ある日、ピエールとマディーは、病院からの電話を受ける。
「大変なことが起こりました」
娘が何をしでかしたのか、覚悟をしていた。しかし、駆けつけた先で見た光景は、想像を絶する娘の姿だった。
黒い髪は、ドロついた血の塊で覆われ、顔にも血がほとばしった痕が残っていた。首元は包帯でグルグル巻きにされ、混濁した意識の中、エディットが両親を見つめていた。ピエールが、娘に貧弱な声で語りかける。
「一体何てことをしたんだい」
父の問いかけに、エディットは、目に涙をためながら叫んだ。
「どうして死ねないの! 私なんか生きる価値がないというのに! なんで自分を殺すことさえできないのよ」
エディットがかつて鑑賞した仏伊合作映画『預言者』(原題『Un Prophete』・2009年)には主人公が他人の頸動脈を完璧に切り裂く凄絶な場面がある。エディットは、このシーンの真似事をしたのだった。が、頸動脈ではなく首の腱を切り、自殺は失敗に終わった。
ピエールが、この出来事を私に語っている最中、母マディーが顔を出し、われわれのいる居間の戸をバタンと閉めた。過去の記憶を葬りたいためか、あるいは、孫2人の耳に会話の内容が入ることを警戒したのか、私には分からない。横目で妻をちらりと見たピエールは、テーブルの上で両手の5本指を絡ませていた。5年前に起きた悪夢を思い返して指先が震えたのだろうか。深く息を吸い込んだ後、彼は言った。
「何でも99.9%を求める完璧主義者でしたからね。死ねなかったことも、彼女には相当の苦しみだったんです」