「特定秘密保護法に反対する学生有志の会」から発展して2015年5月に結成された「自由と民主主義のための学生緊急行動」、略称「SEALDs」(シールズ)が、解散した。「デモはかっこいい」を掲げて活動する彼らに対しては、常に賛否両論が激しく交わされていた。評論家の呉智英氏が、シールズの活動が社会と文化に与えた影響について考えた。
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8月末、安全保障関連法に反対する学生団体SEALDs(シールズ)が1年3ヶ月の活動を終えて解散した。彼らの活動をどう評価するか。新聞・雑誌に掲載された記事の中で面白かったのは8月23日付の産経新聞の社説「主張」である。その論旨自体はよくある保守系のシールズ批判なのだが、皮肉が利いていて、その部分が面白かったのだ。
まず、見出しが「『勝利』まで戦い続けては」。本文では「若者が声をあげることに一定の評価は惜しまない。解散などせず、『真の勝利』を目指して戦い続けてはいかがか」。
ほめ殺しといったところだろう。類型的で固苦しい論調が多い新聞社説の中では珍しく楽しい。
私自身はシールズに一貫して冷笑的だった。あんなものは、良くて徒労、悪くすれば安倍政権を利するだけだ、と思っていた。徒労は説明の要はないだろう。安倍政権を利するとは、異論を許す寛大な政権というイメージを作るからであり、また、機動隊のかっこうの警備訓練相手になったからである。安倍政権を支持する立場ならば、これで悪くなかろう。しかし、安倍政権を批判するつもりで敵を利していちゃ、話にならない。
政治とは、願望や理念を唱えることではない。それを現実化することだ。そうでなければ、床屋政談、酒場談義と同じである。
シールズに批判の声が出る一方、積極的に評価する声も当然ある。朝日新聞には、シールズ同伴知識人の高橋源一郎が談話を寄せている(8月27日付)。