早田には、たった数枚のカットで撮影できる技術と材料、そして工夫があった。
ハリウッド映画のスチール写真から細やかな照明や背景の演出を独学で習得。また、物資の不足していた戦争直後に、進駐軍高官の結婚式の写真を撮影し、謝礼として日本では手に入らない貴重なフィルムやライト、印画紙などを米軍から入手した。
スタイリストという職業がまだ確立していない時代に、自らのアイデアで撮影に変化をもたせることも試みた。
「『この帽子被ってみて』『ここに花を置こう』などスタジオにある小道具をふんだんにお使いになっていました」(三田)
生前、早田はこう語っていた。「写真を撮るのは5分間だけ。BGMをかけて、おしゃべりに時間をかけるんです。そして、その人の長所だけを見てあげれば、最高の1枚が撮れます」
人生を女優の良さを引き出すために捧げたカメラマンだった。(文中敬称略)
●早田雄二/1916年8月30日生まれ、東京都出身。本名・橘雄二郎。印刷会社での3年間の見習いを経て、1937年に映画世界社入社。社長の兄・橘弘一郎とよく名前を混同されたため、『早田雄二』と名乗る。国内外のスターを撮り続け、最後の被写体はマイルス・デイビス。その翌年の1995年3月に死去した。
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※週刊ポスト2016年12月2日号