大原麗子一覧

【大原麗子】に関するニュースを集めたページです。

かつ久のとんカツ定食
大原麗子さん 大女優の晩年を支えたのは近所の店のとんカツ定食
 多くの映画やドラマに出演し、たくさんの人から愛された大原麗子さん(享年62)。「少し愛して、長〜く愛して」と囁くサントリーレッドのCMはあまりにも有名だ。持病のギラン・バレー症候群を抱えながら仕事への復帰を目指していたが、2009年8月6日に自宅で亡くなっているのを実弟と警察により発見された。そんな大原さんが最後に食べていたものとは。(※文中は敬称略)贔屓のとんカツ店には毎日のように通った 類い稀な美貌とハスキーな甘い声で世の人々を魅了した大原は、普段から体形維持に気を配り、小分けにした食事を少量食べるのが習慣だった。だが、大好きな肉料理だけは例外だったと、実弟の大原政光さんは振り返る。「中でも、とんカツは一人前をペロリと平らげていました。姉さんの自宅の近所にあるとんカツ店『かつ久』を大層気に入っていて、同じ日に昼夜2回も食べに行ったこともあるそうですよ」 亡くなる前年の11月に右手首を骨折してからは、動くのもつらい様子だったが、『かつ久』の綱島麻江さんによれば、2009年5月末までは毎日のように店へ通っていたという。「『お肉が大好きなの』と言ってお元気そうに召し上がっていました。その後急にお見かけしなくなり、心配していたんです」 その2か月後、大原は自宅でひっそりと息を引き取る。冷蔵庫には、半分に切った大きなすいかだけが残されていた。その真ん中には、スプーンですくって食べた跡があったという。「暑さで食欲もなく、すいかなら食べられたのでしょう。どうにか口にしたのかと思うと、とても感慨深いものがありました」(政光さん)「芸能界の兄と姉」から贈られた大切な品々 何度も共演した高倉健にプレゼントされた万年筆には、「No.1」の字が刻印されている。「健さんの一番に選ばれた」と喜んでいたという。 美空ひばりからは、ディレクターズチェアをもらった。「一度も使わず大切に飾っていました。私がうっかり座ろうとして、ひどく怒られたことも」(政光さん)。 政光さんの自宅には数え切れないほどの大原の写真が大切に保管されており、どれもため息がでるほど美しい。「世間が抱く奥ゆかしいイメージとは違って、普段の姉さんはチャキチャキした明るい人でした」と政光さんは思いを馳せる。撮影/玉井幹郎 取材・文/スペースリーブ(湯山幸奈、加藤瞳)※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.09 16:00
女性セブン
28歳で発症したギラン・バレー症候群の後遺症に悩んでいた
丹後、伊豆、函館…灯台から灯台へ 大原麗子さん出演映画の舞台を巡る
 今年、生誕75周年になる大原麗子さんが出演した映画『新 喜びも悲しみも幾歳月』(1986年 監督/木下惠介)は、一家が転勤を繰り返しながら全国の灯台をめぐる物語でもある。映画で大原さんが暮らした灯台のなかから4か所をめぐる。【あらすじ】 灯台守夫婦の愛と労苦の歩みを描いた1957年の大ヒット作を名匠がセルフリメイク。加藤剛と大原麗子が夫婦役を演じる。灯台から灯台へと転勤するたびに山梨から訪ねてくる老父(植木等)との関係を軸に、ユーモアを交えながら、1973年から13年間の家族愛を描く。各地の灯台の雄姿と名所旧跡も見どころで、あの有名な主題歌も懐かしい。●石廊埼灯台(静岡県) 1975年に赴任した灯台は伊豆半島最南端に立つ。内部の一般公開は年2回だが、敷地は通年開放。灯台の先には石室(いろう)神社が鎮座する。●経ヶ岬灯台(京都府) 1898年に丹後半島最北端に設置され、第1等レンズを使用した希少な灯台。映画は一家がここから石廊崎への引っ越し準備をする73年3月から始まる。●八丈島灯台(東京都) 1980年、一家は八丈島に。円形灯台は島内最東端、石積ヶ鼻の高台にそびえる。●恵山岬灯台(北海道) 一家は八丈島から函館の官舎へ。この灯台は1890年に設置。周辺は現在、公園に。 真面目で口数が少ない夫に対し、大原演じる妻はお喋りで明るい。突然訪ねてきては面倒をかける義父に嫌味を言いつつも世話を焼き、灯台守の妻は我慢の連続だと夫に愚痴りながらも「お喋りだった私が無口になっちゃった」と笑わせる。八丈島灯台を眺めて夕涼みをしながら夫が父親と一緒に暮らしたいと告げる場面は一大クライマックス。大原は長台詞で最高の演技を見せ、観る者に「こんな妻が欲しい」と思わせる。(一部敬称略)写真提供/大原政光※週刊ポスト2021年11月19・26日号
2021.11.17 07:00
週刊ポスト
大原麗子さんも二度にわたり“マドンナ”を務めた
寅さんのマドンナとして大原麗子さんがめぐった薩摩半島の旅
 映画『男はつらいよ』シリーズといえば、渥美清さんが演じる「フーテンの寅」が旅先でマドンナに出会い、恋をするのがお約束の人情喜劇だ。マドンナには毎回、魅力的な女優がキャスティングされた。今年、生誕75周年になる大原麗子さんも二度にわたりマドンナを務めた。二度目のマドンナ役となった『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(1984年 監督/山田洋次)の舞台、薩摩半島をめぐろう。【あらすじ】 上野の焼き鳥屋で車寅次郎(渥美清)と意気投合した証券マンの富永健吉(米倉斉加年)が仕事に疲れて蒸発。鹿児島で見掛けたという情報を頼りに、寅次郎は健吉の妻・ふじ子(大原麗子)と捜索しに行くが、発見できなかった。柴又に戻った寅次郎は、彼女に恋をした自分に気付いて悩む。●鰻温泉 蒸発した健吉が身を寄せた鰻温泉。●城山展望台 寅次郎とふじ子は城山展望台から桜島を眺めて鹿児島を後にした。●丸木浜 ふじ子が物思いに耽った丸木浜。●加世田麓 2人が健吉の情報を聞きに行く家は、2019年に日本遺産に選ばれた加世田麓にある。用水路沿いに石垣や武家屋敷などがあり、歴史的な街並みが美しい。 大原演じるふじ子の清楚さと健気さが光る一作である。健吉と飲み明かした翌朝、寅次郎は目が覚めると茨城・牛久沼の彼の自宅にいた。朝食を作るふじ子の清楚な立ち姿に、寅次郎は気恥ずかしくなった。 後日、手土産を持って訪れると、ふじ子が健気に「……主人いないの」と涙を溜めて呟く。夫を捜索しに行った夜、同じ宿に泊まるとあらぬ噂が立つと言う寅次郎に「つまんない、寅さん」と言い捨てる姿も色っぽい。(一部敬称略)写真提供/大原政光※週刊ポスト2021年11月19・26日号
