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2016.08.07 16:00  週刊ポスト

日本映画の濡れ場60年史 今の大女優が脱いだ70~80年代

 1956年、新東宝制作の『女真珠王の復讐』で、女優・前田通子が海岸の岩の上で一糸纏わぬ姿になって以来、今年で60年。数多くの女優たちが“濡れ場”を経ることで大女優への階段を駆け上っていった。1970~1980年代の名濡れ場を振り返る。

 1970年、大映は“レモンセックス路線”を打ち出し、専属女優の脱ぎを売りにする。15歳の関根恵子(現・高橋惠子)は『高校生ブルース』(1970年)で主演すると、この映画を皮切りにわずか1年半の間に7作連続主演でヌードになった。ブレイク前の松坂慶子も、『夜の診察室』(1971年)で抜群のプロポーションを見せている。ブラック氏は松坂と中学校の同級生で、共に演劇部所属だった。

「当時は眼鏡をかけて、インテリっぽい文学少女でしたが、男子から人気のあるタイプではなかった。一度、演劇で共演した時、彼女が老婆で、僕が代官の家来の役。顧問の先生は見る目がなかったようです(笑い)」

 1971年には、日活が経営危機を打開するため、ロマンポルノを始める。1本の制作費は、一般映画の3分の1程度である700万円程度だった。当時、プロデューサーとして制作に携わった岡田裕氏が述懐する。

「初期の頃、女優は濡れ場に相当な抵抗感を持っていましたね。事前に了承しているのに、撮影中に逃げ出して中止になったことが何回もありました。1960年代まで全裸はタブーでしたから仕方ない面もあります。しかし、作品が新聞で評価されて、徐々に市民権を得るようになりました」

 映画会社の苦肉の策が、業界に大きな変革をもたらしたのだ。すると、有名女優も脱ぎ始めるようになる。1973年、「ごきぶりホイホイ」のCMに出演するなど人気のあった由美かおるが『同棲時代─今日子と次郎─』でベッドシーンを演じ、全裸ポスターも話題になった。

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