その時は主役だった仲代も、映画『七人の侍』のエキストラで出演した際は「歩き方が侍になっていない」と、ワンカットしか出ない通行人の役なのに撮影を止められ、半日も歩く練習を黒澤明監督にさせられている。黒澤といえば、加藤武にも映画『悪い奴ほどよく眠る』でなかなかOKを出さなかった。
「監督もびっくりしたろうね。こんな下手な奴とは思わなかったんじゃないかな。台詞を喋れば怒鳴られてばかりいた」
大監督ともなれば、たとえ相手が親戚だったとしても容赦はない。山本圭の映画デビュー作は叔父の山本薩夫監督の『乳房を抱く娘たち』だった。
「撮影は朝の八時から始まっていたのですが、監督からなかなかOKがもらえない。『お前、養成所で何を勉強してきたんだ』って。でも、何度やっても駄目なんですよ。それで、9時、10時、11時になっても、私のせいでワンカットも進まない。その間に監督から罵倒の限りです」「私は居ても立ってもいられなかったです。初めての映画撮影の現場でしたが、初めて仕事場で泣きました」
乗り越えるべき苦難を早くに経験し、心折れずに続けたからこそ、その後の彼らがあるのだ。
※週刊ポスト2016年8月12日号