2021.11.14 16:00
週刊ポスト
大原麗子さん出演映画ゆかりの地をめぐる
大原麗子が高倉健に思いを寄せた映画『居酒屋兆治』の舞台、函館を歩く
 潤んだ瞳と鼻にかかった甘い声で男たちを夢中にさせた女優・大原麗子さんが、11月13日に生誕75周年を迎える。大原さんが主人公・高倉健の元恋人を演じた映画『居酒屋兆治』(1983年 監督/降旗康男)の出演シーンを思い浮かべながら、舞台となった函館をめぐろう。【あらすじ】 造船会社の方針に納得がいかず、退職した藤野英治(高倉健)は函館で妻の茂子(加藤登紀子)と『兆治』という居酒屋を経営していた。元恋人のさよ(大原麗子)は牧場主と結婚するも、英治を想い続けて苦しむ。ある晩、さよの不注意から牧場が火事に。2人は警察から放火を疑われる。●金森赤レンガ倉庫 個性的な客が集う『兆治』があったのはこの倉庫群の一角。現在は商業施設として賑わう。●函館朝市 英治夫妻が買い出しに訪れた函館朝市。さよは英治を見付けるが声を掛けられず。●七財橋 雨の中、英治がさよを探した七財橋は当時と変わらぬまま。 元恋人の英治を想う余りに身を滅ぼすさよを演じる大原は、巧みな表情で悲哀を醸し出す。アパートでウイスキーをあおり、英治とのツーショット写真を見つめ、机に突っ伏しながら「あなたが悪いのよ……」と呟く。 思い余って、ダイヤルを回すも「電話、掛けたかったけど、掛けられなかったわ。茂子さんがいるんですもん」と受話器を持ちながら泣き崩れる。自宅アパート内での物憂げな顔が近隣のパチンコ店の賑やかな音楽によってさらに際立つシーンも。(一部敬称略)写真提供/大原政光※週刊ポスト2021年11月19・26日号
2021.11.13 16:00
週刊ポスト
大原麗子さんの思い出は今なお、色鮮やか
大原麗子さん生誕75周年 病と闘いながら走り続けた、ファン想いの素顔
「万物でも感情でも、すべては壊れていくもの、変わっていくものだ、だから執着しすぎてはいけないし、執着しなくてもまたいけないの」(『SOPHIA』1987年3月号)“諸行無常”という言葉を大切にしていた大原麗子は1946年11月13日、東京・文京区に生誕した。生誕75周年になる。父親は文京区千石で和菓子店を経営し裕福だった。3歳下の弟の政光さんが話す。「小さい時、僕が近所の子にいじめられたら、お姉さんがその子を泣かせてました(笑)。頼もしい姉でした」 麗子が8歳の時に父親の不倫が発覚して家庭が崩壊。母親と麗子は家を出て、府中でのアパート暮らしを経て北区赤羽の母の実家に戻った。生家に残った弟とは仲が良く、互いの家を行き来した。 1964年にNHKドラマ『幸福試験』でデビューし、1965年に東映入社。2年で20本もの映画に出演し、瞬く間にスターの仲間入りをした。東映では劇中で裸を求められたものの頑なに拒否した。当時、大学生だった政光さんは大原の運転手を務めた。「多忙な姉はパジャマで車に乗って、中で着替える。最初に洋服を上に着て、中のパジャマを脱いでいく。すごく器用でしたね」(政光さん、以下同) 1977年からサントリーレッドのCMに出演。『すこし愛して、ながく愛して』のフレーズで視聴者の心を掴む。「レッドは安価な商品だったので、本人は受けるか迷っていた。でも、信頼していた市川崑さんが監督を務めることもあって引き受けた」 年2回集計の『テレビタレントイメージ調査』では、1976年から1984年まで13回も女性部門1位に。1989年にはNHK大河ドラマ『春日局』で主演を務めた。順風満帆な女優人生に見えたが、28歳で発症したギラン・バレー症候群の後遺症に悩んでいた。大原は「若い頃に頑張り過ぎたから、病気になっちゃった。だから、頑張るという言葉が嫌いなの」と漏らしていたという。「ほとんど寝る時間もなく働いていましたからね。でも、病気について弱音は吐きませんでした」 晩年も読書をしながら、自分に合う役を探し続けた。諸行無常を感じながらも、最後まで女優であろうとした大原は2009年8月3日、62年の生涯に幕を閉じた。戒名は「華麗院妙舞大姉」。「三鷹の観音寺に母が建てた墓に入る予定でしたが、ファンの方が訪問しやすいように、より大きな妙壽寺(世田谷)の父が眠る墓に埋葬しました」 メッセージやブロマイドが置かれる墓には、13回忌を迎えた今も参る人が絶えず、花が手向けられている。「姉はファンレターのすべてに目を通し、『自殺したい』という手紙には『一緒に生きていきましょう』と直筆で返信するほどファン想いでした。今も皆さんに愛されて喜んでいると思います」(一部敬称略)取材・文/岡野誠 写真提供/大原政光※週刊ポスト2021年11月19・26日号
2021.11.11 19:00
週刊ポスト
週刊ポスト 2021年11月19・26日号目次
週刊ポスト 2021年11月19・26日号目次
