◆あと、どれぐらい続くの?
血まみれの現場には同行しなかったグレゴワールだが、この惨事を契機に、それまでの妹に対する考えが間違っていたのではないか、と思い至った。
「私は、エディットから何年も何年も、自殺願望についての相談を受けてきたんです。今でも覚えていますよ。ここの庭のベンチに座って話していた時のことを。私だって、妹に生きていてもらいたいから、必死になって説得しました。『死んではダメだ』って」
私は、この次に彼が発する言葉を聞き逃さないよう、彼の口元を凝視した。
「でも、ダメだって言うべきじゃなかったんです。死ぬこともできるというオプションを切り捨てるべきじゃなかった。今、とても後悔しています。もし、死ぬことができることを病院や医師からも知らされていれば、むしろ違う道を彼女は選んだんじゃないかって」
この首切り自殺未遂をきっかけに、エディットの状態は日ごとに衰弱した。ピエールは、薬以外のもので娘の精神を安定させるべきと、病院では禁止されている行動に出た。
「はい、どうぞ、エディット」
「わー、パパ、ありがとう!」
ピエールは、ワイシャツの胸ポケットに隠し入れていたネズミを一匹取り出すと、あまり大きな声を出さないように、と娘に注意した。病棟では医師や看護師が入室する度に、エディットはネズミを尻の下に上手く隠していた。
だが、この一時的な精神安定期も、そう長くは続かなかった。彼女が35歳を迎えようとする2011年11月3日午後、外出中だった母親のマディーの携帯電話が鳴った。
「アロー(もしもし)、アロー……」
「……」
プツリと電話が切れた。誰だったのかは、彼女には分からず、何が起きたのかも想像できなかったという。その日の午後8時、病院から連絡があった。
「娘さんが亡くなられました」
彼女は死を遂げた。やはり映画と同じ方法だった。
「すべてが終わった。何十年もの苦しみから、これでようやく解放されたんですよ。悲しかったですね。でも、やっと娘が楽になったんだと思うと、言葉は悪いですけど、ホッとしました」
ピエールがそう言うと、グレゴワールも同じ言葉を繰り返した。
「妹が死んだと聞いたあの日の夜、私も不思議なくらい、ホッとしました」
エディットが自殺した当日、ビンケ家にいた数十匹のネズミが、一斉に姿を消した。その理由は謎のままだ。