では、私は何に惹かれたのか。ベタな表現ですまないのだが、あの世界観にやられたのだ。
どんな世界がそこで展開されているのか。深夜食堂にやってくる客の多くが、ワケあり、ダメ人間、一人ぼっち、ニートにオタクにスケベにロクデナシなど、うまく生きていない人たちばかり。そういった人たちが、惚れたり腫れたりトラブったり、一騒動おこして一話完結、というのが『深夜食堂』なのだ。
職業では、医師や弁護士、売れっ子シナリオライター、高名な料理評論家だって登場する。でも、みんなどこかに傷がある。傷が痛くて、夜中に深夜食堂で吹き溜まる。痛みを一人で抱え切れず、誰かに会いに来る。
言ってみれば、『深夜食堂』は、帰る場所のない者たちが帰ってくる、かりそめの居場所なのだ。この店で酒は三本(三杯)までしか注文できない。酔いつぶれて痛みから逃げてはダメだからだ(というふうにマスターは考えたのだと私は思う)。
そこは正直者たちの溜り場だ。常連たちの口の悪さに慣れれば居心地がいい。でも、ずっとそこに居られるわけではないことを、登場人物たちも観客たちもみんな知っている。もしそこに一体感が生まれることがあっても、それはまもなく消えるのだ。その儚い人間のあり方が、私は愛おしい。
まあ、『深夜食堂』ってのは、そういうファンタジーなのだ。心があたたかくなる系ともちと違って、心にひりひり沁みる。そこに中毒性がある。
台湾、韓国、中国でもヒットしているこの作品。Netflixでは190カ国同時配信だ。MBA取ってイエイみたいな人には通じないかもしれないが、ハマった外国人とは友達になれる気がしている。