週刊ポスト 2021年11月19・26日号目次2022年6月 高市総理、爆誕! 来たる「大安倍派」の旗揚げは、「岸田降ろし」の号砲だ特集◆落選運動はもう始まっている 現役幹事長の落選で分かった「破壊力」、次は来年の参院選へ◆日立「V字回復」の驚異総合電機メーカー「ひとり勝ち」をもたらした“非主流派社長”3代の経営改革◆オリックスを25年ぶりに甦らせた 仰木監督のDNA 元優勝メンバーたちが語る復活秘話◆「あの薬」を飲むと「この病気」になる 最新重大リスク◆女子アナ「8時戦争」“朝の顔”は譲れない!◆美しい女性を「美人」と呼んではダメですか?◆バブルの王様 アイチ森下安道伝【第3回】 ●森功◆名人・渡辺明が語る藤井聡太三冠「彼の“才能”は圧倒的です」◆八角理事長が法廷で告白した「相撲協会と裏金」一部始終傍聴ルポ◆そうだ、「月3万円」の小遣い稼ぎを始めよう◆年間30万円得する「申請すればもらえるお金」◆ED治療「屹立革命」第3回 塗る薬「エロクソン」7分後に感涙の絶景が!◆ミズノ・水野明人社長 スポーツを通じて蓄積した知見は社会課題の解決にも役立てられる◆『プカプカ50年目の真実』シンガーソングライター 西岡恭蔵ワイド◆中川翔子 人気格闘家と撮◆小室圭さん「事務所退職」の可能性◆上白石萌音 新・朝ドラヒロインの英語力◆京王線刺傷事件 動画撮影者◆内村光良・松本人志 大晦日に“再共演”か◆花巻東 清宮越え“新怪物”117キロは太りすぎ?グラビア◆トヨトミの暗雲 第1回 内部告発◆やっぱり名古屋は日本一だがや!◆おくすりやめる手帳◆ずっと愛していたい女 大原麗子・大原麗子と旅にゆく◆名古屋No.1アナ 望木聡子 でらベッピンさん!◆ついに完結! 高宮まり×岡田紗佳 牌×牌Ⅲ◆山田愛奈 よそ見なんてしないで◆[新連載]升毅 居酒屋ますや連載・コラム【小説】◆柳広司「南風に乗る」◆山崎ナオコーラ「あきらめる」【コラム】◆[新連載]蛯名正義「『エビショー厩舎』本命配信」◆秋山博康「刑事バカ一代」◆大前研一「『ビジネス新大陸』の歩き方」◆高田文夫「笑刊ポスト」【ノンフィクション】◆井沢元彦「逆説の日本史」【コミック】◆やく・みつる「マナ板紳士録」◆永井豪「柳生裸真剣」【情報・娯楽】◆ポスト・ブック・レビュー◆医心伝身◆ポストパズル◆法律相談◆ビートたけし「21世紀毒談」
2021.11.08 07:00
週刊ポスト
フィルムに刻まれた女優たちの美を振り返る(写真は十朱幸代)
十朱、池上、水沢、あべ、大原、香坂…日本カメラ財団の超貴重写真
 日本カメラ財団は一般財団法人。「日本カメラ博物館」やJCIIフォトサロンを東京・千代田区一番町で運営する。1989年の博物館開館以来、同財団は活動の一環として歴史的写真資料や写真家のフィルムを積極的に収集してきた。所蔵フィルムは数十万点に及び、本特集の写真は、今は亡き2人の写真家が遺したフィルムから発掘した。 一人は1980年代から小誌や『GORO』『週刊プレイボーイ』などでグラビア撮影をし、2005年に逝去した浅井鉄雄氏。もう一人はファッション、ポートレート、ドキュメントで活躍し、2015年に逝去した大倉舜二氏。 女優名が走り書きされた袋や雑誌名で整理されたファイルに収められた膨大なフィルムは、退色もなく非常に保存状態がよかった。丹念にルーペで覗いていくと、レンズに挑むかのような眼差し、架空の女を演じきる表情、心を許した一瞬から、女優たちの息遣いまでが聞こえてくるようだ。フィルムに刻まれたその美しさは、永遠に語り継がれていく。●十朱幸代(とあけ・ゆきよ)/1942年11月23日生まれ、東京都出身。1958年、NHKドラマ『バス通り裏』でデビュー。1980年、1985年ブルーリボン主演女優賞に輝く。2003年に紫綬褒章、2013年に旭日小綬章を受章。自叙伝『愛し続ける私』(集英社)が発売中。撮影/浅井鉄雄●池上季実子(いけがみ・きみこ)/1959年1月16日生まれ、ニューヨーク出身。1974年、NHKドラマ『まぼろしのペンフレンド』でデビュー。1984年に日本アカデミー賞優秀主演女優賞、1989年に助演女優賞を受賞。女優、ナレーターなど多方面で精力的に活動中。撮影/浅井鉄雄●水沢アキ(みずさわ・あき)/1954年12月5日生まれ、東京都出身。1972年、TBSドラマ『夏に来た娘』でデビュー。1975年からNHK『連想ゲーム』に出演し、人気を博した。篠山紀信撮影の写真集『AKI MIZUSAWA 1975-2020』(小学館)が発売中。撮影/浅井鉄雄●あべ静江(あべ・しずえ)/1951年11月28日生まれ、三重県出身。1973年『コーヒーショップで』で歌手デビューし、2枚目『みずいろの手紙』もヒット。1974年『NHK紅白歌合戦』に初出場。現在、コンサート『夢スター歌謡祭』で全国を回っている。撮影/浅井鉄雄●大原麗子(おおはら・れいこ)/1946年11月13日生まれ、東京都出身。1965年、東映入社。1989年、NHK大河ドラマ『春日局』に主演。CM『サントリーレッド』の「すこし愛して、なが~く愛して」というフレーズは流行語に。2009年8月逝去。撮影/大倉舜二●香坂みゆき(こうさか・みゆき)/1963年2月7日生まれ、神奈川県出身。1975年、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』のマスコットガールとして人気者に。1984年、『ニュアンスしましょ』がヒット。現在、『なないろ日和!』(テレビ東京系)のMCを務める。撮影/浅井鉄雄※週刊ポスト2021年4月16・23日号
2021.04.13 19:00
週刊ポスト
色々な女優から愛された(時事通信フォト)
大原麗子さん、「おにいさま」と慕った渡哲也さんとの関係
 派手を好まず、実直で温厚、そして義理堅い。「男の憧れ」としての生き様を貫いた渡哲也さん(享年78)は、生前、石原軍団を始めとする「男たちとの交友」ばかりがクローズアップされ、女性遍歴がほとんど報じられない希有な俳優だった。 だが、その実、多くの女優に愛された人生を送っていた。若かりし日の知られざる有名女優との交歓は、数十年の時を経て続いていた──。 渡を心から慕った大女優が、大原麗子さん(享年62)だ。2017年に他界した渡の実弟・渡瀬恒彦さん(享年72)の元妻である。生前、大原さんのマネージャーを40年にわたって務めた佐藤嘉余子氏が語る。「麗子さんは1973年に渡瀬さんと結婚しましたが、1975年には神経疾患であるギラン・バレー症候群を発症してしまった。夫の渡瀬さんが献身的に支えてくださいましたが、同じくらい親身になってくださったのが、渡さんでした。 渡さんはご自身が病気がちでしたし、石原裕次郎さんの闘病を支えてきた経験から、病院に詳しかった。そのツテで麗子さんは東大病院に入院することができたんです。