「ヘタクソだったんですよ。主役になれる選手は他にいたから、目立たないところで1年ごとに上手になっていく姿が、面白かったですね」
高校卒業後はVリーグの東レアローズに入り、2003年には初めて日本代表に選出された。2004年のアテネ五輪は直前でメンバーから漏れ、出場を逃がしたが、和子さんはどんな時でもいちばん近くで支えてくれる、絵里香さんにとって最も心強い応援団だった。
◆「代表復帰」の話に戸惑いを見せた絵里香さん
絵里香さんがバレーボール選手として経験を重ね、1つずつステップアップを遂げる一方、和子さんも「もう一度自分の楽しみとしてやってみよう」と、2011年に中学の体育教師に復職。「60才までは楽しませてもらおう」と思っていたそうだが、2014年3月に再び離職。ロンドン五輪の翌年に元ラグビー日本代表選手だった四宮洋平さんと結婚した絵里香さんの妊娠が判明したからだった。
「絵里香は『結婚して、子供がほしい』とは言っていたので、結婚すると聞いて、『いつか子供ができたらいいね』と思っていたのですが、あんなに早く恵まれるとは思わなかった。だから妊娠がわかった頃、最初は軽い気持ちで『お母さんがサポートしてあげるから安心して産みなさい』と、言っちゃったんです」
難産の末、2014年1月に絵里香さんの長女、そして和子さんにとって初孫の和香ちゃんが生まれた。
「パッチリした目じゃないところは、絵里香に似ているかな。絵里香が赤ちゃんの時は私の母と姉に『どうだった?』と聞いたら『大きかった』しか言わなかったんですよ。だから絵里香の赤ちゃんの時と比べたら、和香の方がかわいらしいですね(笑い)」
出産後もバレーボールを続けたい。そんな娘の思いを汲んでのサポート宣言だったが、実際に始まってみると「想像以上に大変だった」と笑う。
当初は絵里香さんも「1年でも長くバレーができればいい」という思いで、日本代表に戻りたいと考えていたわけではない。だが復帰直後のシーズンにブロック賞を獲得するなど、抜群の存在感を誇る絵里香さんに眞鍋政義・女子バレーボール日本代表監督は「もう一度やってみないか」と打診。代表でプレーするとなれば、海外遠征で長く家を空けることもあり、簡単に「やります」とは言えない。絵里香さんと夫の洋平さん、そして和子さんの3人で家族会議が開かれた。
「やるからにはトップを目指せ」と代表復帰を後押しする洋平さんに対し、やや躊躇していたのは他ならぬ絵里香さんだったと和子さんは言う。