「キャスターを始めたときは“スカートをはけ”と当たり前のようにプロデューサーに言われたり、“女性はただ隣で笑ってろ”と言われたりしました。今でも、女性はやっぱりお茶を入れさせられるし、いつまでたってもちゃんづけだし、会合では“きみ、お送りして差し上げて”と言われる。“なんで私が、エレベーターまで送るの?”と思います」
こういった伝統的な“女らしさ”を巡って、今インターネット上で大炎上している記事がある。女性が食事の席で、上司や彼に料理を取り分けるマナーを記したものだが、「時代錯誤」だと非難が殺到しているのだ。
《なんで『女の子』が取り分けないといけなくて、そんなにあれこれ気を使わないと恥ずかしいよという呪文をかけられるのか》
《女はこんなことをやるために存在してるわけではないと大声で叫びたくなった記事》
《なんで女だからってやらなきゃいけないの? 男だってやれば良い。ってか自分で取れ》
女性が社会進出したといわれて久しい。実際、仕事で重要な役割を任されたりするなど女性が活躍する機会が増えた。しかし、いまだに見えざる女の役割があって、雑事から解放されていない。
「女性が何かやろうとすると、女性はお茶を入れるもの、子育ては女性といった“伝統的文化”が残像のように出てきて、“あ、まだ私は原点にいるんだ”って気づく。だからみんな息苦しいんでしょうね」(蓮舫氏)
アベノミクスが成長戦略の一つの柱として掲げる「女性が輝く社会」。少子高齢化が進むなか、多様な働き方ができる社会を実現すると言いながら、いまだに育児や介護を担うのは女性という考えが根強い。社会制度の枠組みが次々にできているものの、蓮舫氏が言うように、女性は“伝統的文化”に縛られているのだ。
「経団連や労働組合のトップにまだ女性がいないのが実情です。選択的夫婦別姓も実現していません。なぜ旧姓を使用したい人が自分の名前を使い続けることができないのでしょうか。銀行口座を開設したり、パスポートなどの公的証書を作ったりできないのでしょうか。
ガラスの天井を打ち破りたいと思っても、そこにたどり着くまでに迷路がいっぱいあって、まだこの迷い道を抜け出すこともできない状況です」(蓮舫氏)
※女性セブン2016年9月8日号