麗子さんは渡さんのことを『おにいさま』と呼んでいて、『おにいさまのおかげで私は救われました』と深く感謝していました」 当時、大原さんは押しも押されもせぬ人気女優。一方、渡瀬さんも数多くの映画に出演していたものの、「裕次郎2世」と呼ばれスターになっていた渡さんに比べれば目立たない存在だった。 そのため、結婚後も一部のメディアの注目は渡さんと大原さんに集まり、2人の間柄が邪推されることもあったという。「渡さんの父親が亡くなった際には、葬儀での渡さんと麗子さんの並びを切り取って報じられたこともあります。確かに、2人が並ぶと絵になるんです。渡さんの奥さまから麗子さんのところに電話が来て、『誤解されないように、ちゃんとしてください!』と注意されたこともありましたが、麗子さんは『これ以上どうちゃんとすればいいのかしらねぇ』と漏らしていました(笑い)。 渡さんは女性に対してヘンな過ちは絶対に犯さない人。だからこそ、大原も信頼し、慕っていたんです」(佐藤氏) 1978年に大原さんと渡瀬さんは離婚。その後、大原さんはギラン・バレーを再発。仕事もなくなり、2009年に自宅で孤独死した。 激動の半生を送った大原さんだが、晩年になっても渡さんを慕う気持ちは変わらなかったという。「『おにいさまは私の恩人だ』と折に触れて話していました。渡瀬さんが離婚後も麗子さんを支えていたことは知られていますが、渡さんもまた、ずっと麗子さんのことを気にかけてくれていたそうです」(同前)※週刊ポスト2020年9月4日号
2020.08.26 07:00
週刊ポスト
まずまずのスタートを切った『麒麟がくる』
史上最高の「大河ドラマ」総選挙ベスト20
 主役級のキャストがずらりと揃い、緻密な脚本と豪華な演出で歴史という“大河”を1年かけて描く。NHK大河ドラマは1963年の開始以来、「テレビドラマの最高峰」で在り続けている。では歴代作品のうち、そのナンバーワンは? 大河ファンの本誌・週刊ポスト読者1000人が選んだ──。◆将棋で秀吉の本質を描く 59作目になる大河ドラマ『麒麟がくる』は、ヒロイン・沢尻エリカの降板で例年より遅い1月19日からのスタートとなったが、視聴率は20%近くを維持し、放送後の評判も上々だ。「前作『いだてん』が近代の設定だっただけに、『麒麟がくる』のド派手な合戦シーンに“これぞ大河!”と興奮しました。主人公・明智光秀(長谷川博己)の清廉さと主君である斎藤道三 (本木雅弘)の残酷さが好対照で、やはり大河は別格だなと再認識しました」(58歳自営業) しかし、『麒麟がくる』が今後比較されるであろう過去の名作の輝きは、あまりにまばゆい。 読者が選んだ1位は39.7%の歴代最高平均視聴率を記録した渡辺謙主演の『独眼竜政宗』(1987年)だった。「かわいかった梵天丸 (主人公・伊達政宗の幼名)が病で“独眼竜”になりながら逞しくなっていく様子に胸が躍りました。渡辺謙さんを見たのはこのドラマが初めてでしたが、まさかこんな大物になるなんて!」(65歳会社員) 梵天丸が不動明王像を前に言う「梵天丸もかくありたい」という言葉は流行語になり、真似する子供が続出した。 梵天丸を演じた藤間勘十郎氏は現在、39歳。当時の撮影をこう振り返る。「そのセリフは撮影当時とくに思い入れもなく、あんなに反響を呼ぶとは思ってもみませんでした。印象に残っているのは、お父様(伊達輝宗)役の北大路欣也さんと馬に乗るシーンです。僕は乗馬をしたことがなく、さらに鞍ではなく馬の首にしがみつかなければいけなくて怖かったのですが、北大路さんが自分と僕を見えないように紐で括りつけて『これだったら絶対に落ちないから大丈夫』と言ってくださって何とか撮影できました」 秀吉を演じる勝新太郎と若き日の政宗の対決も見物だった。百姓一揆を煽動したとされる「鶺鴒の花押」(せきれいのかおう)事件で、嫌疑をかけられた政宗が秀吉に呼び出されて上洛する。「久々に見た勝新がとんでもない大物オーラを放っていて、画面に釘付けになりました」(60歳会社員) 勝は緊張感を高めるために、このシーンの収録まで渡辺に一切会わなかったという。脚本を担当したジェームス三木氏が当時を振り返る。「首元にいきなり采配を突きつけたのは、勝さんのアドリブ。あれには驚いた。秀吉と政宗の腹心が将棋を指すシーンもありましたが、実は勝さんとは彼の事務所でよく将棋を指していたんです。なかなか強くてね。それで将棋のシーンを思いついた」 秀吉は王将と角、歩しか持たず、「代わりに自分だけ三手進める、どうじゃ」と持ちかけ、三手で相手の玉を取ってしまう。「将棋を通して秀吉の本質を描こうとした」(ジェームス氏)という。 18位の『八代将軍吉宗』(1995年)もジェームス氏の脚本だ。徳川御三家・紀州藩の四男で、将軍になるはずのなかった吉宗(西田敏行)が運命のいたずらで将軍の座にのぼりつめる。「平和な時代を描くのは難しいんだよ(苦笑)。女性や幅広い年齢層に見てもらうために、ホームドラマの要素も取り入れました。質実で明るい吉宗を、西田が見事に演じてくれた」(同前)◆「本能寺の変」を2か月延期 黎明期の大河ドラマを「国民的ドラマ」の地位に引き上げたのは、7位に入った『赤穂浪士』(1964年)だ。「討ち入りの日に、長谷川一夫演じる大石内蔵助が『おのおのがた、かねての手はず忘れぬよう……』と言った台詞は今でも記憶に残っています。学校でもみんな真似して、ちょっと鼻にかかった声で『おのおのがた』って言ってたなぁ」(66歳自営業) 翌1965年の『太閤記』も6位にランクイン。「秀吉というと“猿”のイメージだけど、緒形拳の真っ直ぐで、カッコいい秀吉が大好きだった」(72歳無職)「炎と白煙に包まれた部屋のなかで、白装束に身を包んだ信長(高橋幸治)が自害するシーンが鮮烈だった」(75歳自営業) まだ文学座研究生だった高橋演じる信長の人気はすさまじく、「信長を殺さないで」という投書がNHKに殺到。本能寺の変の放送が2か月も延期されたという。 秀吉をテーマにした作品では、竹中直人演じる『秀吉』(15位・1996年)も人気が高かったが、こちらも主役以上に注目が集まったのは信長だった。