夫に肺がんが見つかったのは、彼女が男の子を出産した2か月後。「これ以上ない幸せ」をかみしめていた直後の、青天の霹靂だった。やがて夫の肺がんは進行し、脳に転移した。治る見込みはない。彼女は、残された時間を、できるだけ夫の好きなように過ごしてもらいたいと思った。優しく美しい女性だった。
夫の趣味は、パチンコや競輪などのギャンブル。彼女は、それを止めなかった。がんになったからといって、急に人間は変わらない。変わる必要もない。不思議なことに、夫がパチンコで大勝ちする。なんと3日連チャンで45万円。困っていた入院費用も、自分で稼いだ。
最後は、自宅で訪問看護を受けながらの闘病となった。幼い子どもと少しでも多くの時間を過ごさせたかった。その決断は、Nさんも夫も納得していた。だが、迷いはあった。夫を看取った後もずっと残っていた。
そして、Nさんはぼくに手紙を書いた。書きながら、闘病の日々を反芻することで「これでよかったのだ」と思うことができた。ナラティブテラピーだ。その後、ぼくは返事を書き、何度も手紙のやりとりをした。彼女が住む地域で講演会があると、会って食事をすることもあった。
そのNさんから先日も、手紙が届いた。生まれ故郷の香川県に移り、子どもも元気に小学校に通っている。今年10月、夢だったケーキ工房を実家の果樹園の隣にオープンした。息子の名前をとって、お店の名前を「れいくんち」とした。そんなうれしい近況が綴られていた。
どんなにつらい出来事があっても、それを新しい物語として描きなおすことができる。映画のなかの人物も、現実を生きるぼくたちも、人間はみな、再生する力をもっている。手紙はそれを教えてくれた。
●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『「イスラム国」よ』『死を受けとめる練習』。
※週刊ポスト2016年11月25日号