例えばタレント業で言えば、今年の夏、三遊亭円楽がおこなった不倫騒動の謝罪・釈明会見は本当に素晴らしかった(というと語弊があるが)。「聞かれたことにはすべて答える」と冒頭に述べ、実際にすべての質問を受けつけ、「初高座の頃は、『芸人は女性にモテるくらいでないと』とよく言われたものですが、時代錯誤だったと痛感しております。皆様に不快な思いをさせたならば、高座でお返ししたい」と涙ながらに詫びた。かと思えば、同日に復帰会見を行ったベッキーのコメントを拝借したり、記者からの求めに応じて謎かけを披露したり。終わってみれば和やかムードの爆笑記者会見となり、「高座のよう」とも評された。周囲や家族のサポートがあってこそだろうが、それにしてもお見事。噺家としての面目躍如である。
サービス業で言うと、ちょうど1年前、本コラムで「聴導犬拒否騒動 他者に対する不寛容な社会の空気が気になる」という記事を書いた。百貨店で行われた補助犬の啓発イベントの直後、イベント参加者が同百貨店内のテナント飲食店から聴導犬との同伴入店を拒否された騒動について書いたものだ。
その後、百貨店は入店を拒否されたイベント参加者に謝罪。各テナントにも補助犬受け入れ指導を徹底し、店頭にも補助犬受け入れを示すステッカーを貼るなどしたという。今後どこまで徹底されるかが重要ではあるが、百貨店として客に対して適切な対応をしたと考えていいだろう。
よくも悪くも、揺り戻しは必ず起きる。例のすし店での”わさびずし”は日本人客相手にも提供されていたとか、2008年に観光庁が発表した外国人客への対応マニュアル内に、中国人客には練りわさびの多め提供を推奨する一文があるとかいう話が掘り起こされたりもしている。某アナウンサーにもタレント仲間からの擁護の声が上がったりもしているという。
だが節目にくさびを打ちこむことができるのは、騒動を起こした当事者しかいない。前述した噺家や百貨店は、当事者としてそれぞれの”客”に対して誠実な説明と謝罪を行ったからこそ、いまがある。いつまでも騒動がくすぶっているとしたら、それは適切な謝罪ができていないと捉えたほうがいいのではないか。どんなに嘆いても、不寛容な社会がすぐに変質するわけではない。
確かに「人の噂も七十五日」ではあるし、こうした話題は早晩消費される。だが消費された後、騒動の詳細は忘れられても、印象は意外と残ってしまうものだ。鼻にツーンと抜けた鮮烈なわさびの痛みのように。