「渡哲也の、言葉ではなく表情だけで相手を震え上がらせるような雰囲気はさすが。本能寺の変で『神が死ぬか!』と叫びながら刀で首元を切るシーンには息を飲んだ」(55歳会社員) 大河ドラマといえば、その時代をどう描くかにも注目が集まる。『秀吉』の時代考証を担当した、歴史学者で静岡大学名誉教授の小和田哲男氏がその舞台裏を語る。「『秀吉』では、洪水によって石垣が壊れた清洲城を秀吉が修理するシーンが出てくる。修理箇所を10箇所に分けて作業員を競わせ、工事の効率を上げるという秀吉の切れ者ぶりを表わすエピソードですが、『信長時代の清洲城に石垣はない』ことをNHK側に伝えたところ『土塁や土塀では迫力が出ない』と。議論した末、『将来的には石垣が発掘される可能性もある』として私が妥協する形になりました(笑い)」 史実と創作のせめぎ合いが名シーンを生んだ。◆『龍馬伝』の映像革命 大河には女性の存在も欠かせない。女性が初めて単独の主人公となった佐久間良子主演の『おんな太閤記』(14位・1981年)、大原麗子の代表作ともなった『春日局』(19位・1989年)など、女性が単独主人公の大河は10本あるが、その中で最も支持を集めたのは宮崎あおい主演『篤姫』(4位・2008年)だ。「篤姫に会えないまま、夫の徳川家定(堺雅人)が息を引き取る場面は、夫婦でティッシュを奪い合いながら見ていた」(54歳会社員) 近年の大河のなかで、「映像面で従来とは違う新機軸を打ち出した」(ドラマ評論家の成馬零一氏)と評価が高いのが3位にランクインした『龍馬伝』(2010年)だ。「画面に砂煙が舞っているような特徴的な映像を作ったり、生々しさや臨場感溢れる映像によって作品のリアリティが増しました」(同前) 一方、ストーリーの新しい見せ方が話題になったのが2位にランクインした『真田丸』(2016年)。「三谷幸喜脚本で、戦国モノながら戦いの場面はあまり描かれず、議論のシーンのほうが多かった。台詞の掛け合いや主人公たちの心の動きを楽しめるものだった」(同前) 2022年に放送予定の大河『鎌倉殿の13人』でも三谷氏が脚本を務めることが発表されている。 現在放送中の『麒麟がくる』は、歴史上では「悪人」として描かれる明智光秀が主人公なだけに今後どのようなストーリーになるのか注目を集めている。同作品の時代考証を担当している前出の小和田氏が言う。「光秀は謎の多い人物ですが、彼が書いた文書(手紙)のなかには、戦でケガを負った家臣に対して『傷の具合はどうだ?』『良い薬があるから送る』といった内容のものが多い。私は戦国武将の文書を何千通も読んできましたが、光秀ほど家臣に労りの声をかけた武将はいません。脚本家の方には光秀の人間像がわかるエピソードを伝えてあります」 過去の名作を超える傑作になるだろうか。※週刊ポスト2020年2月14日号
2020.02.06 11:00
週刊ポスト
自称“寅さん博士”の立川志らく「No.1マドンナは竹下景子」
自称“寅さん博士”の立川志らく「No.1マドンナは竹下景子」
 もともと洋画好きだったのが、師匠の故・立川談志さんや、兄弟弟子でもある高田文夫氏の影響で『男はつらいよ』シリーズを見始めたという落語家の立川志らく。それをきっかけにすっかり寅さんにハマり、今では寅さんのことを聞けば何でも答えられると言われるほどの“寅さん博士”に。志らくがシリーズに出演した歴代のマドンナのなかでナンバーワンだと言うのが、第32作『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』(1983年、監督/山田洋次)のマドンナ・寺の娘である朋子役の竹下景子だ。その魅力は何なのか、志らくが語った。志らくは最新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』にも出演している。 * * * 私にとってもう一人の師匠である高田文夫先生の勧めで、40歳を過ぎてから「男はつらいよ」をきちんと見始めたらハマり、「寅さん博士」を自称するほど詳しくなりました。落語に通じる笑いと人情があり、渥美清という役者が素晴らしかったんです。ですから、自分が今度の第50作に出演し、渥美清と一緒のスクリーンに映っているなんて、抑えられないくらいの喜びですよ。 歴代のマドンナには魅力的な方がたくさんいます。浅丘ルリ子が演じたリリー(旅回りの歌手、第11作、第15作に出演)は、ある意味別格。寅さんとは極の同じ磁石のような関係で、近づきすぎると弾き合ってしまう。 最も綺麗で妖艶だったのが、第22作『噂の寅次郎』の大原麗子。男ならイチコロにされてしまう台詞があります。 でもNo.1は第32作『口笛を吹く寅次郎』の竹下景子。「お嫁さんにしたい女優No.1」と言われていた頃で、竹下景子演じる住職の娘・朋子が、寅さんの話を聞いてコロコロ笑う姿が実に可愛らしく、奥ゆかしさもある。他の女優さんではあの味はなかなか出せません。 寅さんと朋子は愛し合っているのがわかります。だから、ぜひ一緒にさせてあげたかった。でも、一緒になるためには寅さんが仏門に入らなければならない。それは不可能だと、寅さんも観客もわかっている。だから切ないんです。 柴又駅での別れの場面が凄いんです。自分の思いを伝えようとした朋子が寅さんの袖を引き、訴えるように見つめる。急に男女の親密な時間が流れ、それを察知したさくらがすっと離れる。 朋子が「父がね、突然『お前、今度結婚するんやったら、どげな人がええか』いうて聞いたの。それでね……それで……私」。すると、寅さんが「寅ちゃんみたいな人がいいって言っちゃったんでしょ」とおどけて笑いにしてしまう。それで朋子は「かなわぬ恋」と悟る。あんな切ないラブシーンはなく、シリーズの中でも屈指の名場面です。あれを演じきった渥美清と竹下景子は凄いです。【口笛を吹く寅次郎・あらすじ】さくらの夫・博の父の墓参のために立ち寄った岡山で、寅次郎は住職の代わりに法事を務めたのが縁で寺に居つき、美しき出戻りの娘・朋子に一目惚れ。住職も寅次郎を跡継ぎにと考え、朋子も柴又で寅次郎への恋心をほのめかす。だが、寅次郎ははぐらかしてしまう。●たてかわ・しらく/落語家。1963年生まれ。DVDに『立川志らくの「男はつらいよ」全49作 面白掛け合い見どころガイド』(講談社)。※週刊ポスト2020年1月3・10日号
