「我ら懺悔す。無始(永遠の昔)より、このかた(現在まで)、妄想(修行に無関係な想念)に纏われて衆罪を造る。身口意(身体と言葉と心による)業(行為)常に顛倒(逆さまになる)して、誤って無量不善の業を犯す。
珍財を慳りん(もの惜しみし、ほしがる)し、施(他人に贈り物をする)を行ぜず。意に任せて放逸にして戒(自己執着を捨てる強い意志)を持せず。しばしば忿恚(怒り)を起して忍辱(耐え忍ぶ)ならず。多く懈怠(なまけ怠る)を生じて精進(努力)ならず。
(中略)
利養(自己の利益)を得んと欲して自徳を讃じ、勝徳(徳の勝れた)の者を見ては嫉妬を懐く。卑賤(貧弱)の人を見ては驕慢を生じ、富饒(豊富)の所を聞いては希望(そうなりたいと望む)を起こす。貧乏の類を聞いては常に厭離す。
(中略)
行住坐臥(日常)知ると知らざると犯す所の是の如くの無量の罪、今三宝(仏陀と仏教と教団)に対して皆発露(告白)し奉る」
聖職者は、常に後ろめたさを感じつつ、清浄を保たなければなりません。
●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。 1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓 がんが発見され、余命数か月と自覚している。
※週刊ポスト2016年11月18日号