやりません』というのは陳腐だと思うんです。ただしやるからにはいずれ全てを国民に報告するべきで、それが僕らの免罪符でもある。
一方政治家も単に味方が欲しい人や一国民としての意見を聞きたがる人など、求める記者像は人それぞれ。その点、安倍さんは厳しい意見も聞く耳は持っていますし、対等な関係を求める僕と馬の合う人がたまたま現政権には多いだけです」