2020.01.02 07:00
週刊ポスト
三田村邦彦 何より楽しかったのが倉本聰さんからの駄目出し
三田村邦彦 何より楽しかったのが倉本聰さんからの駄目出し
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・三田村邦彦がそのキャリアをスタートさせたころ、倉本聰氏が脚本を書いたドラマに出演した駆け出し時代の思い出について語った言葉をお届けする。 * * * 三田村邦彦は一九七三年に劇団青俳に入団して俳優としてのキャリアをスタートしている。「両親には大学受験の下見に行きたいと言って、高校二年の夏休みに故郷の新潟から東京に出ました。でも、大学の下見は一切せずに文学座や俳優座といった劇団を見て歩いたんです。 それで、まず一年目は親には予備校に行くと言って、タレントセンターみたいな所で基礎を学びました。そこは特待生制度があって授業料が無料でした。夏過ぎくらいに親には大学に行かないと手紙を書きました。 次の年に文学座を受けたら一次で落ちて、次の年は二次まで行ったんです。そこでの面接で『親御さんに援助はしてもらえるのか』といきなり聞かれまして。正直に『勘当されています』と答えたら『アルバイトとかやりながら片手間でできることじゃないから親御さんに頭下げてきなさい』って。『そんなことできる状態ではないんです』と言っても無視です。『これまでも習い事しながらいろいろバイトやってきたんで大丈夫です』と言ったら『そう言って続いた人間はいない』と言われたもので僕もムッとしてしまい、『僕は僕です。できます!』と返したら『いや、できない!』と。そこから押し問答です。それで『おしなべて全員が全員一緒だと思わない方がいいんじゃないですか』と言って出ちゃったんです。 それで次に受けたのが青俳で。面接の相手は木村功さんでした。文学座と同じことを聞かれたので、今度は賢くいこうと『援助はあります』と答えましてね。そしたら受かっていたんです」 一九七九年に映画『限りなく透明に近いブルー』でデビュー、同年に倉本聰が脚本を書いたテレビドラマ『たとえば、愛』(TBS)にも出演した。「『たとえば、愛』は楽しかったですね。大原麗子さん、原田芳雄さん、桃井かおりさん、それから小鹿番さん。錚々たるプロの集団との仕事でしたから。 何より楽しかったのが、倉本さんからの駄目出しです。スタジオでのリハーサルの時から倉本さんがいらしていて。たとえばあるセリフでは、台本に『………』と『…』が三個書いてあって、次のセリフでは『……………』と五個書いてある。すると倉本さんは『ちゃんとその間を分かって芝居してください』と。そうやってセリフの間やト書きの行間を指導してもらいました。『コーヒーカップを手に持つ。コーヒーを口まで持っていって、その次に一言セリフを言ってまた飲んでから一言セリフを言って』とか、物凄く細かいんです。それが少しでも崩れると『コーヒーを取るまでのスピードが遅いんだ。そのスピードに気持ちが出る。こっちはちゃんと計算して書いてるんだから、その気持ちでこのカップを持ってこのセリフを言うと、ちょうど尺が合うようになっている。だから、もうちょっと考えてやってくれないか』と言うんですよ。『うわあ、面白いなあ』って。 それでも劇団からはお金を貰えなくて、映画に主演した後も食えないから撮影の空いた日に鳶のバイトをしていました」●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。■撮影/黒石あみ※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.19 07:00
週刊ポスト
“寅さん博士”立川志らくが選ぶ、ベスト恋愛模様とマドンナ
“寅さん博士”立川志らくが選ぶ、ベスト恋愛模様とマドンナ
“私生まれも育ちも葛飾柴又です 帝釈天で産湯を使い 姓は車 名は寅次郎 人呼んでフーテンの寅と発します”――。 日本中を笑いと涙に包んだ、国民的映画シリーズの最新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』が2019年12月27日から全国で公開される。第1作の公開から50周年、50作目となる記念すべき“寅さんイヤー”がやってくる。 渥美清演じる寅さんといえば美しい女性に出会い、たちまち恋に落ちて実らずまた旅に出る。作品にも欠かせないマドンナの存在は当時から話題となった。大の寅さんファンの落語家・立川志らくに、恋愛模様ベスト5とベストマドンナを紹介してもらった。【恋愛模様】◆第1位「男が女を送るって場合にはな、その女の玄関まで送るってことよ」第48作:『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(1995年) 泉(後藤久美子)が結婚すると聞き傷心の満男が奄美大島へ旅に出る。そこで出会ったリリー(浅丘ルリ子)の家には寅さんがいた。【志らくコメント】「どこまで送ってくれるの?」とリリーが寅さんに聞いた時のセリフ。寅さんの照れ隠しと粋が最高にかっこいい。◆第2位「寅さんみたいな人って言っちゃったんでしょ!」第32作:『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』(1983年) 博(前田吟)の父の葬儀に出られなかった寅さんは墓参りに行き、そこの住職の娘・朋子(竹下景子)と知り合う。両想いになった2人だが寅さんがおどけてふざけてしまう場面。【志らくコメント】 寅さんに想いを寄せる朋子が、「父と結婚相手の話になった」と遠まわしに恋心を伝えた時に、寅さんがおどけて言うセリフ。両想いだったのに寅さんが逃げたことでこの恋は終わってしまうんです。