メンタル不調の人と言っても、当然のことながら、いろんな性格の人がいる。不調かどうか関係なく相性があわないことも普通にあるし、さらに調子を崩しているからとにかくネガティブで、「受容」「傾聴」「共感」をやっていたらこっちのメンタルがまいっちゃうよ、というケースも実際は多い。
プロが仕事モードでするぶんにはいいが、職場が一緒だからというだけでそこまでつき合ってらんないね、となりやすいし、その程度には他人は他人のことを思いやれないものなのである。
もちろん、うつ病ならうつ病のメカニズムなど、そのイロハを知っておくだけでも、本人をいたずらに追い込むような言動を取らないよう、気をつける姿勢をつくることはできる。職場単位、会社単位でイロハを共有することは、その組織全体のタフネス増進につながるだろう。
基礎知識は必要なのだ。だけれども、それが即、本人支援につながるというほど簡単なものではない、という自覚も不可欠なのだ。
私個人は、相手を否定しないという意味での「受容」、愚痴をふんふんと聞く程度の「傾聴」ならば、嫌いなやつでなければ、メンタル不調の人に対して心がけたいと思っている。でも、「共感」はムリだ。病気であるなしに関係なく、他人の気持ちを自分の中で感じることなんて、そうそう滅多にできるもんじゃない。必要だからやれと言われても、やったらそれは自分にとって偽善行為になるのである。
「我ながら嘘っぽいなあ」と感じながら相手に寄り添うなどしたら、相手のアンテナは容易に私の偽善ぶりをキャッチし、余計、孤独を深めるだろう。
そんなことはしたくない。そうじゃなく、相手がメンタル不調になる前と、できるだけ同じように接したい。弱っているのだから、前よりも少しの気くばりをしながら。
その気くばりの仕方はケースバイケース、相手によりけりなのだが、以上は、メンタル不調で「うつ病」の診断を精神科クリニックで貰ったことのある私としての思いでもある。病人視して遠ざけないで、私個人として見てほしい、ただしちょっと優しくね。という、言葉にすると若干気持ち悪いのだが、自分の調子が悪かったときにそうしてもらいたかった願望である。