日本国憲法はフリーメイソンの理性主義の産物と言ってもよいほどです。
大日本帝国憲法は、臣民の「権利」は法律の制限を受けるとしていた。人民の権利よりも、天皇の権威が上位にある。これは受け入れがたい。
そこで日本国憲法では、天皇はただの象徴で、政治的権限を一切持たない。主権は国民に存する。そして人びとは、生まれながらの人間としての権利(人権)を無条件に持つとされた。よって、法律によって人権が制限されたりしない。そういう法律は作れないし、作れば憲法違反。大日本帝国憲法とはまるで違う。
戦後改革にも、フリーメイソンの思想が濃厚です。農地改革、財閥解体。土地と資本の不平等な配分を是正した。なぜこうした不平等が生じたかといえば、私有財産や各種の特権が、一部の人びとに集中するような仕組みを、戦前の「旧体制」が作っていたから。ゆえに不正で、この際、強制的に平等にしてしまおうという政策になった。極端な理性主義で、こうなればもう社会主義に近い。アメリカの本流から外れた、社会的実験だったとも言える。
アメリカ本国は、占領下の日本でフリーメイソンが好きにやっているなと知っていたはずです。でも、反軍部、反天皇制、反国家神道、反共産主義に役立つならまあよいと、片目をつぶっていたのではないでしょうか。
※SAPIO2016年10月号