◆第3位 柴又の駅で傘をさして待っている寅さん第15作:『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(1975年) 青森で知り合った兵頭(船越英二)と旅する寅さんはリリーと偶然再会。3人で北海道を旅することになったが、リリーと寅さんは大喧嘩。【志らくコメント】 リリーが柴又駅に着くと外は雨。ふと前を見ると喧嘩をしていた寅さんが、黙って傘をさして待っている姿は日本映画史上最高にかっこいい場面。◆第4位 寅さんの船を見送るかがりさんの姿第29作:『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』(1992年) 街で見かけた老人を親切にした寅さん。その人はなんと豪邸に住む人間国宝の陶芸家だった。そこで働くお手伝いのかがり(いしだあゆみ)に心惹かれるが…。【志らくコメント】 寅さんに恋をしたかがりさんの気持ちから船に乗って逃げ出そうとする船場のシーン。寅さんを見送るかがりさんの寂しそうな表情が震えるほど素晴らしい。◆第5位 人間は何故死ぬのでしょうか?第18作『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』(1976年) さくらの知り合いの綾(京マチ子)は病に侵され余命わずか。そんな綾を寅さんは懸命に励まし、人生最後のひと時を寅さんと過ごす。【志らくコメント】 病気の綾にこのセリフを尋ねられた寅さんは「丘の上が人間ばかりになっちゃう」と答える。笑わせながら本質をつく切ないシーン。◆志らくが選ぶベストマドンナ1位:第32作・竹下景子「最も寅さんと結婚させてあげたかったマドンナ。柴又での別れの場面は涙が止まりません」2位:第15作・浅丘ルリ子 「女性版寅さん! 似た境遇の2人は磁石のマイナスとマイナスのように弾き飛ばしてしまうよう」3位:第22作・大原麗子 「シリーズに出てきたマドンナのなかでいちばん妖艶で美しい」【Information】■『映画 男はつらいよ おかえり寅さん』新たに撮影された今を描く映像と、4Kデジタル修復されて蘇る寅さんが物語を紡ぐ最新作。2019年12月27日(金)全国ロードショー。監督/山田洋次(c)2019松竹株式会社 写真提供/松竹■初のブルーレイ化でお家に寅さんがやってくる!男はつらいよ 復刻“寅んく” 4Kデジタル修復版ブルーレイ全巻ボックス(51枚組)2019年12月25日(水)リリース19万円発売・販売元:松竹
2019.12.18 07:00
女性セブン
大原麗子と森進一の離婚 きっかけは「柴犬」だった
大原麗子と森進一の離婚 きっかけは「柴犬」だった
 六本木の伝説のゲイバー「吉野」で38年間ママを務めた吉野寿雄氏(88)。高倉健らと同じく吉野ママと特別な関係を築いたのが、8月3日に没後10年を迎えた女優・大原麗子さんだ。吉野ママが明かす。 * * *〈渡瀬恒彦に続く森進一との2度目の結婚も、4年目で破局を迎えた。大原は離婚会見で、その理由を「家庭に男が2人いた」と語り、話題となった。吉野ママは森とも親しかったことから、2人の離別を間近で見ていた〉 1984年に森君が1か月のアメリカツアー公演を行なって、なぜか私も同行したの。でもその隙に、ビッチ(※注)は前々から行きたがっていたヨーロッパに、内緒で出かけてしまったの。【※注/吉野氏によれば大原さんは背が小さかったため“チビ”を逆にした“ビッチ”という愛称で呼ばれていたという】 そうしたらその間に、2人で飼っていた柴犬が逃げてしまった。これがきっかけで、内緒でヨーロッパに出かけていたことがバレたこともあって、森君が帰国してからすぐに離婚の話になったとビッチは言っていたわ。森君からしたら、色々と積もり積もって、愛想が尽きちゃったんでしょうね。 離婚してからはしばらくホテルオークラに逃げ込んでいて、一度、「ママ、荷物を取りに行くから手伝って」って家から段ボールに衣装とか靴とか詰め込んで運んだ。でもそれからしばらく音信不通になってね。もともと彼女は店に来るときは毎日のように通うんだけど、パタンと切れちゃうと音信不通ってことがあったから。〈それから交流は復活したが、晩年は会うこともなくなっていたという〉 亡くなる少し前に、「具合が悪い」って電話がかかってきたことはあったけどね。お葬式で遺影を見たときも泣かなかったわ。「来るべきものが来た」って思っただけ。だって、ビッチはとにかくあっけらかんとした子だったからね。●取材・文/宇都宮直子※週刊ポスト2019年9月6日号
2019.08.31 16:00
週刊ポスト
大原麗子さん闘病時、病室で“2人の夫”が鉢合わせて…
大原麗子さん闘病時、病室で“2人の夫”が鉢合わせて…
 昭和スターたちが集った六本木の伝説のゲイバー「吉野」。38年間ママを務めた吉野寿雄氏(88)は高倉健との交友でも知られたが、高倉と同じく“孤高”のイメージをまといながら吉野ママと特別な関係を築いたのが、8月3日に没後10年を迎えた女優・大原麗子さんだ。吉野ママが明かす。 * * *〈1973年、当時すでにスターとなっていた大原と、デビュー間もない渡瀬恒彦の結婚は「格差婚」と報じられた〉 渡瀬さんと初めて会ったのは、2人の「結婚祝い」にレストランで食事をした時。そこには高倉健さんも来てたの。渡瀬さんは大先輩の健さんがいるから緊張していたのかしら? ビッチ(大原さんは背が小さかったため“チビ”を逆にした“ビッチ”という愛称で呼ばれていた)の隣に大人しく座っていて、寡黙な人というイメージだったわ。〈1975年、大原は、後々まで彼女を悩ませる「ギランバレー症候群」(主に筋肉を動かす運動神経に障害が生じ、四肢に力が入らなくなる病気)を発症する。吉野ママと中華料理を食べた後に足が動かなくなって階段を降りられなくなり、ママの勧めで病院に行ったところ、病気が発覚したのだという。大原は治療のため、芸能活動を休止し、入院することになった。そのことが、大原の人生を大きく動かした〉 森(進一)君から突然電話があって、「麗子のお見舞いに行きたい。よしの、一緒についてきてくれないか」って言うのよ。もう国民的歌手になっていた森君は全国ツアーの真っ最中で、「少し時間が出来たから」って。一緒に病院に向かったのね。 病室に入ったら、渡瀬さんがいた。寝ないで看病していたのかしら、疲れた様子だった。渡瀬さん、森君と私が来たのを見ると何かを察したのか、そっと出ていったの。 その後森君が「麗子、大丈夫?」って声をかけて慰めて。「麗子、俺と結婚すれば良かったんだよな」って言ったのよ。今思えばここが2人の“二度目の始まり”だった。〈大原は渡瀬と1978年に離婚。その後、森との愛を育み、1980年に再婚した。吉野ママが当時を振り返る〉 ビッチから「再婚したい」と相談を受けたとき、私は反対したのよ。森君は家庭を守る女を求めているけど、ビッチは性格的に正反対。遊び回るのが好きだったから「絶対にうまくいかない!」って諭したけど、オイオイ泣いて「結婚したい」っていう。そこまで好きなら仕方ないって、賛成するしかなかった(苦笑)。 帝国ホテルの結婚式にも出たわ、親族席で。ビッチはお父さんとお母さんが離婚していて、お父さんは来ていなかったから、父親代理みたいな形ね(笑い)。新婚旅行にもついていって、サンフランシスコやロサンゼルスを回ったわ。〈しかし、“父親”の吉野ママが危惧したように、蜜月は長くは続かなかった〉 森君は亭主関白なところがあるからね。ビッチの遊び好きは結婚してからも変わらず、夜遅くまで、森光子さんたちとウチに来ていた。そうすると森君から「すぐに帰ってこい!」って電話がきていたわ。●取材・文/宇都宮直子※週刊ポスト2019年9月6日号
2019.08.30 07:00
週刊ポスト
若き日の大原麗子さん 森進一と渡瀬恒彦の間で揺れた女心
若き日の大原麗子さん 森進一と渡瀬恒彦の間で揺れた女心
 芸能界からスポーツ界にいたるまで、業界をまたいだ昭和スターたちが集った六本木の伝説のゲイバー「吉野」。38年間ママを務めた吉野寿雄氏(88)は高倉健との交友でも知られたが、高倉と同じく“孤高”のイメージをまといながら吉野ママと特別な関係を築いたのが、8月3日に没後10年を迎えた女優・大原麗子だ。吉野氏が明かす。 * * * 東京オリンピックが開催される1年前(1963年)頃かしら。デビューしたばかりの大原麗子がウチに来るようになったの。背が小さいから“チビ”を逆にした“ビッチ”っていう愛称で呼ばれていた。まだ16歳くらいで、田辺靖雄とか峰岸徹とかと一緒に「六本木野獣会」っていうグループを作って夜遊びしてたわ。「不良少女」の先駆けね。〈駆け出しで仕事も少なかった大原は、足繁く「吉野」に通い、閉店後には吉野ママとディスコに行き、ゴーゴーを踊った〉 私から見たら全然「女優」っぽくなくて、あっけらかんとしてた。気に入らないことがあったら何でも言っちゃうから、誤解されやすかったんだと思うけど、そういう性格だから私は仲良くなれたんじゃないかな。〈その数年後、「ボーイフレンド」として紹介されたのが、歌手デビューしたばかりの森進一だった。森は、大原が渡瀬恒彦と離婚した後の再婚相手として知られているが、吉野ママによると、実は渡瀬と結婚する前にも親密だった時期があったという〉 森君は可愛くてハンサムで、あの頃、六本木界隈で一番モテてたんじゃないかしら。ビッチが店に連れてきたのよ。2人はいつも一緒に行動していた。一目見て“男女の関係”と分かるくらい。一緒にお店に来ては、店を閉めた後に、3人で踊りに行ってたわ。 だが、しばらくして吉野ママは2人が破局したことを聞く。原因は「森に新しいカノジョができたから」だった。 ビッチはその頃、よく私の家に泊まりにきてた。森君にフラれて寂しかったのかしらね。だから、その後しばらくして、今度は渡瀬さんと結婚したという話を聞いたときは、寝耳に水だったわ。※週刊ポスト2019年9月6日号
2019.08.26 16:00
週刊ポスト

トピックス

逮捕された「RYO&YUU」
公然わいせつ逮捕「RYO&YUU」、性的動画アップは「親公認」だった 22歳の女は愛知・香嵐渓で全裸に
NEWSポストセブン
ゴルフをする女性芸能人が増えている(左は小島、右は鷲見。ともに本人のインスタより)
タイトなウェア姿を投稿しまくりの小島瑠璃子と鷲見玲奈「ゴルフ女子」枠巡る熾烈な戦い
NEWSポストセブン
結婚を発表し、お相手を「建築会社」とした滝沢。「一般男性」とは言っていない
滝沢カレン結婚!「テラハ」出演“肉食系”ハーフモデルのどこに惹かれたのか
NEWSポストセブン
巨人に13.5ゲーム差でヤクルトが首位独走 「CS開催の必要あるのか」の指摘も
巨人に13.5ゲーム差でヤクルトが首位独走 「CS開催の必要あるのか」の指摘も
NEWSポストセブン
左から主演のオースティン・バトラー、妻役のオリヴィア・デヨング、バズ・ラーマン監督、トム・ハンクス(EPA=時事)
『トップガン』『エルヴィス』大ヒットが示すアメリカの“昭和ブーム”
NEWSポストセブン
TBS・安住紳一郎アナウンサーの魅力の源は?(時事通信フォト)
TBS安住紳一郎アナ、恩師や先輩アナが明かす“天才的なしゃべり”“のスキル
週刊ポスト
判決が出る前に謝罪動画をYouTubeに公開していた田中聖(公式YouTubeより)
出身地を隠さないアイドルだった田中聖 罪を償い寛解したなら帰る場所はある
NEWSポストセブン
眞子さまの箱根旅行のお姿。耳には目立つイヤリングも(2018年)
小室圭さんの妻・眞子さん 華やかだった4年前の「箱根・女子旅ファッション」
NEWSポストセブン
メディアの前に久しぶりに姿を現したブラザートム(撮影/黒石あみ)
ブラザートムが不倫騒動・事務所独立からの今を語る「娘にはよくハガキを書いてあげるんです」
NEWSポストセブン
小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン
高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
NEWSポストセブン